| 清き国ぞと憧れぬ |
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「北大病」なる病気があるらしい。本学東京同窓会の会報「FRONTIER」に、ある高校の先生が書いておられた。それによると、「北大というのは一種独特のものがあるようだ。夏休みなどに大学見学を勧めるのだが、北大を見てきたほとんどの生徒が取りつかれたようになり、志望を変えなくなる。まるで北大が自分を呼んでいるかのようなことを言い出す。北大には高校生を引きつける魔力のようなものがあるのかもしれないが、これは病気だ」というのである。それが病気というなら、私も重度の北大病であった。私の場合、北海道大学という名が強く印象づけられたのは中学生の頃で、一冊の本によってであった。「動物奇談」という赤い表紙の分厚い書物で、動物に関する様々な科学的なエピソードを少年向けに易しく解説した内容だったように思う。もう一度読みたいと思うが、いつしか紛失してしまったその本に、北大構内の写真が幾枚か掲載されていたのである。広々とした芝生とうっそうとそびえる大木、その間に点在する西洋風の校舎や蛇行して流れる小川など、当時私が住んでいた大阪では想像もできない風景がそこにあった。そして本文中には、北大の前身である札幌農学校の学生達が外国人の先生と共に札幌近郊の山々に登り、あるいは石狩川を逆上って動植物の調査をした時の様子(熊に出会ったり、サケが多数泳いでいたことなど)が生き生きと描かれていた。これは本当に日本の大学なのだろうかと、私はたちまち夢見心地になってしまった。北大病に感染したのである。この本の著者は「大島正満」という名前の動物学者であった。こうして私は大学へ進学するならば北大と、その時から勝手に決めていた。第一志望は北大と告げた時の担任の先生の呆れたような顔が今でも思い出されるが、とにかく昭和38年3月末、北大理類に合格した私は、大阪から青森行の特急列車「白鳥」に乗り、連絡船、そして列車と乗り継いで1日がかりで札幌に到着した。初めて見る札幌は砂埃が舞い、石炭の排煙で汚れた残雪と雪解けの泥道、葉を落とした樹々が寒々と立つ異国であった。その風景は別天地を夢見た私をひどく失望させた。ところが入学式も終わり、5月になると枯れ木のようであった樹木が芽吹き、様々な花が一斉に咲きはじめた。原始林と呼ばれる森の中では空色のエゾエンゴサク、白いニリンソウや黄色のキバナノアマナなどの草花が咲き乱れ、小川の岸にはミズバショウの姿も見られた。6月に入ると樹木や芝の緑はさらに鮮やかとなり、カッコウの声がそこかしこから聞こえてきた。まさに、あの本で見た通りの北大構内の風景が出現したのである。一度消えかけた私の北大病は再発した。そして北大を選択したことに心から満足した。同時に、北大の存在を私に教えてくれた「動物奇談」の著者大島博士にもひそかに感謝した。その頃、私はクラスの友人に誘われて、詩吟部という小さなサークルに入部した。詩吟というのは漢詩に節をつけて吟じるもので、その時まで私はその存在を知らなかったが、大声を出すことができることに魅力を感じて入部したのである。入部して最初に教えられたのが、北大詩吟部のいわば部歌となっていた大島正健作「クラーク博士を偲ぶ」であった。「青年奮起シテ功名ヲ立テヨ、馬上ノ遺言熱誠ヲ籠ム。別路春寒シ島松ノ駅、一鞭直チニ雪泥ヲ蹴ッテ行ク」という七言絶句である。明治10年4月16日、任を終えて帰国するクラーク先生を札幌農学校の一期生達が共に馬で島松(今でもJR千歳線にその駅名が残る)まで見送った時の情景を、一期生の一人であった大島正健が詩にしたのである。“Boys,be ambitious!”はこの時に、泣いて見送る学生達に向かって馬上のクラーク先生が声高らかに叫んだ別れの言葉である。このあと、先生は馬に鞭をあてるや、まっすぐに走り去られ、学生達と再び会うことはなかった。大島正健はその光景を生涯忘れず、のちに母校の、ついで同志社の教授、山梨県中学校(甲府中学校)の校長となってからも、機会ある毎に学生達にクラーク先生の思い出を語ったという。その大島正健博士の御子息が大島正満博士であることを私は後に知った。
その後、私は学寮の仲間達との共同生活や、クラスやサークルの友人達との親交を通じて、また学部の個性ある先生達との出会いによって、受験勉強に明け暮れした高校時代からは想像もつかない豊かな充実した学生生活を送ることができた。その夢のような学生時代を終えて卒業した私は動物園の獣医師という職業を経て、母校で教育研究に携わることになった。そしてある年のこと、学部へ進学してきた学生の中に「大島」という姓の男子がいた。何と、彼は大島正満博士のお孫さんだったのである。私を北大病に感染させて北大へ引き寄せた人の孫を私は教える立場になったのである。先日、今は製薬会社の優秀な研究員となっている大島君に電話した。本稿を書くために聞きたいことがあったからである。その時、もしやと思い「動物奇談」について聞いたところ、彼は即座にその本を所有していると答えた。そして私にそれを見せてくれるという。私を北大病にしたあの本に私は40年以上を経て再び会うことができる。
来年、北海道大学は札幌農学校として開校してから125周年を迎える。開校式の日(1876年8月14日)、クラーク教頭は記念演説の中で学生達に「高遠なる大志」(ロフティ・アンビション、a lofty ambition)を抱くことを求めた。その教えを受けた一期生の大島正健、佐藤昌介(初代北海道帝国大学総長)ら、二期生の内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾ら、そして彼らに続く学生や教職員の熱意と努力によって、現在の北大が成立した。北大には農学校当時の雰囲気を遺す素晴らしいキャンパスがあり、寮歌「都ぞ弥生」に余すところなく歌い込まれている四季の風景が今も見る人を感動させる。そして、この大学で学んだ先人達の熱い想いがなお余熱として残っている。実はそれらが私を北大病にした原因だったと思う。とすれば、それは「病気」ではなく、理想郷を追い求める若者の正常な心理というべきなのである。さらに付言すれば、理想郷を建設するのは君たちなのだと、クラーク先生は叫ばれたのである。