活躍する同窓生

Clark's Spirit

横山 清
よこやま きよし
廣瀬 量平
ひろせ りょうへい
1960 年水産(遠洋漁業)卒
株式会社ラルズ代表取締役社長
1953 年教育(教育)卒
作曲家・京都市立芸術大学
名誉教授



大  夢

横山 清

 北大創基80年に入学し恵迪寮に入寮しました。全国からの異才集団に仰天しましたが、馴染むまでに時間がかからなかったのは、自治寮というシステムが正常に機能していたからだと思います。記念行事として建立に関わった寮歌「都ぞ弥生」の歌碑は45年の歳月を経ましたが、私の青春時代のシンボルです。作曲者赤木顕次氏とお会いしたとき「何しろ45年も前のことだから…」と語られましたが、来年は創基125年ですから驚きです。
筆者が寮長だった頃の恵迪寮
第159 期執行委員会メンバー
(後列右から4 番目が筆者)

 農学校から帝国大学、そして新制大学から大学院重点化大学へ変貌して行く母校に声援を送ると共に、時代が変わろうとも良き伝統の灯を絶やすことなく継続して頂きたい。草創期の英才が築いた偉業や名声を今に求めるのは無理でしょうが、新しい時代が北大に求めているニーズは総合大学の機能のすべてを活性化し、世界に通用する組織たることを促しているのです。
 個人の立場では北大に足を向けて寝られぬ心境です。まず同級生であった妻と出逢えました。更に現在でも学生時代と同じ気持ちで語り合える数多くの友人を得ました。一従業員として参加した零細な小売業が、どうやら中堅企業として成長できたのも学友であった干場一正元副社長、横山文男元専務の協力があったればこそと感謝しております。北大12学部のうち7学部の卒業者を擁している私達は、蝦夷ヶ島時代から僅か一世紀余で人口572万人の北海道となったこの魅力あふれる北国をもっと豊かな国にするための努力を惜しみません。
 更に大きな夢を持つこと「大夢」は私達のキーワードです。
は応用菌学教室を選んだが、これが私の微生物学との関わりの始まりである。
 
 
清き国へのあこがれ

廣瀬 量平

  北大の歌といえば何といっても「都ぞ弥生の雲紫に」である。旧一高(現東大)の「あゝ玉杯に花うけて」や旧三高(現京大)の「紅萌ゆる丘の上」と共に三大寮歌といわれた。
 北大のある札幌は今でこそ百数十万の人口を有する大都市であるが、この歌の作られた頃は、小都市にすぎなかったのに、「都」とはよくいったものだ。「住めば都」の都に近い。
 歌詞でも「あゝ玉杯」が「治安の夢に耽りたる、栄華の巷低く見て」とか「剣と筆をとり持ちて、一たび起ては何事か人生偉業成らざらん」「行途を拒む者あらば斬りて捨つるに何かある」と少々物騒であるのが気になる。
 「紅萌ゆる」の方は京の四季を讃え、中央アジアやヨーロッパ、そして先哲や神武以来の古代日本への憧れが歌われるが、あまり前向きではないのが残念だ。


プラハスメタナホールにて自作
上演直前(プラハの春音楽祭)
 これらに比べて「都ぞ弥生」は相当違っている。
 まず語調が前二者が七・五調であるのに対し、四・四・七、つまり八・七という韻になっていて、これだけでまず新鮮である。古めかしい悲憤慷慨調の曲がつけられないのだ。
 自然や青春讃美は学生歌にはつきものなのだが、これも類型的ではない。
しかしひときわすぐれているのは各節の最終の2行である。
1、「星影冴かに、光れる北を
   人の世の清き国ぞとあこがれぬ」
2、「さやめく甍に久遠の光
   おごそかに北極星を仰ぐかな」
 ここには立身出世や天下国家や権力指向、名誉欲などとは全く反対のことが歌われ、しめの句となっている。ここに北大の開学以来の精神の反映がある。事実そういうことを大切に思う人々が全国から集うのが北大であり、あらためて日本における北大の存在価値を再認識している。