正門を入ってから南門を左手に過ぎたところから北大中央通りまでのなだらかな起伏をしている緑地は、中央ローンと呼ばれ、面積12,000平方メートルあります。夏は、木立からこぼれる日差しと陰のコントラストが芝生の鮮やかな緑を引き立た せ、北大生の集う北大キャンパスを象徴する区域の1つとなっています。 現在の中央ローンを流れている小川は、コンクリートの川底を持ち、ポンプにより水を流している人工のものです。しかし、元々はサクシュトコトニ川と呼ばれた、北大植物園北側付近の湧水から流れ出し、清華亭の南側、北大クラーク会館の東側、中央ローン、百年記念会館の西側、大野池の南側を通り、北大の北西側に抜けて琴似川に合流する自然の川の一部でした。明治42年の大学構内平面図では、中央ローン付近はスケートリンクとして用いられ、昭和初期までは鮭がさかのぼってきたそうです。 岩沢健蔵氏の「えるむ」に掲載された記事によれば、明治41年7月北大予科のドイツ語教師として赴任してきたハンス・コラー氏が予科校舎に近い雪の斜面において学生たちにスキーの手ほどきをしたのが、日本におけるスキーの起源と広く知られている明治44年新潟県高田におけるフォン・レルヒ氏が日本陸軍士官たちにスキー指導したよりも1年ないし2年早いと考えられ、中央ローンは日本におけるスキー発祥の地といえるそうです。
中央ローンの北西角には、北大の象徴の1つであるウィリアム・S ・クラーク胸像があります。このクラーク胸像の初代は、大正15年(1926)北大創基50周年記念事業の一環として、北大内外からの拠金によって、彫刻家田嶼碩郎氏によって制作されたものです。台座には、あまりにも有名であるクラーク博士のBOYS BE AMBITIOUS (少年よ、大志を抱け)の銘とともに、北大植物園の設計者であり初代園長となった宮部金吾の発案で、クラーク博士が植物学者・農学者となるきっかけとなったアマゾン原産の巨大なスイレン―ヴィクトリア・レギアがデザインされています。しかし、昭和18年、太平洋戦争中の金属回収令によって、初代の胸像は鋳つぶされてしまいました。現在の胸像は、戦後まもなく昭和23年、彫刻家加藤顕清によって再鋳造されたものです。当時、田嶼氏は既に亡くなっていましたが、幸いなことに、作成の際の原型が札幌独立教会に保存されてありました。昭和23年10月8日に除幕式が行われ、現在に至っています。 (山中康裕)
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