カルカッタのある1日
− マザー・ハウスより −

西 田 麻衣子


 23歳の誕生日の朝,オークランドで私はマザー・テレサの訃報を聞いた。マザーに初めて会った時には体があまりにも小さいことに驚き,その小さな体から発せられるオーラを感じ,涙が流れた。葬儀参列のため飛び乗った飛行機の中,4ケ月前の彼女を思い出していた。
 重苦しい空気の中,私はリキシャーの鈴の音を聞き,ゆっくりと目を覚ます。午前5時,カルカッタが動き出す。次第に鈴の音が大きくなり,もう夢の中へ戻れぬことを感じ取ると,私は冷たいシャワーを浴びる。体全体の器官が朝日を感じ,起き出して,ゆっくりと呼吸する。こうして,私のカルカッタでの1日が始まる。午前5時半,滞在先であるコニー家を出てホームレスたちの間を縫うように10分ほど歩くと,マザー・テレサそして他のシスターたちが生活する,マザー・ハウスに着く。入口の呼鈴を鳴らし,広間を通って階段をかけ上がると,右手にチャペルがある。すでに200人ほどのシスターが,静かに祈りを捧げている。私は入口近くの最後列に座るマザーを確認して腰を下ろし,仲間のボランティアたちに目で挨拶する。そして午前6時,ミサが始まる。外の喧噪とは対称的な静けさがここにはある。
 午前7時半,パン,バナナ・甘いミルクティーの朝食後,路上の子供たちとふざけ合いながらも,バス停へと急ぐ,バス「214A」は30分ほどで,目的地であるハウラー駅に到着。私の担当である2本のプラットホームを歩く。ダンボール箱に入れられ,弱って泣くことすらできない骨ばかりの小さな赤ん坊を見つける。その赤ん坊の母親らしき女は,うつろな瞳で,コインが数枚入った空き缶を手に持ち,ジャラジャラといわせている。もう少し行くと,丸裸で横たわる。呼吸することでさえ困難な男を見つける。同行の医師によると,結核らしいとのことである。水を与えるが,喉を通そうとした瞬間に咳をして,すべて吐き出してしまう。私は一度駅の入口まで戻り,タクシーを待たせた後,子供を抱きかかえ,ストレッチャーで男を運ぶ。
 骨ばかりの赤ん坊はシシュ・ババン(子供の家),男はカリガート(死を待つ人の家)に収容された。カリガートに到着すると,かつてマザーがそうしたように,ノートに名前,性別,年齢,宗教を記入し,全身を洗い,服を着せ,ベッドに寝かせる。見上げると,壁に掛けられた小さな黒板に,現在の収容人数と今日の死者数が記されている。彼はいつまで生きられるのだろうか。1日でも長く生きられることを祈り,収容人数を書き改めた。彼が亡くなった場合は,ノートに書かれた宗教に従って埋葬される。
 つめ切り,洗濯,食事介助などカリガートでの1日の仕事が終わると,午後6時,再びバスでマザー・ハウスへ向かう。その30分後には,アドレーションが始まり,静かに祈る。そこには,マザーの姿もある。帰り際,自らの無力さに耐えられなくて,私はマザーに聞いた。
 「私はカルカッタへ来るべきではなかったのでしょうか。」
 マザーは微笑み,そして言った。
 「これはあなたに与えられた使命です。神に選ばれて,ここへ送られたのです。」
 1時間ほどしてチャペルから下りて行くと,友人のボランティアであるチリ人のアグスティン,アルゼンチン人のエルナンらの姿が見える。いつものとおり,おしゃべりをしながらサダル・ストリートに出て,ブルースカイ・カフェに入る。すでに他のボランティアたちが何人かいて,フェアロン・ホテルでビールを飲もうということになった。シティ・オブ・ジョイの主人公が映画の中で泊っていたホテルである。
 午後10時,カルカッタが寝静まらないうちに,私はリキシャーを走らせて,コニー家へ帰宅する。ムスリム街では,まだ人の往来が激しい。そして再び冷たいシャワーを浴びると,ベッドに吸い寄せられるように眠りにつく。 (にしだ まいこ,文学部研究生)

 


在りし日のマザー・テレサと西田さん

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