活躍する同窓生

Clark's Spirit

能勢 之彦
のせ ゆきひこ
柳町 隆造
やなぎまち りゅうぞう
1957年 医(医学科)卒
ベイラー医科大学永代外科学教授
1952年 理学部(動物)卒
ハワイ大学医学部教授



北海道の青春

能勢 之彦

 北海道大学生のあいだに「ボーイズビー、アンビシャスの運動」という変わった名前の学生運動が起こったのは昭和30年の春のことであった。所謂北大BBA会と云うのがそれである。当時医学部3年生であった私と同期の中根幸雄君と千葉享君、法学部2年生であった弟の能勢邦之と彼の同期生である古川清一郎君と萩原国男君の6名によってである。当時は左翼全盛で数千人がデモにあけくれているような時であった。まじめに学問にはげむことよりアメリカが持ってきたものに反対しロシアの持っているものを求めようとしていた。
 従ってクラーク先生を囲んで札幌農学校を作った先輩のスピリットを思い起こすことによって北大を正常な状態にひきもどすことが必要と思って作った団体であった。残念ながら私達のアピールにこたえ入会した会員は18名にすぎなかった。左翼の連中からみるとピントのはずれた時代錯誤もはなはだしい感激音痴のグループと思ったことであろう。
増補版
「北海道の青春」
はる書房

 幸い北大開学80年が昭和31年にあったので私達の手で北大80年の歴史を書くことにした。これが″北海道の青春″である。幸いこれが北海道のベストセラーになり、その印税を杉野目学長にたのんで学生会館の最初の設立資金にしていただいた。これが現在あるクラーク会館である。なおこの本は北大100周年に再販している。たまたま今年この本に、北大卒業後40年間の私の夢達成への長い道を付け加えて、はる書房より″北海道の青春″―北大80年の歩みとBBAの40年―を出版させていただくことが出来た。
 久しぶりに北大を訪ねた。当時私達BBA会会員が植えた100本以上のエルムの木が大きく育ち、クラーク会館と共に北大キャンパスを彩っている。左翼の連中の達成しようとしたものは今や跡形もないが私達18人が達成したものが北大に根づいているのを見て、本当に心強くうれしく思っている。
 
 
雑   感

柳町 隆造

 北大を卒業してほぼ半世紀になります。3年前北大で国際シンポジュームがあったので、久しぶりに構内を散策しました。公園の様に木々が多く建物もきれいで嬉しく思いました。どこかの大学の様に荒れ放題、塵だらけだったら、きっとがっかりして涙が出たと思います。学園は気持良く勉強、研究ができるところであるべきで、それに使う基金は決して無駄ではないと思います。私が日本を最初に離れたのが1960年、その後日本に戻ったのは2年だけ、まる34年現在のハワイ大学で過ごしました。昨年あたり退職するはずだったのですが、大学から私の研究グループを拡大してはということでオーケーしたばかりに、今までより忙しい日々を送っています。定年はある様でない様な、学外から研究費を取ってくれば教授か名誉教授のタイトルのある限り、何時までも研究を続けることが出来るようです。勿論、体と夢と新しいアイディアが続けばのことですが。御存知の様にアメリカは、めちゃくちゃな事の多い国ですが、ハンデのある外国人の成功に極めて寛大な所があります。外国人で成功してけしからんという事はありません。勿論そうでない人もいますが、大半の人は(学問の世界でも)良いものは良い、悪いものは悪いと考えています。小学校でも言葉の不自由な外国人の子供を差別せず、全力を尽くして教育しようとし、その子に良い点が一つでもあると、皆の前で誉め、その子に自信をつけさせ、他の子供達もそれを認めるようになると聞いています。私がなんとか今までやってこられたのも、そのような為かと思っています。
1950 年忍路臨海実験所玄関前にて
最後列右端が筆者
 私は2年程前からNIH(国立衛生局)の研究費の審査の為、ワシントンに年二回程行きます。審査委員達は(35〜75歳)オリジナリティーのない″着実だが退屈な″研究申請より、多少リスクはあっても″興奮するような新しい発想″に基づいた研究に優先権を与える様にしています。