多 田 光 宏今、話題になっている遺伝子治療とは、生命活動の根幹を制御する治療法であり、癌やエイズ、そして難病など、様々な病気の治療への可能性があります。北海道大学では、遺伝子病の本態を解明し、治療法を開発することを目的とし、2000年4月、北大の輝かしい免疫研究の歴史を継承する免疫科学研究所と医学部附属癌研究施設の統合により、遺伝子病制御研究所が創設されました。ここでの代表的研究として、遺伝子診断・治療の基盤となる、世界にも類を見ない症例数での遺伝子発現データ(遺伝子の活動状況)の解読があげられます。 ヒトのゲノム(全遺伝子情報)には約33億塩基対のDNAにより約4万個の遺伝子に関する情報が含まれています。この情報が伝達者の役割を果たすメッセンジャーRNAと呼ばれる蛋白に転写され、さまざまな過程を経て、細胞の内外で機能を決めていくことになるのです。こうした過程は遺伝子の「発現」と呼ばれます。個々の遺伝子がどのように発現するかは単独で決まるものではなく、遺伝子の発現が他の遺伝子の発現と影響を及ぼし合い、全体としてネットワークを構成しています。細胞間の接触による情報交換、ホルモンや増殖因子等の外部環境からの入力も大きな影響を及ぼします。このネットワークは非線形力学系、いわゆる「複雑系」で、ちょっとした条件の違いで「安定」になったり「不安定」になったりする、予測が非常に困難なシステムです。個々の細胞が「肝臓」細胞や「神経」細胞らしさを保つのは、システム挙動が「安定」な範囲内に収まっているからです。「がん」細胞では複数の重要な遺伝子に傷がつき、機能異常を起こし、性質がばらばらな細胞が勝手に増殖を続けてしまっているのです。 私どもは加藤紘之教授の総指揮の下で、3千例以上におよぶ癌組織について遺伝子発現プロフィールをDNAアレイと呼ばれる技術によって調べ、病気の動き、あるいは治療に対しての反応等との関係をさぐり、癌患者さんの治療選択に役立てようという「がん・アレイプロジェクト」を現在進行させています。このプロジェクト自体が重要であるのはもとよりですが、このプロジェクトを進めるプロセスで以下のような北大独自の先端的研究開発成果の活用と、試みがなされています。 図1 DNAアレイという技術は、遺伝子発現に関する情報を数千以上の多数の遺伝子種について一挙に得る方法で、近年開発されました。これはガラスやナイロンの基板の上に多数の遺伝子を並べて載せ、そこに試料のRNAをDNAに変換して結合反応を起こさせ、その量を蛍光などを利用して測定するものです。プロジェクトでは、北大教官が役員兼業するバイオベンチャーのジェネティックラボ社とによる独自開発のDNAアレイを用いています。このDNAアレイはナイロン膜アレイで、ガラス基板型アレイの弱点である定量性に特に優れたもので、遺伝子発現量の微妙な違いを鋭敏に検出できます。 また、このプロジェクトで測定されるデータ量は膨大です。しかも「複雑系」ネットワークの産物を対象としているので、「転移しやすい」・「転移しにくい」という2つの群を比べても、図1に3次元の模式図として示すように、それぞれが1000以上の次元で複雑にからみあう空間をなしており、従来の統計学的手法ではうまく群間の判別ができません。そこで私たちはデータを適切に加工した後、「ニューラルネットワーク」、「遺伝的アルゴリズム」、「サポートベクターマシン」といった新しいコンピュータ・アルゴリズムによって遺伝子発現プロフィールから特徴を抽出・判別できる方法を研究しています。予備的研究として行った、118の癌細胞株を用いた研究では、DNAアレイデータを遺伝的アルゴリズムを用いて、非常によく分離判別できることが判明し(図2)、臨床症例に応用して、さらに改良してゆく予定です。 図2ここで得られる膨大な例数は世界的にも類を見ないもので、得られる膨大かつ貴重な情報が、日常診療に役立つ日が来ることが期待されています。 |
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研究者紹介 ![]() 多田 光宏 ただ みつひろ 遺伝子病制御研究所 専門は遺伝子診断学 |