第十回「有島武郎の家」
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| 札幌開拓の村の「旧有島家住宅」(2001年11月、筆者撮影) |
有島武郎は学習院中等科を卒業後、1896年に18歳で札幌農学校予科第五年級に編入学し、遠縁にあたる新渡戸稲造教授の官舎に寄寓した。翌年本科に進学、学友会誌『学藝會雑誌』で活動し、農学校25周年には校歌を作詞した。小説「星座」はこの時代を題材にしている。1901年、森本厚吉、星野勇三、半沢洵(いずれものちに北海道帝国大学教授)らと共に第19期生として卒業した。 卒業後、入営、アメリカ留学など経て、1908年から17年まで東北帝国大学農科大学教員を務め、主に予科の英語を担当した。この間、札幌独立基督教会、遠友夜学校、社会主義研究会、美術団体「黒百合会」の活動にも中心的に関わったほか、「或る女のグリンプス」(のちに「或る女」に発展)などを執筆した。
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| 札幌芸術の森の「旧有島武郎邸」(2001年11月、筆者撮影) |
教員時代の有島が住んだ家は現在も2軒見ることができる。1軒は札幌開拓の村に保存されている旧有島家住宅である。当時は札幌区白石町の豊平川近く(現白石区菊水1条1丁目)にあり、1910年5月から約1年間住んだ。「生まれ出づる悩み」のモデルとなった画家木田金次郎と出会った家である。 もう1軒は札幌芸術の森に保存されている旧有島武郎邸である。札幌区北12条西3丁目(現北区)に有島自ら設計構想を練って、1913年8月に完成、15年3月に離札するまで住んだ。のちに移築され、59年からは北大の職員寮、大学院生寮(有島寮)として使用された。またこの建物は、黒沢明監督の映画「白痴」(51年)のロケにも使われた。主演した俳優森雅之は有島の長男である。
北海道大学125年史編集室編集員 井上高聡 |