人と自然の共生を求めて 島 本 義 也
◆なぜ今フィールドサイエンスか? 人は科学の進歩がもたらす成果を信じ,21世紀はユートピアを想像していたに違いありません。20世紀の科学技術の進歩は,人の生活を大きく豊かにしましたが,一方では,予測の範囲外であった地球環境問題を引き起こしてきています。人が生活する生物圏での生物生産活動と環境保全が厳しく対峙する新世紀を迎えています。 森林,草地,耕地,河川,湖沼,海洋の生物圏フィールドは,食糧や人が生活する上で必要な物資を供給し,多様な生物が相互に連鎖しながら生活する,1つの総合的な生態系を構成しています。樹木の豊かな森は,降った雨水を葉にいったん蓄え,落下した雨水は土壌に吸収され,水は多様な生物を育む森の豊富な栄養を取り込み,河川の流れとなり,流域の生物に養分を供給し,生物社会を育み,海へとプランクトンの養分を運び,海の生態系へと参加していきます(図1)。人の活動は,人と自然の共生生態系である生物圏フィールドでの農業,林業,水産業の生物生産の発展をもたらし,莫大な化石エネルギーの利用による生活物資の供給は人の生活を豊かにしてきました。一方そこでは,生物圏フィールドの生態系がもつ緩衝能力を越えた過度の環境負荷(環境汚染)は,自然生態系の撹乱を招き,人の生存さえも危うくする事態を招いています。北方生物圏の多様なフィールドに蓄えられているデータは,「人と自然の共生」の途を拓く知のもとなのです。 北大は幅広い生態系フィールドからの知を総合的に活用し,新たな知を生み,また新たなシステム実現に向け研究展開できる世界でも数少ない場であります。 ◆大地の豊かさ ── 生物多様性と生産性 北方生物圏に棲む生物は多様であり,これらの研究を通しての知恵が持続的生物生産環境に多くの知恵を与えることが期待されます。
北大では,北海道にとどまらず,北東アジア(北方四島,サハリンも含めて)の自然の生物相の観察を始めています。そこには,野生動物と共生する生物圏があります。シカやヒグマ(写真@)との共生を求めて,行動習性=特性や個体群動態=個体群の変動を観察していますが,必ずや共生の途を教えてくれるはずです。 北方圏に分布する有用遺伝資源の収集には特異的な生物種が多くあります。サケ科魚類,ツルマメ(ダイズの祖先種),ドサンコ(北海道和種馬),海藻類,等々は世界で北大のみで保存している種類の多い貴重な遺伝資源です。今失われようとしている貴重な遺伝資源のドサンコを森林の中に放牧保存しながら,森林を管理する試みを始めています(写真A)。 水産資源は貴重な食品であります。サケを代表とする母川回帰をする魚類は貴重な食糧です。我が国の河川に遡上するのはシロザケ,カラフトマス,サクラマスですが,ベニザケを洞爺湖に遡上させる試みがなされています。ミトコンドリアDNAマーカーで識別できるシロザケ集団は北太平洋で39集団になり,わが国河川に遡上する13集団について,母川による違いやその行動を追って,その生活史を調査しています。道東の厚岸水系流域には,森林から集水する河川,草地から集水する河川とがあり,そこから供給される養分はカキやアサリの餌を豊富にしています。また,大雨による急激な養分の流入は,アマモを経由してカキやアサリに利用されることもわかってきました。こうした水産資源の問題の解決についても,森林・耕地の知恵を必要としています。 新たな生産システムの研究も展開しています。多大な環境負荷が問題となる家畜生産において,土地利用型の「環境調和型家畜生産システム」の開発に静内研究牧場が取り組んでいます。このシステムでは放牧と牧場内で生産される貯蔵飼料を最大限に活用して,通常使われる1/3の穀類で牛肉を生産し,なおかつ単位面積当たりの環境負荷量も極めて小さなものになっています。また,生物生産農場フィールドで環境問題を解決するシステムの研究もしています。北大の生協の食堂から回収される生ゴミからのコンポストの製造と,そのコンポストを畑に鋤き込む「資源地域循環的作物生産」を行っています。また,フィールドの一画にオープントップチャンバーを設置し,CO2濃度を2倍にした圃場条件で作物を栽培し,観察を続けています。一次的には高い光合成が得られますが,長続きはしないようです。 一方で幅広い生物の生態データを蓄積しながら,一方で新たな循環を視野に入れた生産システムの研究も展開されているのです。
◆生物圏環境は甦るか? 人類は無理をして生物生産のフィールドを確保し,農林水産物を何とか確保可能にしてきました。しかし,生物圏フィールドの環境は飛躍的に悪化してきています。人為的に破壊された生態が多いのですが,自然災害によるものもあります。フィールドを観察し,生物圏環境の修復への知恵がサイエンスに求められており,左記に代表されるような活動が行われています。 1943年ダム建設のために雨龍研究林の一部が売却され,大量(130万m3)の樹木が短期間に伐採されて朱鞠内湖が誕生しました(写真B)。有機物の流出が多いアカエゾマツの湿地林,それほどでもない針広混交林,および硝酸濃度が高い酪農草地などを水源とする朱鞠内湖において,森林と物質の動きを注意深く観察しています。 不幸にも災害で環境が破壊される例も多くあります。明治の初期から数回にわたり山火事で森林が焼失した山が天塩研究林に残されています。山火事跡地の斜面は広大なササ地になり,ササに積った雪は滑りやすいために,大雪崩を誘発し,自然に再生した樹木や植林した稚樹も丸ごと破壊されてしまいます。ササを刈ったり,堆雪棚を設けて雪を貯留して稚樹を覆うと,寒風からの害からも逃れ,森林の育成を助けることができます。 昨年の有珠山噴火は,その周辺に甚大な被害をもたらし(写真C),洞爺湖の生態にも少なからず影響が観察されます。火山灰の洞爺湖への流入により,深層では高濁度層を形成しましたが,表層では一時的にリンが増加し,植物プランクトン,動物プランクトンを増加させ,それを餌とするヒメマスは,噴火期間中の禁漁と相まって,大型化しています。有珠山噴火は,森林,耕地,湖に多量の無機物を降下させ,地域の環境を大きく変化させています。そのため生物圏の生態は大きく変化していきますので,樹木の生長,農地での作物生育,家畜の成長,淡水魚の成長の影響をモニターして行く必要があります。 生物圏修復の可能性を求めてこのように幅広い研究が展開されているのです。
◆森林から学ぶ 北大には,こうした生物圏環境の仕組みを明らかにし,さらに大きな視野でその存在意義をも探る上で重要な,さまざまなフィールドがあります。1つの代表的なものが,保有する広大な森林です。 森林の社会は,3次元の構造をもつ多様な層を構成し,多様な生物が生息し,水平的な働き合いと垂直的働き合いが多様なバランスを維持しながら生物圏を作っています。北大研究林では,地上30mの林冠を自由自在に動き回るクレーン(写真D)を操り,ジャングルジムを組み立て,森林の高い層の社会(林冠)の観察に取り組み始めています。いままで私達には想像できなかった社会,そして地上社会との関わりを解きほぐして行きます。 また,CO2の最大の吸収源である森林が生育する森林圏において炭素の吸収量を測定しています。地上30m付近の炭素の収支を測定するとおおよそ平方p当たり年間200g余であり,その半分を樹木(光合成)が,2〜3%を河川が吸収し,残りの半分弱は土壌が吸収するとの観測データが得られています。森林をなくしたら,どうなるのでしょう。天塩研究林では,大規模に皆伐区を設けて炭素の収支を観察しています。
一方,人の過度の活動がもたらす環境負荷には,多くのものがあります。酸性雨(指標としてH+が使われる)もその1つです。樹木が吸収するH+を測定すると,比較的都会に近い苫小牧研究林の樹木は,天塩研究林や雨龍研究林の樹木の3倍もの吸収量があります。人の活動が活発な都会が源の酸性雨は近辺の生物圏社会に何をもたらすのでしょうか。 生態系の各要素を切り離したらどうなるのでしょうか。苫小牧研究林の森林のなかを流れる幌内川を1km余に渉って,防虫網(空気は流れるが,生物の往き来を遮断する)で覆って,生物種の数やバイオマスの変化を観察しています。生物多様性が失われ,バイオマスが乏しくなると教えています。 これらは一端ですが,森林フィールドは数多くのことを教えてくれます。 ◆国際的共同研究 ── グローバルなモニター体制へ フィールドデータ,なかんずく環境データの集積は1ヵ所では意味がありません。広く地球上のいくつかを結ぶ国際的なネットワークが必要で,北大の研究も様々な分野でそうしたネットワークの重要な拠点となっています。例えば,「陸域生態系の地球環境変化に対する応答」や「地球規模の海洋生態系変動研究」,また,生物多様性に関する国際共同研究の一環としての「地球環境撹乱下における生物多様性の保全および生命情報の維持管理に関する総合的基礎研究」,「森林のCO2固定機能評価とフラックス・ネットワーク構築」などの世界的な観測ネットワークの観測サイトの1つになっています。北太平洋の気象・海洋環境・生物情報,海洋生物の国際調査,長期的生態学研究などにも参画して,湖沼と海洋における水圏環境と生物資源に関する国際共同研究を行っています。 世界共同で行う超長期の大気成分計測プロジェクトにも参画しています。樹皮が木の内側に入り込んだ「入皮」は生成の際に大気成分を取り込みます。これから200年間の大気成分データが刻まれるタイムカプセルで子孫に残そうと,イギリス,カナダ,ニュージランドの3ヵ国との共同で植樹しました。23世紀に4ヵ国で木に記録された大気汚染の歴史を辿る計画です。 ◆フィールドサイエンス研究のメッカへ 昨年来,北大の開学の祖クラーク博士が残したフィールド研究を礎にし,フィールドサイエンス展開のための組織的対応が進んでいます。
代表的には,ここでその内容を掻い摘まんで紹介した北方生物圏フィールド科学センターおよび,後述の北ユーラシア・北太平洋地域研究センターです。北方生物圏フィールド科学センターでは,フィールドサイエンスの教育研究戦略を企画し,遂行する6領域16分野(図2)を中心に,フィールドを基盤にした学内の共同研究,学外の産官学との共同研究を積極的に展開します。そして,世界に類をみない規模と多様性を誇る三つのステーション(森林圏,耕地圏,水圏)の17フィールドから,北方生物圏をモニターした情報を世界に向けて発信していくとともに,フィールドの教育研究共同施設としての活発な利用を期待しています。 この他,北大には,いくつかの部局に跨って,多岐に亘る分野で,北東アジアのフィールドを基盤にした特徴ある研究に多くの実績を残しています。 以下この特集では,幅広い視点から森林のCO2固定の問題について小池孝良教授が,北太平洋やベーリング海の海洋調査について飯田浩二教授が解説しています。そして,昨年発足した法学,経済学など文系とも連携しながら展開される学際的プロジェクト組織(研究プラットフォーム)である,北ユーラシア・北太平洋地域研究センターの活動について福田正己教授が紹介しています。 |