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観光から通信ハブまで
目下、週末は、スキー三昧である。白い粉(雪)に魅せられたかのように、金曜の午後7時過ぎには東京駅から新幹線に乗る。正に、「Thank God. It's Friday」である。そして、山の雪景色は、東京にはない非日常の世界へと誘ってくれる。スキーのために寒さは大歓迎。若い友達と楽しく付き合い、温泉に入り、体を鍛えるということは、高齢化社会にぴったりのスポーツだと思っている。 毎シーズン、北海道に出かけ、ルスツ、ニセコで滑ることを大いに楽しんでいる。ただ、ゲレンデを滑るだけでなく、北海道の雪山をガイド付きのツアーでもできたら、どんなに素晴らしいことかと思う。北海道の冬の自然も大いに観光に役立つ筈である。雪まつりのみならず雪山も観光資源として活かしたいものである。南国の人々は、雪国に文明を見る思いで憧れを持つ。台湾辺りから冬の北海道に観光に来るのも、そのような気持ちからであろう。そのような人々のためにも、もっともっと、広く北海道の観光情報を発信したいものである。
近年、沖縄では、「特区構想」が打ち上げられている。私も、沖縄の地域活性化委員を仰せ付かり、この地域の活性化には大いに関心を持っている。アジアの情報通信ハブはシンガポールと言われているが、沖縄がなれないものかといろいろ提言してきた。わが故郷北海道も、これからアジアの経済の拠点が、南東アジアから北東アジアに移ってくるにつれて、その地域の情報通信ハブになりうる筈である。幸い「サッポロバレー」も盛り上がりを見せている。産学官の連携を強め、北東アジアの通信ハブとして、観光情報の発信を世界に行い、人の交流が拡大していけば、これまでの工場誘致とは全く違った地域の活性化に大いに役立つものと夢が膨らむ。 春の北海道でのスキーに思いを馳せながらこんなことを考えている。
北と南にあこがれて 2002年3月1日。成田を出発して5時間、なつかしいキナバル山が雲間に見え、機はボルネオ島上空に入った。あと2時間でジャカルタに着く。かの地を踏むのはこの旅でおそらく100回を超えよう。 ボルネオ島に行くぞと公言して卒業したのが1964年、住友林業(株)でのフィリピン、インドネシア、マレーシア勤務など「熱帯林との付き合い」は40年近くになる。あこがれのボルネオ島の地をはじめて踏んだのが1965年、マレーシア、サバ州のコタキナバル(当時はジュツセルトン)である。その後、1970年のインドネシア駐在や1983年のサラワク駐在でボルネオ島で生活をし、マハカム河やラジャン河の水を飲むこととなった。私の仕事の前半生は熱帯林の開発、後半生は失われていく熱帯林の再生である。この旅も、熱帯地域での植林をどのように温暖化防止に役立てるかの調査を目的としている。
私は北海道と開拓者精神にあこがれて北大で学び、南にあこがれて長年熱帯で仕事をしてきた。私が南で学んだのは「持続可能な開拓精神」である。後輩諸氏は是非ニュー・フロンティア・スピリットを築いてほしい(ジャカルタにて)。 |