活躍する同窓生

Clark's Spirit

芳賀 恵
はが めぐみ
山崎 和
やまざき かず
1990年 文(哲学)卒
北海道放送(HBC)報道局記者
1973年 歯学部(歯学)卒



クラークの末裔

芳賀 恵

 5年間在籍した北大のキャンパスを、卒業後もかなりの頻度で訪れている。仕事がらみでいつも慌ただしい訪問だが、エルムの木々が変わらずに迎えてくれるのが嬉しい。
 卒業してちょうど10年。日々のニュースに追われる生活を送っているが、有珠山噴火関連や先端医療などの専門分野で北大研究者諸氏の力をお借りする機会が多い。わが文学部はあまり最先端の技術とは関係ない(浮き世離れしているとさえ言われていた)ために、在学中は他の学部の優れた研究者の存在に気づいていなかったのだと、改めて感じる。勿体ない話である。しかし個人的には、実社会には直接結びつきそうにもない観念的な議論や微かに埃のにおいのする研究室が時々思い出されて懐かしくなる。あの頃の私たちは確かに浮き世離れしていたかも知れないが、それも学生の特権だと今は思える。
大倉山サマージャンプ中継で
 当時はバブルに浮かれた時代の真っ只中で、若者が何かに没頭したりすることが気恥ずかしく思えるほどだった。しかし北大はそんな時代に流されることなく、変わらぬ佇まいで学生を見守ってきたのだろう。
 当時の就職戦線は空前の売り手市場で、同窓生の多くは北海道を離れていった。近くにいるだけに母校を懐かしむ思いは彼らよりも薄いのかもしれないが、いつか同じ時代を過ごしたクラークの末裔たちに、キャンパスで再開したいと願っている。
 
 
歯学部創成の頃

山崎 和

 国会議決の遅れで4月になってから急きょ入学試験が実施されたため、我々1期生が入学したのは昭和42年5月になってからであった。そのため、大学同期生の全員が浪人生という変わった経歴を持つことになる。これは、当時の歯科医師不足の解消を図るため国立大学にも順次歯学部を開設したためであり、多様な人材との交流、研究が総合大学の最大の強みといえる。そのお陰で、対外的な事業を行う上でも道内要職の多数を占める北大出身者と協力できるのが何よりも嬉しいことである。
 開設当初は、教育体制も間に合わず、すでに空き家であった医学部の旧校舎に間借りし、教官も北大内の各学部から来られたり道外から来られたりと、多彩な顔ぶれであった。講義も医学部生と共に受けたことは良き知遇を得る上で絶好の機会であった。
北海道大学歯学部
 現在では1600人余の北大卒歯科医が全国で活躍しており、中でも鼻が高いことの1つは、北大の歯学の国試合格率が、並み居る強豪を押さえ開設以来常にトップを維持していることである。歯学部のような新設学部にもこのように自主独立の精神で勉学に励む気風が見られるのは、北大キャンパスの大らかさと雰囲気とに無縁ではあるまい。北の大地の香りの中で青春を過ごした歯科医の多くは、緑豊かな中央ローンでの思い出を語り、肩を組み輪になって朗々と「都ぞ弥生」を唄うとき、我が母校を感ずるという。
 狭い口腔内を全宇宙と考える分野ではあるが、歯科医師の過剰な時代となっても、広い視野で質の高い医療を目指す歯科医を数多く育む学部であれ、と深く願うものである。