活躍する同窓生

Clark's Spirit

浅野 哲司
あさの てつじ
能登 正幸
のと まさゆき
1989年経済学部卒
朝日新聞東京本社写真記者

2000年地球環境科学
(大気海洋圏環境科学)
博士課程修了
東京水産大学助手



カメラを通して

浅野 哲司


 仕事柄いろいろな地域で人に会いますが、私の仕事には、学生時代を北海道の大自然、そして北大という自由闊達な環境で過ごしたことが役に立っています。初対面なのに北大の後輩とはつい話がはずんだりします。カメラを通して接する北の後輩たちは素朴でその道一筋の方が多く、現場では大変お世話になっています。
 私は1985年「(青函)トンネル貫通、来たれ北大」という電報で合格しました。大自然にあこがれて探検部に入部しましたが、教養部当初から山や海に出かけて単位はぎりぎりに。このままでは勉学を志して大学へ来た意味がない、と学部内では厳しいといわれる理論経済学(内田和男先生)ゼミを選びました。一見、写真の仕事と理論経済学は関係ないようですが、ゼミでの鍛錬が非常に役に立っています。
シドニー五輪閉会式でレスリング銀メダルの永田克彦選手(右)と筆者
当時週1回のゼミは、午後3時から夜9時までと学部内では最長。たとえば仕事で行く東京拘置所前。出頭する大物容疑者を撮影しようと、現場で待つこと朝から晩までの長時間。ゼミで培われた忍耐力がここで役立ちます。またゼミでは英語の原本と格闘。英語に目が慣れて海外出張先でもものおじしない度胸はつきました。もちろん悪条件下の取材でも厳冬期の北海道の山々より大変なことはそうありません。
 では、なぜ引く手あまたのバブル時代に経済学部を卒業してカメラマンに。教養2年の時に「山登りや潜水取材の手伝いもあるので、探検部から写真現像のアルバイトを1名募集します」と聞きました。部員5人でジャンケンをして勝ち残り、行き先を知らずに連れて行かれたのが、なんと本物の新聞社。幸か不幸かこのことが就職先としてマスコミを意識するきっかけとなりました。
 北海道での生活は4年間でしたが、非常に有意義な時間でした。大自然の中で自分自身と対峙し、北大のキャンパスで仲間と語り合う。そんな経験があってこそ今の自分があると思われます。今年は火山の噴火や地震といった天変地異、相変わらず経済の先行きは不安、という具合に暗い話題が多かったようです。来るべき21世紀こそ、「Boys,be ambitious !」の精神が社会に生かされる時ではないでしょうか。北大に育てられたことをいつも誇りに。またいつかどこかで、よろしくお願い申し上げます。
 
 
新研究科発足のころ

能登 正幸


 今年の4月から東京水産大学の助手となった。私自身まだ未熟ではあるが、学生にとってはそんなことは関係ないのだから、とまどいながらも少しでも良い指導ができるよう無我夢中の毎日だ。そんな中、思い出されるのは修士課程の2年間だ。
東京水産大学練習船にて
当時、発足したばかりの地球環境科学研究科・大気海洋圏環境科学専攻・物理系3講座は、取り壊し作業進行中の旧北大付属病院の5階を間借りする状態だった。しかし、授業や演習には活気があり、毎月のように病院内外で教官と事務員と学生が総参加する飲み会が催されるなど、一体感があった。同期生とは自主ゼミ(英語教科書の輪読など)を通して学問の基礎的な部分を議論しあったり、夏には道東や道北を旅行したりと、いつも一緒だった。このように恵まれた学生時代を過ごすことができたのは、北の大地に新たな希望と夢をもって海を渡り、本専攻を創設された当時の先生方のご苦労のおかげだと思っている。そして、その先生方のチャレンジ精神や前駆的な教育を実らせたのは、まさに北大が脈々と受け継いできたClark's Spirit ではないだろうか。
 最近、勤務する大学の付属練習船によく乗船する。船の中では、学生たちとじっ
くり話す機会が多いのだが、その度に思うのである。「彼らにとって輝かしい学生時代になるよう私自身"北大スピリット"で頑張らなくては」と。