開拓使仮学校及び札幌学校時代
1869年〜
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明治2年(1869)7月 | ● | 開拓使が設置された |
5年(1872)3月 | ● | 開拓使仮学校を東京芝増上寺内に置いた(同年4月開校) |
8年(1875)7月 | ● | 開拓使仮学校を札幌(現:中央区北2西2)に移し札幌学校と改称した |
9月 | ● | 札幌学校開校式を挙行した |
札幌農学校時代
1876年〜
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明治9年(1876)3月 | ● | マサチューセッツ農科大学長W.S.クラークを札幌農学校教頭に招聘することとなり契約調印を終わる |
7月 | ● | クラークが教師ホイラーと教師ペンハロウ及び学生11人とともに札幌に着いた |
8月 | ● | 札幌学校を札幌農学校と改称し,14日(現:本学開学記念日)開校式を挙行した(同年9月8日正式名称となった) |
9月 | ● | 調所広丈が校長に就任した |
10年(1877)4月 | ● | クラークが札幌を去り帰国した(職員及び生徒一同騎馬で島松(現:北広島市)まで見送る) |
11年(1878)6月 | ● | 第1回遊戯会を校庭で催した |
10月 | ● | 演武場(現在の時計台)が竣功した |
13年(1880)7月 | ● | 第1回卒業式を挙行した |
14年(1881)2月 | ● | 森 源三(開拓権少書記官)が校長を兼務した |
7月 | ● | 演武場の楼上に大時計を据付けた |
15年(1882)3月 | ● | 札幌農学校が農商務省所轄となり7月同省農務局の所属となった |
16年(1883)2月 | ● | 札幌農学校が農商務省北海道事業管理局の所属となった |
18年(1885)−− | ● | 金子堅太郎(太政官大書記官)が北海道三県を視察し札幌農学校廃止論を報告した |
19年(1886)2月 | ● | 札幌農学校が北海道庁の所管となった |
3月 | ● | クラークがアマースト(アメリカ合衆国マサチューセッツ州)で死亡した(享年60歳) |
7月 | ● | 植物園が竣功した |
12月 | ● | 佐藤秀顕が道庁理事官校長事務取扱となった |
20年(1887)3月 | ● | 佐藤昌介が校長職務代理となった |
21年(1888)12月 | ● | 橋口文蔵が校長に就任した |
24年(1891)8月 | ● | 佐藤昌介が校長心得となった |
25年(1892)4月 | ● | 文友会・尚志会が合併して学芸会を作り発表式を挙行した |
26年(1893)11月 | ● | 札幌農学校が政府の財政整理により経営困難に陥り存立が危ぶまれた |
27年(1894)4月 | ● | 佐藤昌介が校長に就任した |
28年(1895)4月 | ● | 札幌農学校が文部省直轄となった |
31年(1898)7月 | ● | 札幌農学校商議委員会が設けられた |
34年(1901)5月 | ● | 創立25周年記念祝賀会を挙行した |
9月 | ● | 学芸会・遊戯会が合併して文武会と称し発表式を挙行した |
36年(1903)7月 | ● | 新校舎が落成し現在地へ移転した |
38年(1905)4月 | ● | 恵迪寮(初代)を開寮した |
39年(1906)11月 | ● | 演武場を札幌区に売却した |
東北帝国大学農科大学時代
1907年〜
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明治40年(1907)6月 | ● | 東北帝国大学が設置(仙台市)された |
| ● | 札幌農学校が東北帝国大学農科大学となり,予備教育機関である大学予科を付設した(同年9月開学式を挙行) |
9月 | ● | 佐藤昌介が東北帝国大学農科大学長に就任した |
45年(1912)4月 | ● | 寮歌「都ぞ弥生」(横山芳介作詞,赤木顕次作曲)が恵迪寮で発表された |
北海道帝国大学時代
1918年〜
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大正7年(1918)4月 | ● | 北海道帝国大学が設置され,東北帝国大学農科大学が北海道帝国大学農科大学となった |
| ● | 佐藤昌介が北海道帝国大学農科大学長に就任し北海道帝国大学総長を兼ねた |
8年(1919)2月 | ● | 北海道帝国大学農科大学が農学部と改められた |
| ● | 医学部が設置された |
4月 | ● | 佐藤昌介が北海道帝国大学総長に就任した |
10年(1921)3月 | ● | 北海道帝国大学学位規程を制定した |
4月 | ● | 医学部附属医院が設置された(同年11月診療開始) |
11年(1922)9月 | ● | 本学最初の学位が授与(中島九郎と早川直瀬は農学博士,右田百太郎は獣医学博士)された |
13年(1924)9月 | ● | 工学部が設置された |
15年(1926)5月 | ● | 創基50周年記念式典を挙行しクラーク胸像除幕式を挙行した |
昭和2年(1927)5月 | ● | 理学博士宮部金吾と農学博士南 鷹次郎に本学最初の名誉教授の称号を授与した |
5年(1930)4月 | ● | 理学部が設置された |
12月 | ● | 南 鷹次郎が総長に就任した |
6年(1931)11月 | ● | 第二代恵迪寮を開寮した |
7年(1932)6月 | ● | 佐藤昌介元総長の胸像除幕式を挙行した |
8年(1933)12月 | ● | 高岡熊雄が総長に就任した |
12年(1937)12月 | ● | 今 裕が総長に就任した |
16年(1941)10月 | ● | 大学学部の在学年限を当分の間6カ月以内短縮し得ることになった |
11月 | ● | 低温科学研究所が設置された |
18年(1943)1月 | ● | 触媒研究所が設置された |
| ● | 超短波研究所が設置された |
20年(1945)6月 | ● | 事務局及び学生部が設置された |
11月 | ● | 伊藤誠哉が総長に就任した |
21年(1946)3月 | ● | 超短波研究所を応用電気研究所と改称した |
22年(1947)4月 | ● | 法文学部が設置された |
北海道大学時代
1947年〜
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昭和22年(1947)10月 | ● | 北海道帝国大学が北海道大学になった |
| ● | 伊藤誠哉が総長に就任した |
24年(1949)5月 | ● | 国立学校設置法が公布・施行され新制の北海道大学(法文・教育・理・医・工・農・水産(函館市)の各学部)となった |
| ● | 医学部附属医院を医学部附属病院と改称した |
| ● | 伊藤誠哉が北海道大学長に就任した |
6月 | ● | 教養学科(昭26.4から一般教養部)が設置された |
25年(1950)3月 | ● | 大学予科が廃止された |
4月 | ● | 結核研究所が設置された |
| ● | 法文学部が文学部と法経学部に分離した |
10月 | ● | 島 善鄰が学長に就任した |
27年(1952)4月 | ● | 獣医学部が設置された |
28年(1953)4月 | ● | 新制大学院(文・教育・法・経済・理・工・農・獣医・水産の各研究科)が設置された |
6月 | ● | 北海道大学評議会規程が制定された |
8月 | ● | 法経学部が法学部,経済学部に分離した |
29年(1954)10月 | ● | 杉野目晴貞が学長に就任した |
30年(1955)4月 | ● | 大学院医学研究科が設置された |
31年(1956)9月 | ● | 創基80周年記念式典を挙行した |
32年(1957)7月 | ● | 一般教養部を教養部と改めた |
33年(1958)4月 | ● | 大学院薬学研究科が設置された |
35年(1960)9月 | ● | クラーク会館の開館式を挙行した |
36年(1961)5月 | ● | 工業教員養成所が設置された(昭44.3閉鎖 |
40年(1965)4月 | ● | 薬学部が設置された |
41年(1966)9月 | ● | 創基90周年記念式典を挙行した |
10月 | ● | 古市二郎が学長に就任した |
42年(1967)2月 | ● | 古市二郎学長の逝去に伴い阿部 與が学長事務取扱となった |
5月 | ● | 堀内壽郎が学長に就任した |
6月 | ● | 歯学部が設置された |
8月 | ● | 歯学部附属病院が開院した |
44年(1969)5月 | ● | いわゆる「大学紛争」が始まった |
8月 | ● | 農学部附属第二農場の建物9棟(模範家畜房(モデルバーン)等)が「重要文化財」に指定された |
45年(1970)4月 | ● | 大型計算機センター(全国共同利用施設)が設置された |
46年(1971)5月 | ● | 丹羽貴知蔵が学長に就任した |
47年(1972)5月 | ● | 保健管理センターが設置された |
| ● | 体育指導センターが設置された |
49年(1974)4月 | ● | 大学院歯学研究科が設置された |
6月 | ● | 結核研究所が免疫科学研究所に改組された |
50年(1975)5月 | ● | 今村成和が学長に就任した |
51年(1976)9月 | ● | 創基100周年記念式典を挙行した |
52年(1977)2月 | ● | 百年記念会館落成式を挙行した |
4月 | ● | 大学院環境科学研究科(独立研究科)が設置された |
53年(1978)4月 | ● | スラブ研究センターが設置された |
| ● | アイソトープ総合センターが設置された |
54年(1979)4月 | ● | 情報処理教育センターが設置された |
| ● | 機器分析センターが設置された |
55年(1980)10月 | ● | 医療技術短期大学部が設置された(学長は北海道大学長が兼ねる) |
56年(1981)4月 | ● | 言語文化部が設置された |
| ● | 実験生物センターが設置された |
5月 | ● | 有江幹男が学長に就任した |
58年(1983)4月 | ● | 第三代恵迪寮を開寮した |
59年(1984)3月 | ● | 国際交流事業基金が設立された |
60年(1985)4月 | ● | 遺伝子実験施設が設置された |
5月 | ● | 学術交流会館落成式を挙行した |
62年(1987)5月 | ● | 伴 義雄が学長に就任した |
平成元年(1989)5月 | ● | 触媒研究所が廃止され,触媒化学研究センター(全国共同利用施設)が設置された |
| ● | 農学部附属植物園の建物6棟(博物館本館等)が「重要文化財」に指定された |
2年(1990)6月 | ● | スラブ研究センターが全国共同利用施設となった |
3年(1991)4月 | ● | 留学生センターが設置された |
| ● | 量子界面エレクトロニクス研究センターが設置された |
5月 | ● | 廣重 力が学長に就任した |
4年(1992)4月 | ● | 応用電気研究所が電子科学研究所に改組された |
7月 | ● | 北海道大学長の呼称を総長に改めた |
5年(1993)4月 | ● | 大学院環境科学研究科が廃止され,大学院地球環境科学研究科(独立研究科)が設置された |
6年(1994)6月 | ● | エネルギー先端工学研究センターが設置された |
7年(1995)4月 | ● | 副学長が置かれた |
| ● | 教養部が廃止された |
| ● | 高等教育機能開発総合センターが設置された |
| ● | 低温科学研究所が全国共同利用の研究所に改組された |
| ● | 大学院理学研究科及び獣医学研究科が大学院講座制に移行(いわゆる大学院重点化)完了した |
5月 | ● | 丹保憲仁が総長に就任した |
8年(1996)5月 | ● | 先端科学技術共同研究センターが設置された |
10月 | ● | 創基120周年記念式典を挙行した |
9年(1997)4月 | ● | 大学院工学研究科が大学院講座制に移行完了した |
10年(1998)4月 | ● | 大学院薬学研究科が大学院講座制に移行完了した |
| ● | 触媒化学研究センターが改組された |
11年(1999)4月 | ● | 大学院農学研究科が大学院講座制に移行完了した |
| ● | 情報処理教育センターが廃止され,情報メディア教育研究総合センターが設置された |
| ● | 総合博物館が設置された |
12年(2000)4月 | ● | 大学院文学研究科,大学院教育学研究科,大学院法学研究科,大学院経済学研究科,大学院医学研究科,大学院歯学研究科,大学院水産科学研究科が大学院講座制に移行完了した |
| ● | 大学院国際広報メディア研究科(独立研究科)が設置された |
| ● | 免疫科学研究所の改組及び医学部附属癌研究施設の廃止により遺伝子病制御研究所が設置された |
13年(2001)4月 | ● | 北方生物圏フィールド科学センターの設置に伴い,理学部附属臨海実験所,理学部附属海藻研究施設,農学部附属植物園,農学部附属農場,農学部附属演習林,農学部附属牧場,水産学部附属洞爺湖臨湖実験所,水産学部附属臼尻水産実験所,水産学部附属七飯養魚実習施設が廃止された |
| ● | 先端科学技術共同研究センターの整備に伴い,理学部附属動物染色体研究施設,実験生物センター,遺伝子実験施設が廃止された |
| ● | 量子界面エレクトロニクス研究センターが廃止され,量子集積エレクトロニクス研究センターが設置された |
5月 | ● | 中村睦男が総長に就任した |