Academia Populi
●研究紹介
固 |
体と溶液の境界で電子・原子・分子を操る |
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| 魚 崎 浩 平 |
日常生活でもしばしば経験するように、固体を溶液に浸すと、溶けたり、溶液中の物質が表面にくっついたりします。
固体と溶液の境界ではこの他にも様々な重要な現象が見られます。例えば、金属や半導体など、電気を通す性質を持つ固体と溶液の境界面では、電圧をかけることによって、電子のやりとりを含む化学反応が起こります。この反応を基本とする電気分解、メッキ、電池などは昔から実用化されていますが、最近になって、省エネルギーで環境にやさしく、小型・軽量化できるなどの理由で、あらためて見直されており、活発に研究が行われています。
現在の研究の目標は、これらの反応の主人公である電子や原子、分子を観て、自由に操ることによって、望みの高機能物質をつくったり、プロセスを高効率化しようとすることです。電子を直接観ることは今でもできませんが、ここ10年ほどの間に走査型トンネル顕微鏡と呼ばれる装置などが発達し、気体や液体と接した固体表面の原子や分子を直接観察したり、操作できるようになりました。
ここでは最近の成果の中から、金の表面にパラジウムがメッキされる様子を、この装置を使って原子レベルで調べた結果について紹介します。パラジウムというのは多くの化学反応の触媒として非常に重要で、かつ高価な金属ですから、別の金属表面にパラジウムの超薄膜を形成する手法の確立は非常に重要です。
図1は硫酸の中で観察した10nm (1ナノメートルは10億分の1m )四方の金表面です。そこに0.28nm間隔で整然と並んだ点が見られますが、これらの点一つ一つが金の原子です。ここで溶液中に四塩化パラジウムという金属イオンを加えると、表面が図2のように変化します。 図1に比べて点のサイズが大きくなり、間隔が広がっています。金の表面に金原子よりも大きな四塩化パラジウムイオンが規則性を持ってくっついたのです。
図3はパラジウムのメッキ過程を、より広い範囲(300nm四方)で観察した結果です。観察は画面の下から上に行っていますが、矢印の部分でメッキが起こる電圧に変化させると、ちょうど原子一つ分の高さの粒が直ちに発生します。直接には見えませんが、電子が基板から四塩化パラジウムイオンに移動し、パラジウム原子が出来たことがわかります。時間の経過とともにこの粒が全面に広がり、パラジウム原子の層が一層ずつ成長していく様子が観察されます。また、できたパラジウム層中で、パラジウム原子は図1と同じ様な構造できちっと整列しています。この時、パラジウムの原子は基板を構成する金原子より4%小さいにもかかわらず、表面第一層のパラジウムは下地の金と同じ原子間隔、つまり普通のパラジウム金属の場合に比べて、4%引き伸ばされて整列しています。そのため、この層は基本的にはパラジウムの性質を示しますが、パラジウムそのものと比べると、酸化されにくいなどの特別な性質を持つようになります。また、原子配列の異なる基板を用いれば、メッキ層の原子配列、ひいては特性を変化させることも可能です。
これまで原子を整列させて析出させるのは大がかりな装置を用いて行われてきましたが、固体と溶液の境界を利用すると、このように簡単に望みの金属を表面に配列させることができるのです。
さらに、より選択の範囲が広い有機分子を表面に配列させることによって、もっと様々な機能を持たせられます。すでに、光を吸収する性質を持った分子を表面に並べて、光を高い効率で電気や化学エネルギーに変換する人工的な光合成システムを開発することもできました。
私達の体内では、1気圧、体温という温和な条件のもとで、電子や分子が巧みに操られ、生存に必要なエネルギーや多くの物質が高い効率で獲得されています。このような生体の巧妙さに比べると、人工的に実現できたことはまだほんのわずかですが、固体と溶液の境界で電子・原子・分子を操ることによって、画期的な高機能素子や技術の開発が可能になることでしょう。
みなさんは中華料理が好きですか?ぼくは生ニンニクをかじりながら水餃子を口にほおばり、汾酒(フェンチウ)という53度の酒を腹にしみ込ませるたびに、「ああ、ぼくは中国文学をやっていてよかったなあ!」と涙するのです。翌日会う人間のことなど考えてられません。そんな時、中国人にとって「喰う」ということはなんなのか?ということについて考えたくなるものです。
中国のことをやっているので、ときどき中国に行き、なにか面白いことはないであろうかと、山河を跋渉してきます。ほとんど目的もなく動いているのですが、それでもたまには中国人の宴会に巻き込まれます。すると、山ほど料理が出てきます。かれらは宴会が大好きですし、宴会となれば、大量の料理が欠かせません。これを初めて目にした外国人は、ちょっとたまげることでしょう。16、7世紀のヨーロッパ人中国旅行者の記録は、みんなこのことに言及しています。
イタリアから来た、マッテオ・リッチという有名な宣教師がいますが、中国の宴会と料理好きには、やはりあきれて、「かれらは飲食に招くほかには、愛情を示す方法を知らない」とまで断言しています。またアルヴァーロ・セメードという人は、「多くの場合、宴会は、『あす死ぬかも知れないから、きょう腹をふくらましておこう』という動機だけで行われる」と言ってます。日本でもテレビのグルメ番組は山ほどありますが、かれらの証言ほど「喰う」ことの本質に迫ったものは、聞いたことがありません。ぼくは「あす死ぬかも知れないから」が大好きで、日ごろより学ぶようにしております。
「喰う」といえば猪八戒です。猪八戒といえば喰いしん坊というイメージがふつうでしょうが、かれはまさしくこの「喰うこととは何か」という問題に対して、いろいろな示唆を与えてくれるおかたなのです。考えてもごらんなさい。彼は喰いしん坊であるとともに、喰われる存在なのですから。
さて、やっと「研究紹介」ができそうです。ぼくが好きなのは、その猪八戒をはじめとする中国古今の怪物たちなのですが、毎年1年生を対象に「怪物論」という講義をしています。最初の時間に白紙を配って「さあみなさん、ゾウを描きましょうね!」との命を下します。キビシイ受験戦争をくぐり抜けてきた聡明なる学生諸君は、「オイオイ、大学まで来て、なんで幼稚園のようなことをしなきゃならんのだ」とつぶやきながらも、すなおに描いてくれます。ところが描かれたものはといえば、これがけっこう「怪物」してまして、動物園にいる本物のゾウさんが見たら怒るようなシロモノばっかり。人類は、なぜかくも多くの怪物を生み出してきたのであろうか?という究極の疑問には、まずこの「お絵描き」行為が、初歩的な答えを与えてくれることでしょう。
大学では、専門的なテクニックはもちろん学びますが、いちど幼稚園児に若返ってもらって、ゾウやキリンを描いてみることも必要なのです。どうかみなさん、「怪物だの怪獣だの妖怪だのは、もうとっくに卒業しましたからねッ」などと、エラそうにおっしゃらず、いい年喰ったそのあとでこそ、かれらヘンテコなものたち、異質なものたち、平均値からかけ離れたものたちと、友達になってみませんか。自分が絶対に正常であると信じるかぎり、怪物はどこにでも出現します。地球人が正常であれば、異星人は怪物。日本人が正常なら、外国人は怪物。男が正常なら、女は怪物。ぼくが正常なら、あいつは怪物。西洋人は中国人の宴会を見て「怪物……」とつぶやいたでしょうし、中国人もまた、西洋人を見て「怪物」と思ったでしょう。群を抜いたスポーツ選手も「怪物」と呼ばれますね。そんなわけで、怪物はどこにでもいるのですが、特に中国のモノと付き合っているのは、たまたまぼくとの相性が良さそうだからです。
| 著書 | : |
『猪八戒の大冒険』三省堂
『蒼頡たちの宴ー漢字の神話とユートピア』ちくま学芸文庫
ほか多数 |
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