五十嵐 三津雄
いがらし みつお
1963年 法学部卒
KDDI代表取締役副社長

 観光から通信ハブまで

 目下、週末は、スキー三昧である。白い粉(雪)に魅せられたかのように、金曜の午後7時過ぎには東京駅から新幹線に乗る。正に、「Thank God. It's Friday」である。そして、山の雪景色は、東京にはない非日常の世界へと誘ってくれる。スキーのために寒さは大歓迎。若い友達と楽しく付き合い、温泉に入り、体を鍛えるということは、高齢化社会にぴったりのスポーツだと思っている。
 毎シーズン、北海道に出かけ、ルスツ、ニセコで滑ることを大いに楽しんでいる。ただ、ゲレンデを滑るだけでなく、北海道の雪山をガイド付きのツアーでもできたら、どんなに素晴らしいことかと思う。北海道の冬の自然も大いに観光に役立つ筈である。雪まつりのみならず雪山も観光資源として活かしたいものである。南国の人々は、雪国に文明を見る思いで憧れを持つ。台湾辺りから冬の北海道に観光に来るのも、そのような気持ちからであろう。そのような人々のためにも、もっともっと、広く北海道の観光情報を発信したいものである。
札幌国際スキー場(2001年3月)高校のクラスメートと一緒に、バックに日本海が望める。左より2人目筆者

 近年、沖縄では、「特区構想」が打ち上げられている。私も、沖縄の地域活性化委員を仰せ付かり、この地域の活性化には大いに関心を持っている。アジアの情報通信ハブはシンガポールと言われているが、沖縄がなれないものかといろいろ提言してきた。わが故郷北海道も、これからアジアの経済の拠点が、南東アジアから北東アジアに移ってくるにつれて、その地域の情報通信ハブになりうる筈である。幸い「サッポロバレー」も盛り上がりを見せている。産学官の連携を強め、北東アジアの通信ハブとして、観光情報の発信を世界に行い、人の交流が拡大していけば、これまでの工場誘致とは全く違った地域の活性化に大いに役立つものと夢が膨らむ。
 春の北海道でのスキーに思いを馳せながらこんなことを考えている。



小林 紀之
こばやし のりゆき
1964年 農学部卒
住友林業褐、究主幹

 北と南にあこがれて

 2002年3月1日。成田を出発して5時間、なつかしいキナバル山が雲間に見え、機はボルネオ島上空に入った。あと2時間でジャカルタに着く。かの地を踏むのはこの旅でおそらく100回を超えよう。
 ボルネオ島に行くぞと公言して卒業したのが1964年、住友林業(株)でのフィリピン、インドネシア、マレーシア勤務など「熱帯林との付き合い」は40年近くになる。あこがれのボルネオ島の地をはじめて踏んだのが1965年、マレーシア、サバ州のコタキナバル(当時はジュツセルトン)である。その後、1970年のインドネシア駐在や1983年のサラワク駐在でボルネオ島で生活をし、マハカム河やラジャン河の水を飲むこととなった。私の仕事の前半生は熱帯林の開発、後半生は失われていく熱帯林の再生である。この旅も、熱帯地域での植林をどのように温暖化防止に役立てるかの調査を目的としている。
植栽して10年経ったフタバガキ科の樹。
実験林責任者スニヨト氏と共に
(2002.3.8 インドネシア、スブルにて)
 熱帯林がなくなっていく、地球環境の危機だと言われて久しい。熱帯林の減少には様々な原因があり解決は極めて難しい。減っていく熱帯林を甦えらす手だてはないかと始めたのが熱帯林再生の実験林である。この試みは、住友林業が1991年に私が責任者として始め、もう10年以上続いている。インドネシア、東カリマンタン州スブルに実験林を設け、現地企業、インドネシア政府と共同し、わが国の林野庁の支援も受け、研究や植林に取り組んでいる。熱帯林の再生にはその土地の樹を植えることが必要である。この地域ではフタバガキ科の樹木(ラワン)であり、その植林は難しく、熱帯林再生のネックとなっていたが、東京大学造林学研究室との共同研究で成功した。初期に植えたのはすでに直径30p、高さ20mに成長している。植林技術はほぼ確立したが、解決が難しいのは社会、経済面である。地元の人々は年月のかかる森づくりより日々の糧を得ることに当然ながら関心が向く。そこで、取り組んでいるのが社会林業という焼畑農民と共に樹木と作物や果物を共に植えるシステムを根づかせることである。実験林開始当初より取り組んでいるがやっと軌道に乗り出した。
 私は北海道と開拓者精神にあこがれて北大で学び、南にあこがれて長年熱帯で仕事をしてきた。私が南で学んだのは「持続可能な開拓精神」である。後輩諸氏は是非ニュー・フロンティア・スピリットを築いてほしい(ジャカルタにて)。