誰もが実感しているように,世界と社会は,地殻的なスケールでと言っても過言でないほどに変化の真っ只中にあり,それと連動して,大学と社会との関係も大きく変わろうとしている。こうした中,2001年に北大は創基125周年を迎えた。大学における今後の教育・研究はどうあるべきか,これまで北大で培われてきた歴史の中で継承されてゆくべきものは何か,大学と社会との関係はどう構築されるべきか──,北大で学び,現在は社会の中核として活躍している卒業生諸氏に,現場からのアクチュアルな声を聞いた。


(2001年11月17日,東京にて)

出 席 者
 日和 一正 (共同通信社,1986年工学研究科
修士課程修了)
 佐々木 薫(宇宙開発事業団,1989年法学部卒)
 小松  潤 (ソニー,1990年工学研究科
修士課程修了)
 脇坂 信次(野村證券,1990年経済学部卒)
 加藤  克(雪印乳業,1985年法学部卒)

──創基125周年にちなんで,北大を卒業されてさまざまな分野で活躍されている方々に,「大学と社会」というテーマで大いに語っていただこうという企画です。まず現在の社会の状況をどのように感じているかというあたりから話を始めていただきましょうか。

変化の時代
日 和 私は1986年に共同通信社に入社しましたが,そのころは新聞がかなり絶対的な存在で,きちんとしたニュースは新聞で,それ以外はテレビでという感じでした。いまテレビ局向けの取材をしていて感じるのはテレビの魅力というか威力ですね。何が起きても世界中からすぐ中継してしまうテレビの力はやはりすごいと思います。新聞とテレビの役割分担がここ十年でずいぶんと変わってきた,ニュース報道でもテレビはかなり力をつけてきた,そんなことを考えています。
佐々木 私は宇宙開発事業団に就職して,最初広報部門にいたのですが,紙の上で情報をお知らせしようと思うと,読んでいただく方がどうしても限定されてしまって,宇宙開発について知らせたくても,なかなかそう大勢には知ってもらえない。どうしたらいいのだろうと悩んでいるうちに,経済がどんどん悪くなっていきました。
 その反面,インターネットが発達してきて,不特定多数の人が情報を瞬時に知ることができて,私たちもすぐ発信してすぐ反応を引き出せるという時代になりました。いろいろ失敗があり,予算も少なくなったりしている中で,多くの人が注目してくれているので,何となくもっているのかなという気がしないでもありません。その関係が何かすごく面白いなというふうに感じています。
小 松 ソニーはものを作ることで社会に貢献してきた会社ですが,その基盤となっていたのは「平和な世界」だったと思います。昨今IT不況があり,米国の同時多発テロがあり,当然だった「平和な世界」という環境が危機にさらされています。
 それから,インターネットの大普及で,情報発信の主従関係や障壁がなくなるなど,情報流通にしても経済システムにしても,これまでの連続性が失われ,すべてが変わりつつあります。その結果として,人の行動,マーケットや政治の動きさえまるで読めない時代になっている。これはやはり第2次大戦後に次ぐ新たな混迷の時代に入ったのではないかというようなとらえ方をしています。
脇 坂 野村證券の脇坂です。最近,私が仕事をしていて思うことが二つありまして,一つは入社したときには全く考えもしなかった金融業界の再編です。これを今まさに一番近いところで見ているわけですが,自分のお客さんが破綻したり,再編の真っただ中にいるのを見ることになるとは全く思ってもみませんでした。
 二つ目は,投資家と上場企業の社長の会談をアレンジする際に,各企業のトップが何を考えているのかを直接聞く機会が多くて,そこで感じるのは,なぜある会社は変わることができるのに,ある会社はなぜ変われないのかということです。変われない企業がある一方で,例えば小松さんのソニーはなぜこう変わり続けられるのかとか,最近そんなことを考えながら業務をしております。

「変わる」と「変わらない」
加 藤 私は雪印乳業で,業務製品事業部という,業務用の商品の営業を担当しています。乳業界は国の酪農政策に守られていた部分があり,その分,企業体質としてものんびりしていたところもあったかと思っております。ところが,最近は乳業界のみならず,酪農界自体が,国の保護政策にしがみついていたらどうしようもない,立ちおくれていくという意識が生まれています。
 これまで牛乳とか乳製品は外国との関連というのは非常に少なかったのですが,今では外国との提携が始まりつつあります。今それを目の当たりにして,ついに競争の場に置かれたということを強く感じます。
 もう一つ,私どものスノーブランドがこれまで実に高い価値を持っていたということを実感させられました。スーパーで売っている牛乳も,ほかより高くても買っていただけました。特に北海道でそれは顕著だったかもしれません。それが昨年の事故ですべて吹き飛びました。ひょっとすると,あの事故がなくてもブランド価値は低下したかもしれません。より厳しい競争の中で,今までそういった保護されていた部分がどんどんなくなっていく世界が来ていたのでしょう。今までは弱小だった企業が意外に力を発揮して,逆に,ブランドにあぐらをかいていた大企業は,気がついたときは衰退の一途という,そういう厳しい競争社会になったと,月並みかもしれませんが,そういうことを感じております。
小 松 競争ということで言えば,ソニーは古くから歴史のある大手家電メーカーのモルモットだと言われて,うちは何でも先に実験台になってつくって走っていく。いいものができると,後からそうした企業に強いマーケティングで市場をさらわれていくというような感じがあったのですが,ある時期からうちも力をつけてきて,モルモットなりに,他のメーカーさんが二の手を打つ前に次の商品を出すということができるようになりました。とにかく前へ前へ,新しいところを開拓していこうという意気込みでやってきました。
 ところが最近,新たなコンペティターが,マイクロソフトとかシスコとか,インターネットの世界の申し子みたいなのがいっぱい出てきまして,これまでと同じことをやっていたのではだめだという危機意識が生まれました。ソニーは世界を向いて商品をつくってきていましたので,海外のマーケットの影響をすぐに受けてしまう。円高のときはうちは本当に死ぬ思いをしました。
 先にそういう危機的な状況を経験しているので,早くグローバル化しようという意識は強く,本社は今東京にありますが,これも一部をアメリカやヨーロッパに移すというようなことをやっていかないとだめだと思っています。
 他の家電メーカーの多くはAVだけではなくていろいろな部門をもっている。うちはオーディオビジュアルとエンターテイメントだけでやっている会社ですので,一つこけると全部こけるというような感じでした。今は大きな会社になりましたけれども,そのときはまだどちらかというと大企業というよりは中小企業的なスピリットでやっていたものですから,とにかく早い動きをしないとお客様を奪われてしまうというので,それがソニーの遺伝子となって,いまだにモルモット的というか,とにかく新しいものをどんどん取り入れていく伝統となったのかもしれません。
日 和 氏

脇 坂 なるほどね。これまで日本の企業は自分の領域の中だけで競争をしていたのが,今この壁がどんどん取り除かれていく中で,競争に適合できなくなった会社が,急にリストラだとか構造改革しようと思っても,なかなかし切れないという形になっている。その中でなぜソニーのような会社だけが先へ走れるのかとずっと疑問に思っていたのですけれども,今の言葉で何となく整理できたように思います。

いかに先を読むか
日 和 企業の真価が問われているのだと思います。かつては企業でも基礎的な研究をやる余裕があって,何の役に立つのかすぐには分からないようなものがけっこうありました。ところが最近ですと,本当にそのものずばりというか,そこの業務に直結したものしか研究費がつかない。それは企業なのだから当然なのですが,これまでは,本道とはかけ離れたところで思わぬ実を結んだ研究というのがありました。直接的ではない,長い目で見る投資をやれない企業は,技術的な面で,5年,10年たつと先細りしていくかなと感じていますね。
 いかに踏ん張れるかです,今の不況の時期において。経営が厳しい中で,まだ海のものとも山のものともわからないものに予算をつけて,そこに人材を割いて,研究を地道に続けていく企業が必ず伸びるというか,沈むことはないというか,そういうことをよく耳にします。
佐 々 木 氏

佐々木 研究についてですが,うちのような特殊法人は,民間ができないことをやる,特に研究開発は,投資はかかるが,それに見合った利益はすぐには出てこない,だからこそ官がやるのでという発想でやってきました。
 ところが,経済状況が悪くなって,宇宙開発のようなすぐに成果のでないものはやめなさい,民間ができることも実は抱えてやっているのではないかと,今どんどん予算が削られています。不要なところが削られるならいいですが,本当に官がやるべきところまで削られているのではないか。しかし,それがいったい何なのかというところが,組織としてまとまってこれだという合意になかなか達しないで,こうじゃないか,ああじゃないかともだえている状態ですね。
 もともとある程度アメリカやヨーロッパをまねてやってきたところが,そろそろ行きついてしまって,自分でオリジナルなものを出そうかと思ったときにいろいろ失敗をするようになってしまった時期と,経済が不調になった時期がたまたま重なったのか,それともそれは必然なのか,それもよく分からないでいます。
 人工衛星の技術は刻々進歩していますので,いま打ち上げれば意味があるけれど,2,3年後には技術が古くなってしまって,そんな衛星打ち上げても意味がないからやめてしまえということになります。明日打ち上げようと思っていた衛星を今日とめられてしまって,自分たちのやってきたことはいったい何だったのだろうと考えこんでいる技術者がたくさんいます。
小 松 氏

 いかにタイムリーにつくって,打ち上げて,世の中の役に立てるようにするかは,技術だけの問題ではないのです。そういうシステムをつくっていかなければいけないのですが,まだそこまで行かなくてみんなで頭を抱えているというのが実はわが社の現状です。
小 松 技術開発とスピードの問題は大事な問題ですよね。今日,明日,あさって売るものではなくて,3年,5年先,さらに10年先にこの会社が相変わらず魅力的な商品を出していけるような技術アイテムは何なのか,いつも考えます。「選択と集中」と言いますが,あるものが大事だと思ったら,今の時点でリソースを投資しなければならないのです。それが5年先に大事になるから今ほかの手を広げすぎているムダを削るのだと。それが本当の「選択と集中」でしょう。
 企業は,今ある技術で明日,あさって売れるものをつくった方が早くお金を回収できるので,それは確かにいいのです。ただ,広い意味での社会貢献としてはそれは一過性のもので,それだけではやがて会社の価値も落ちてしまうでしょう。うちはベンチャーではないので,やはり長期的な貢献を視点としてもちたい。いわゆる混迷の時代にソニーは何をもって人々に貢献できるかというと,やはりエンターテインメントだというところは変わっていないので,技術開発の方向性もそこにあると思っています。

変化の時代に北大は
──話題を大学の方にもって行きたいのですが,今の時代は,恐竜の時代から哺乳類の時代に移り変わっているような時代だとよく言われます。恐竜は図体は大きいが,その分動きが遅い。哺乳類は体が小さいから,身を守るために知恵を発達させた。企業も大学も恐竜から哺乳類に変わっていかなくてはいけないと思うのですが。

脇 坂 私は各企業のトップの方々にお会いする機会が多いのですが,北大出身のマネージメントトップは決して多くはない。どうしてかと思っていましたが,いまの,恐竜の時代から哺乳類の時代になってきたという話の枠で言えば,もしかしたら北大の教育システムは恐竜の時代に適合していなかったのかなと今ふと思いました。
 恐竜の時代というのは大組織の時代だったと思うのですけれども,アナリストとか投資銀行業務の方の人間とか,個別の力量がなければ生きていけない分野では,北大の人間は非常に活躍しているのです。例えば,アナリストのランキングを日経が毎年4月に発表するのですが,トップアナリストの中に北大出身者がけっこう多いのです。
 今は組織が否定されつつある時代なので,つまり開拓者精神みたいなものがないと生きていけない時代に入りつつあるわけで,その意味ではこれから先は,北大的な能力を持っている人間が有利な時代になってきているのではないかと,漠然とですが思いました。
日 和 北大出身者はよきにつけあしきにつけ,のんびりしている人が多いような気がします。おおらかというか,ガツガツしていない,何とかなるんじゃないのとか。それがこれだけ社会がすごく変化してスピードが求められる時代に合うか合わないかとなると,ちょっと分かりません。社会の変革に強いのか,強くないのか,まだ分からない。
佐々木 それぞれの大学でどんな人材を養成するのかが,これからのセールスポイントかもしれませんね。大学にカラーがあると面白い。
 さきほどソニーさんの「こんな時代だからこそエンターテイメントを提供するというポリシーがあるのだ」という話を聞いて,なるほどと思ったことがあります。人工衛星をつくるのは電機メーカーです。三菱,NEC,東芝。ところが,ソニーは宇宙をやっていない。お金にならないからかというとそうでもなさそう。ソニーぐらいのスピリットがあって,ノウハウがあって,どんどん成長していけるのだから,宇宙もやってくれたらいいのにと思っていましたが,そうか,エンターテイメントという考え方からすると,まだまだ宇宙というのはそこに到達していないのか。今の時代よりもう少しあと,だれもが宇宙に行けるようになる時代になったら,きっと違うんだろう。こんな考え方の違いなのだなと気づきました。それだけその分野に徹しているというのは感心します。

実学とは
小 松 大学と社会の関係を考えるとき,新渡戸稲造の言う「実学」という考え方が鍵になるかもしれません。やはり今の大学は,そういう方向にどんどん行かないとだめなのではないかなと思います。
 しかし反面,北大に言いたいのは,下手な企業にはなってくれるなということで,どういうことかいうと,今のようにすごくモノゴトが変わりつつある時代に変わらないものがある。それは人間を育てていくこと,または人間そのものだと思うのです。
 マーケットや社会の動向が全然読めなくなっていて,モノが実現するタイミングが全然分からなくなっているのだけれども,それをつくる人間,つくる行為を営む人間は変わらないのではないか。
 北大は開拓者精神と国際性と全人教育というスローガンがあるわけだけど,実学を修めて国際的に通用する人間をつくるというそこの部分に立ち返ってくれれば,北大らしさが出せるのではないか。そういう教育をしてほしい。
日 和 僕は少数意見かも知れませんが,実学に走るよりは,やはり何でもいいから4年間で一つ夢中になれるテーマを見つけて,困ったときにどうするか,困難なものにぶつかったときにどうするかというのを,そのとき自分がどう乗り越えていくか,そこの粘りとか,方法とか手段とかを人に頼るのではなく,自分で見つけて行く,そういう教育を求めたいですね。
佐々木 実学の実の部分は,スキルではないみたいですね。人材として役に立つ人,全体のシステムとか,個人で何かぶつかっていかなければいけないタスクとか,それをやり遂げるような,そういう役に立つ人を育てることではないでしょうか。
脇 坂 氏


ビジョンをもつことと発信すること
脇 坂 私の業界でいうならば,ビジョンを立てて実行することがすべてだと思います。いろんな会社を見て思うのは,それを立てられない会社,立てても実行できない会社が多すぎるというのが,恐らく,いま日本の社会が混迷している原因だというふうに思っています。そういう意味で,実学というのは本当にまさにその部分でして,いま投資家の前で自分の会社は何を目指しているかを言えない社長さんがたくさんいます。それともう一つ,立てたらどうやって実行するかを考える力,これがすべてでしょう。
佐々木 どうやったらビジョンをもった人材を育てられるかと考えるのですが,それは刺激を与えるしかないだろうと思います。やはり北海道は刺激が少ないような気がする。刺激が少ないのは競争がないせいかもしれませんが,それでただのいい人で終わってしまうのです。もちろん,せこい意味での刺激をもったら,東京との差が,いい意味での差がなくなって,つまらなくなってしまいますが,東京で勝負しようと思ったら,ある程度は他人の流儀を知る必要があるかもしれません。
日 和 北大は僕たちが入った10何年前というのは,半分ぐらいが北海道以外の人間でした。そういう人たちは憧れて来てましたね,札幌や北大に。もちろん成績もありましたが,かなりのウェートで,札幌という土地への憧れがありました。ですから,そういう人間にとっては,大学へ入ってから刺激が少ない,多いというのは,そんなに問題にならないような気がする。
 ビジョンについて言えば,ビジョンは人から与えられるものでもないし,自分で身につけていくものだと思う。ですから,それを教えるのが大学の役目とは必ずしも思いません。
小 松 他の大学に比べて,北大はいい意味での広告塔がいないようです。北大は確かに人物は出るのだけれど,業界に向けてたえず何かを発信するような人物がでない。
佐々木 率直に言って,大学として何かを発信するという姿勢が足りないかもしれません。宇宙開発事業団との関連でいえば,地球の表面を観測する人工衛星があって,例えば釧路湿原の変化のデータをわれわれがとって,大学の研究者の方がそれを利用されて,研究発表されています。私の関係している分野なので,北大でこういう研究をやっているという情報はよく入ってきます。
 もっと,いろんな分野の方がそれぞれに,こんなことをやりましたというのをどんどんメディアに出していかれるといいのに,と思います。
小 松 でも,この「リテラ・ポプリ」とか,昔に比べればずいぶんと広報活動はされているなと思います。
 ビジョンの話をしますと,企業の掲げるビジョンというのは,うちなんかも連結子会社を含め世界中に18万の社員がいて,その巨大な組織をまとめるためのビジョンなのです。つまり,我々は社員に向けて出すのです。または社会に向けてこんなことをやっていますよというために出す。
 では,大学の打ち出すビジョンは,何に向けて,誰に向けてなのか。大学のビジョンは,学生を集めるためなのか,学界に対してなのか。社会に対して,これからは多分そうなると思うのですけれども,北大はこの部分で貢献していくのですというビジョンなのか。これを考えないと,広報はうまく機能しないと思います。
 教育制度が変わって,これまでと全然違う人たちが入って来ますよね。多彩で優秀な学生を集めるだけの魅力のある場所になってほしい。北大はインフラはあるのです。やることもやられているので,ビジョンがあるのなら,それを早く世の中に出してほしいのです。
加 藤 氏

加 藤 私のころの北大は非常に魅力がありましたね。私は生まれも育ちも千葉で,北大に行きたいなと思って行ったケースです。私は古い時代の恵迪寮にいた最後の世代ですけれども,あの寮には本当に全国から学生が来ていました。

北大らしさとは
──これまでは北大がこう変わるべきだというお話をいただきました。では,変わらないでほしいという部分があれば,それはどういうところでしょうか。

小 松 日本の大学に欠けているのは,起業家を育てる姿勢だとよく言われますが,必ずしもそうではないと思う。全人教育とアントレプレナーを育てるというのは,やはり相反するものだと思うのです。ベンチャー企業を起こして技術を売る人も必要です。全員がアントレプレナー志向では世の中うまく回らないわけで,どういう人間を供給していくかをそれぞれの大学が考えるべきでしょう。
日 和 地の利を生かして,身近な地域に根ざした寒冷地の研究だとか,そういうところにもっと力を入れていけばいいと思いますね。「地の利」とは東京から千キロも離れているということで,いいものは吸収し,北海道でないと研究できないものを独自性を生かしてもっと進めてほしいという気持ちがあります。
加 藤 私が思うのは,北大は決してミニ東大化する必要はないのではないか,そしてわれわれのいたときのようなおおらかさをずっと持ち続けてほしいなということです。学問をやる人間はもちろん来てもらわなければいけないのですけれども,それだけではない人間が集まるような,何かそういう大学であってほしいですね。
日 和 「中央」とは一線を画した部分で,地方ゆえにできる研究,地方ゆえに物申すことがあると思うのです。例えば,地方の新聞社が中央に対して全国紙よりも的確な意見を言うことがあります。そういう存在であってほしい。中央から遠いゆえに,一歩離れた見方ができると思う。厳しい見方もできると思うし,中央の影響を受けないでいることもできる。そうやって,東京から離れていることを逆に生かしてほしいというのを私は常に思います。
脇 坂 私も,型にはまってほしくないなと思います。私が申し上げたトップアナリストの集団もそうですけれども,特異な,いろいろな才能を開花させている方が,けっこう世の中に多いですから。
 ただ,私は一時リクルートにかかわったことがあるのですが,北大生が最近こじんまりしてきたなと感じました。昔のやつはダイナミックだったといったら変なのですけれども,そういうのを取り戻してほしいなという気はあります。
小 松 50%近くがいまも道外からやってきているということですが,卒業しても北海道に残りたいという人間がまわりにたくさんいました。関東や関西に就職しても,最終的には北海道に帰ってくるという例もかなりあります。道外出身者です。それほどやはり住み心地がいい大学であり,地域であるのです。
 その中でいかに中央の企業とつながりを持たせて,そういうところで生きていける人間にするかというのは,北大の大きな課題ではないでしょうか。
 自分たちの子供を入れたい大学としては,断然北大です。ここで青春時代を送らせてあげたいと思います。それだけの環境があり,いい先生方もいらっしゃいます。自分の子供たちが北大に入ったときにやりたいものを見つけられる大学であってほしいと強くお願いしたいです。

──いろいろ貴重なご意見をありがとうございました。

(司会:大平具彦・国際広報メディア研究科長)
北大で学んだこと私の場合
学ばなかったこと


■斎藤松彦 2000年理学研究科(地球惑星科学)博士課程単位修得退学。
2001年学位取得 博士(理学)(北海道大学) 潟宴bク,ネットワークエンジニア。
 私は9年も北海道で過ごしたので,書くことは色々あるはずですが・・・結局,個人的な話になります。入学当時は遠いという理由だけでやって来た北海道で感じる妙なギャップ(なぜか地元の人にちやほやされる)に抵抗感を覚え,少し後ろ向きな気持ちで通っていた記憶があります。
 一つ重要だと知ったことは,対象を記述するという作業についてです。専攻分野では皆で共通に使っている物理や数学の方程式が,その手段に当たりました。「共通」言語ではあるのですが,自分が理解しているより簡単なレベルにまでそれを還元して理解する作業が大切なことだったなと思います。次の新しいことを理解し,それを他人に伝えるためにも。
 自分ができなかったことは,この記述手段を教養・学部の早い段階で十分に身に付けなかったという点です。いい加減に受講していた私も専攻で対象にしていた自然現象に興味を覚え,同時にそれを説明する手段を身に付ける努力を怠ったことを後悔しました。
 月並みですが,様々な人(教官や学生,下宿や飲み屋で会う人など)の話も大切でした。その意味では郊外に分散してある大学と違い,街中にキャンパスがあるのは恵まれていると思います。日々の忙しさの中で,いつか彼らの言葉に応えたいという気持ちは今もあります。

★渡部朝香 1996年文学部(文学科)卒。 岩波書店,編集者。
 私にとっての「北大」は,機会・舞台として思い返され,「北大で」というよりも,「北大で出会った人々」から学んだという方がしっくりきます。人として魅了される先生方にお会いできたことは,そのような「先生」と関わる仕事がしたいという,今の職場を志望する動機となりました。また,舞台装置としての北大が絶好であったことも確かです。第二農場や植物園のようなところへ身を投じられる一方で,展覧会や映画などの都市文化にも接しやすい環境。札幌のほどよい広さは,情報が身の丈で引き受けられ,情報に溺れかねない東京と比して,健康的に感じます。また,北海道に暮らすことで,空間的には東京を中心とした今の日本の状況や歴史的には植民地の問題にまで,視野を広げるきっかけを得られたことも重要でした。
 あえて機構について言うとすれば,私自身は,縦断的にしか選択しえなかった当時の専攻課程には,どこか閉塞感を感じざるを得ず,横断的な教養部の刺激が好きでした。いずれにせよ枠は枠でしかなく,それを越える時間・自由が与えられているのも学生の特権なのだと思います。
 また,一つ,北大の怖さとしては,旧帝大という看板が思いの外に大きく,(とりわけ北海道では)北大至上主義になりかねない傾向があることかもしれません。北大で得た経験を誇ることと,北大という名を誇ることの違いを私自身,自戒しつつ,それでも「北大」への格別な思いがあることは確かです。

■藤家秀一 1998年文学部(文学科)卒。朝日新聞,記者。
 北大に対しては,北大の存在そのもの(キャンパスの環境や札幌や気候など)がすばらしく,多くの人が同じ思いで入学してきているのがよいと思います。愛着心が強いということになりますでしょうか。また,たくさんの学部が一つのキャンパスに同居しているので,特に教養課程の時など自分の興味に応じてさまざまな講義をのぞけたのが新鮮でした。東大が新しく設置する文理類のように,今後文理,学部の枠を超えて単位が取れるようになればいいですね。
 注文をつけたいところは,広報誌の趣旨に反するとは思いますが,当局の姿勢です。学部棟の使用,サークル活動などの悪い管理で支障をきたすことが多かったと思います。出身の文学部に関して言えば,旧研究室がなくなって図書館のようなだだっ広い合同研究室になり,「学部生の居場所がなくなった」と先生方も嘆いています。講義棟で講義を受けて帰るだけになれば,それこそ高校と変わりませんよね。施設の建設など学部内の改変の際には学生の意向を反映するようにできないものでしょうか。

★諸星菜緒 2000年文学部(人文科学科)卒。潟}ザース,TV−CF制作。
 忙しい。今の状況を一言で言えば,これに尽きる。「もういや。」これも,よく言うようになってしまった。大学の頃というのは,どうしてああのんびりしていたのだろう。のんびりすることに時間を注ぎ込んでいたという気すらする。北大に限らないのだろうが,大学の中にはあんなに現実の社会に通用しないものもないというくらい,現実離れした「閉じた」居心地のよさがある。大学のころ,自分は結構前向きな人間だと思っていたが,就職してみると,意外に後ろ向きだった。こんなに仕事が嫌なんて。学生のようにやりたい放題やれるわけはないし,もちろん平日は毎日,仕事に行かねばならない。そんな,親より上の人たちが当たり前のように実行してきたことが,頭では分かっていたのに,いざとなると「いや!」なのである。「やりたくない」「個人の自由」「個性の内」とか本当に言い出すから始末も悪い。私たちの世代(私?)には,戦後日本の経済復興は絶対無理だし,あり得ないに違いない。
 社会が悪いのか,時代か,大学のせいか,北海道のせいか,個人的な問題か。分からないけれども,とにかく,あの北大の中の閉じた居心地の良さ。私の現実社会への後ろ向きさ加減には,あれにも絶対原因の一端があると思うのである。北大は居心地がよすぎるのだ。だから「前向き」という姿勢が身につかない。無重力の世界で,前も後ろもないのだから。

■永井義浩 2000年工学研究科(都市環境工学)修士課程修了。NTTデータ,企画開発担当。
 私が学生時代に大学院重点化がおこなわれ,大学院では大講座(研究領域が近い研究室の単位)の枠内で主専攻・副専攻を専攻するようになりました。主専攻で自分の専門を深め,それを補完し広い知識を養う副専攻を選択するという構成です。学生時代,この主・副専攻制は有効に機能していないと感じました。
 一つの授業では主専攻・副専攻の学生が混在します。副専攻の学生は学部ではなかった学科を越えてある分野を学ぶこともありますが,当然ながらそれを専門としてきた主専攻の学生とは基礎知識に差があります。授業のレベルは先生方の匙かげんですが,その多くは低いレベルに合わせてしまいます。これでは主専攻の学生は,大学院で自分の知識を深めたいという期待を裏切られてしまいます。
 次に副専攻科目の選択ですが,大講座の枠を越えて授業を選択できないのが原則です。たとえば,法学と経済学を併せて選択できないわけです。学部1,2年次には大講座を超えるような広いテーマを学べる講義はありますが,初学者のためのものです。3,4年次に研究室である分野を学んだ学生が目的を持って大講座の枠外の講義に参加できれば有意義であるでしょう。このような主・副専攻制のジレンマを解消してはじめて大学院重点化といえるのではないでしょうか。

★相馬麗佳 2001年水産学部(多様性生物学講座)卒。(財)日本自然保護協会。
 4年間の大学生活の中でも,函館で過ごした2年半は貴重な時間だった。私はキャンパス移行で実家を離れるのを機に,アルバイトと奨学金で生計を立てるという生活を送った。その中で得たものは,限られたお金と時間をどう使うかをじっくり考えるという経験である。やりたいことも,やらなければいけないことも山ほどあるなかで,自分が何を選び,どう行動するかということを慎重に吟味することは,自分がどういう人間なのかを知る作業であったように思う。しかし,心残りなのは,家庭教師のような「割りのよい」バイトばかりを選んだため,多くの人と接したり趣味を広げられるようなバイトをしなかったことである。このような体験は,社会人となった今ではできないことの一つであろう。
 現在,NGO職員として国会議員から小学生まで全国のさまざまな人達と接する機会を得ているが,少なくとも私の場合,社会に出て役立っていることは,大学の講義で得た知識よりも,それ以外の時間で培ったコミュニケーション能力である。社会での即戦力としての専門家を養成する大学が増えつつある中で,北海道大学はスペシャリストだけではなく,ジェネラリストも育つ場であって欲しい。