北大が
拓く
ナノテクノロジー




札幌をスピンのメッカに
文/武 笠 幸 一
研 究 者 紹 介
武 笠 幸 一
む か さ こういち
工学研究科  専門は
ナノエレクトロニクス






 私達は昨年暮,世界で初めて物質表面のスピンを原子分解能で観ることに成功しました。
図1 反強磁性NO単結晶表面のスピン像

 原子核の周りを負の電気を持った電子が回っていますが,電子自身も自転をしています。自転により電子は,いわばミクロの磁石を持つ事になり,これをスピンと呼びます。ニッケルの酸化物の表面のスピン像を図1に示します。それぞれの原子の位置にS極(赤色),N極(黄色)のスピンが整然と並んでいる事が分かります。
図2 スピンメモリ(スピン/原子操作)とDNA手術

 この様なスピン計測の研究を,私達は十四年前に開始し,不可能とされていたいくつかの計測システムを全く新しい原理に基づき独自に開発し,原子オーダ(1/1000mm)の世界でミクロ磁石を観ることが出来たのです。図1ではスピンとの間に働く力を計っているので(交換相互作用力顕微鏡と名付けました),電気を通す物質は勿論ですが絶縁物についてもスピンを観る事が出来るのです。この事より分子とか生体のスピンの状態を知る事が出来る訳で,DNA,ある種のガン細胞,老化に関与する分子等のスピンのマッピングが出来ることになります。
 この技術でDNAの操作,手術(図2下)が可能となり,病気の治療への途が拓かれるかもしれません。また原子ごとのスピンをN極からS極に反転出来ると,メモリの究極である原子メモリ(図2上)が実現します。一つの情報の記憶を現在数万個の原子に受け持たせているのを,原子メモリでは一個の原子が受け持つので,百科辞典30巻が1ミクロン(髪の毛の太さの1/100)角に入ってしまいます。またこの研究で磁石の性質を示さない原子を数十個集めて小さな塊(ナノクラスタ)をつくるとある種の磁石の性質が出てくる事,ナノクラスタを分割したりくっつけたりするのにスピンが関与している事等が分かってきました。
 人類は第一次産業革命で蒸気機関を,第2次では電力の実用化をはかり社会を変革しました。これらの産業革命で得た技術から新しい科学が生まれた事が重要です。前者からは熱力学が,後者からは電磁気学が,さらに鉄の溶解技術が基になり量子力学が誕生しました。21世紀はIT(情報技術),バイオの時代としてスタートし第3次産業革命が起きると言われています。これを支えるモノヅクリの究極の姿はナノテクノロジーでありましょう。ナノテクノロジーの世界では,前の産業革命とは逆に科学をまずきちっと探求しなければ新しい産業は創出しないと私達は考えています。私達の主な競争相手はヨーロッパですが,結果については世界が注目しており,類似の実験が追いかけてきています。科学としてはナノ領域のスピンの科学(ナノマグネティズム)を「札幌から世界に発信」し,技術としてはスピンメモリ,スピンデバイス,DNA等の操作技術,触媒反応等の化学反応の制御技術を「札幌から世界に発進」したいと考えています。




しなやかな運動をするマシーン
文/長 田 義 仁
研 究 者 紹 介
長 田 義 仁
おさだ  よしひと
理学研究科
専攻は高分子化学





図1 魚のように動くゲル
水槽の左右に電極をセットしてドデシルピリジウムクロリド溶液を入れる。その中にPAMPSゲルの尾を持った魚の模型を浮かべ,1秒周期で電流の向きを変えてやると,魚の模型は尾を振りながら前進する。

 ナノテクノロジーで「しなやかな運動をするマシーン」を実現する研究も,北大が世界の先駆的役割を果たしている分野です。
 科学の進歩の過程において生物の観察と模倣が重要な役割を担うことがあります。生物の特徴は外部環境の変化や刺激に対して効率的・自律的に対応し,構造的・機能的柔軟性と自由度をもっていることにあります。このことは,生物の「動き」の中にも見ることができ,将来,金属など硬い材料でなく,やわらかな素材でやわらかな動きをするマシーンを考えていくうえで大切なヒントが数多く隠されています。
図2 ゲルの自発運動を利用した発電システム。写真では,コイル整流アンプと接続して,発生した電圧に応じて発光ダイオードが発光するようにしてある。

 では,どのようにして生物から「動き」のエッセンスだけをとりだし,生物様運動素子を造り出すことができるのでしょうか。
 高分子を,集合体レベルで自在に操ることができれば,「動き」を備えたソフト型アクチュエータに一歩近づいたことになります。高分子物質を利用して,化学エネルギーを力学エネルギーに変換し,機械や筋肉のように仕事をさせる系「ケモメカニカルシステム」と呼ばれ,アクティブな柔軟機械(材料だけでなく,応答の仕方が自律的にはたらく機械),モレキュラーマシーン(分子機械),あるいは人工筋肉としてさまざまな応用が考えられます。 
 これらの考え方から筆者らは90年代の初頭から,世界で初めて,ゲルを用いたさまざまの運動素子を設計し作製しています。ゲルーパーと呼ばれる人工尺取虫は,ゲルの表面で界面活性剤分子が集合・離散することによって屈曲・伸長を繰り返しながら前進します。また,ある種の形状記憶ゲルはアルコールの放出によって,おおよそ10cm毎秒の速度で水面上を並進運動をしたり,大きさによって1分間に400から3000回転したりするケミカルモーターとして作動します。これを電磁コイルの下で回転させれば,15mVほどの起電力を生じ,化学エネルギー→力学エネルギー→電気エネルギーへと変換する次世代発電システムになります。
 このようなシステムはいずれも化学ポテンシャルエネルギーが利用されて動くので「分子機械」ということができます。ゲルでできた機械は,硬い材料と異なり,「やわらか」で「しなやか」な運動をし,その動きは機械というよりも生き物を思いおこさせます。このような生物様運動システムを更に発展させるには,これまでとは異なった新しい素材のイノベーションがますます必要であり,高機能性高分子ゲルはこれからもその有力候補になると考えられています。
 やわらかく,しなやかな動きをする生物様運動素子は,ナノテクノロジーの重要課題で,騒音,排気ガスのない環境適合性ロボットや,生体埋め込み型ソフトマニピュレーター,マイクロポンプ,マイクロバルブなどへの発展が期待できます。




不斉・触媒化学・ナノテク
文/大 谷 文 章
研 究 者 紹 介
大 谷 文 章
おおたに ぶんしょう
触媒化学研究センター
専門は触媒反応化学





 「ナノテクノロジー」にナノファクトリーと称される領域があります。ナノのサイズで化学反応プロセスを制御しようとするものですが,ここでも北大が先導的な活動を展開しています。これまでよりもはるかに高感度・高精度な医療用化学センサー,ほぼ100%のエネルギー変換効率を持つ太陽電池,或いは,現在では不可能な極微量の汚染物質の選択除去プロセスなどを近い将来実現するのに欠かせない技術として研究の進展が期待されています。
 具体的な研究テーマを紹介しましょう。「不斉」という言葉をご存じでしょうか。これは,鏡に映した像がもとの物体と重ならないこと,たとえば右手と左手のような関係をさします。化学の世界でも,分子の中の原子の配置によって不斉である場合が多く,現代の化学は不斉の概念ぬきでは語れません。とくに生物をかたちづくる化学物質の多くは不斉な分子です。たとえば,よく知られているアミノ酸や糖はいずれも不斉で,しかもそのほぼ全部が,鏡像体の一方の分子だけです。
 このような「不斉」は,3次元の世界のおはなしです。3次元と同じように1次元や2次元の不斉も考えられます。1次元の世界は1本の直線上だけで,あまりおもしろさはありません。2次元の不斉を考えてみましょう。2次元の世界はひとつの平面です。たとえば,この紙面を考えてください。紙面に垂直に鏡を立て,不斉という意味の英語「CHIRALITY」を映してみましょう。どの文字が不斉かわかりますか。たとえば,「」は「Я」(ロシア文字)になりますね。このふたつの文字は,いくら回転させても重ねることができません。おっと,裏返すのは反則です。2次元の世界から出て,3次元の世界を通ったことになりますから。そうやって考えると,「」「」だけが(2次元)不斉です(左右の意味もある「」と「」であるのはまったくの偶然です)。
 数年前,この2次元の不斉を目に見えないナノのサイズで実現できないかと考えて研究をはじめました。具体的には,分子そのものの不斉ではなく,「分子の配列を不斉にしたい!」というものです。最初は試行錯誤の連続で,少し時間がかかりましたが,ビナフトチオールという不斉分子を金の表面に固定することによって世界で初めて実現しました。下の図をご覧ください。これは走査型トンネル顕微鏡(STM)という装置でみた像です。黄色い粒が規則正しく並んでいるのがわかりますね。この粒は,ビナフトチオール分子の中に二つあるナフタレン環(あの亀の甲分子,ベンゼンが2個くっついたもの)のひとつです。赤っぽいところは,下地の金が見えていて,そこは分子が存在しない穴になっています。
注意深くみると,黄色い粒6個が正三角形をつくり,その三角形3つが穴をとり囲むというパターンで埋めつくされていることがわかります。さて,2つの図は,ビナフトチオールの分子の二つの鏡像体を使った結果です。どちらも,三角形3つの組み合わせは一緒ですが,三角形のどの頂点が隣の三角形に接しているかをよくみてください。左右で違いますね。右では時計回りに,左ではその逆です。これは,金の表面に整列したナフタレンの配置がたがいに鏡に映したような関係,つまり2次元不斉であることを示しています。
 「そんなことがいったい何の役に立つの?」と言われてしまいそうですが,化学,とくに触媒化学の世界で求められているのがこのようなきちんとした分子・原子の配列構造の設計と作製です。分子そのものの構造を目的にあわせて設計し,それを利用することはかなり進んでいます。これからは,その分子を組みあわせてうまく組織化させることが大事になってきます。ここで紹介した2次元不斉は,新しいセンサーや触媒,電極へと展開して,ひとつの鏡像体を感知するセンサーや,医薬品を効率良く合成する技術への展開が可能です。
 ナノより小さい分子を組織化し『小さい方からナノ構造を作る』手法は「ボトムアップ型ナノテクノロジー」と呼ばれます。触媒化学研究センターをはじめ,理学研究科,工学研究科,地球環境科学研究科,電子科学研究所など北大における研究は,こうした分野でも高い評価を得ています。今後にもご期待下さい。