加 藤 紘 之

 病いにわずらわされずに生涯幸せに暮せる人は多くありません。体の病気であったり、心の病気であったり、時には交通事故に巻き込まれたり、人間の一生にとって病いはいつしか突然やってきます。この病める患者さんのお役に立ちたいと医師をはじめとする幅広い医療スタッフが日々、英知と精力を傾けています。

 ここでは紙面の都合から、全ての診療活動や研究を紹介することはできませんが、現代医療の発展に大きな貢献をしつつあるフロンティアの中から、まず、近年、先端科学技術が幅広く活用されている領域として、(1)免疫・遺伝子研究成果の活用、(2)人工臓器・再生医療の発展、(3)エレクトロニクス、ITの高度活用、を取り上げました。それぞれにまず北大での主だった動きを概観します。
 そしてこの稿の後に、それぞれの領域における代表的な研究と、北海道のおかれた環境的特質から重要疾病であるエキノコックスへの対応を、詳細に報告します。

T.免疫・遺伝子研究成果の活用
 1980年代から飛躍的に発展してきた分子生物学は免疫・遺伝子の研究を大いに発展させ、近年医療のフロンティアを幅広く切り拓き始めました。
 はじめに北大において国内最初に行われた遺伝子治療のその後の展開をご紹介しましょう。
 体を構成する細胞の増殖・生存に関わる重要な酵素の一つにADA(アデノシンデアミナーゼ)がありますが、それが遺伝子変異のために生まれつき欠損することによって起こる病気にADA欠損症があります。この酵素を欠損すると、免疫の働きの中心となるリンパ球の著しい欠乏状態となります。その結果、免疫不全症の中でも最も重い重症複合免疫不全症を発症することになります。
 北大病院小児科は、このADA欠損症の男児に一九九五年八月から組換え遺伝子を用いて正常のADA遺伝子をリンパ球に導入して投与する国内初の遺伝子治療を成功させました。手術時四歳であった患者さんは通常の日常生活を送り現在、小学校五年生です。しかし、リンパ球の生存期間には制限があるために、治療効果もやがて消失するものと考えられます。
 そこで、患者さんの骨髄血液幹細胞に正常のADA遺伝子を導入して、投与する新たな遺伝子治療が行われており、これによってADA欠損症を治癒させることができるものと期待されます(図1)。

 図1


 ここに紹介した遺伝子診断および治療の研究は現在、人類の死の最大原因である゛癌゛に対しても世界中の研究者が精力を結集しています。後述する多田光宏氏の寄稿を参考にして下さい。
 次に、自己免疫疾患に対する末梢血幹細胞移植療法をご紹介しましょう。
 人間の体の免疫系は、病原体など侵入する異物を選択的に攻撃・排除する機構です。異物であるか否かを識別するこの機構が破綻し免疫系が自己の臓器・組織に障害を及ぼすことで、膠原病に代表される自己免疫疾患は発症すると考えられています。近年の治療の進歩によりこれらの疾患の予後はかなり改善されましたが、まだ完全に治療する方法はなく、また難治性の例も少なくないのが現状です。
 北大病院第二内科では血液疾患を対象に確立してきた技術を基礎に、難治性の自己免疫疾患症例に対してこの治療法の応用を開始しています。
 まだ確立された治療法とはいえない段階ですが、全身性強皮症など治りにくい患者さんの長期的症状改善へ導く方法へと発展させるべく取り組んでいます(図2)。

 図2 

 最新のトピックスとして、第二内科における、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の治療成績に大きな影響を与えているピロリ菌研究の成果について見てみます。また、分子レベルでの研究により、ピロリ菌による発癌機構が解明され癌治療薬開発に繋げようとしています。
 最近の基礎研究において、北大遺伝子病制御研究所の畠山教授のグループとの共同研究の内容が、米国 "Sciences" 誌に紹介され、国内でも社会的に大きな反響を呼びました。ピロリ菌は日本人の多くの人が感染し、胃癌の原因菌とも考えられていますが、ピロリ菌がどのようにして胃癌を引き起こすかはよくわかっていませんでした。最近の研究では、図3のようにピロリ菌が胃の上皮細胞に付着するとピロリ菌のCagAというタンパクが胃の上皮細胞に注入されます。この後、このCagAが胃の上皮細胞内のSH2というチロシン脱リン酸化酵素と結合し、細胞増殖の制御をかき乱すことを明らかにすることができました。この発見はピロリ菌による発癌機構を初めて分子レベルで証明したものであり、新しい胃癌の治療薬の開発につながるものとして、世界的に大きな注目を集めています。

 図3

 この他、後述のように多田先生は、DNAアレイという技術を駆使して癌関連遺伝子情報を同時に1300以上、検出する方法を開発し、癌の診断・治療に大きな貢献を果しつつあります。これには工学系の方々の協力によるコンピューター・アルゴリズムが重要な役割を果しています。

U.人工臓器・再生医療の発展
 心臓・脈管疾患の外科的治療の進歩はめざましく、人工血管、人工弁、ペースメーカーなどの人工臓器を日常的に用いる置換手術が行われています。対象患者も出生直後の新生児から90歳近い高齢者まで幅広く、特に最近は心臓大血管手術の成績向上も相まって、高齢者(80歳以上)の患者、他の合併病変を有する患者さんが増加傾向にあります。このようなハイリスク症例に対しては、術後の生活を考慮した患者さんに対する負荷の低い、いわゆる低侵襲の手術が行われています。一方、小児例に対しても積極的に低侵襲手術を導入しています。最近では胸部大動脈瘤に対するカテーテル(図4)のみによる治療でも良好な成績が得られております。この他、後述するように整形外科領域においては材料化学の応用により、人工臓器、臓器移植そして再生医学へと先端的医療が発展を続けています。

図4
高齢者、ハイリスク症例に対するオープンステント
83歳、男性、肺気腫を合併。過去に2度弓部、胸部下行大動脈瘤の手術を受けている。遠位弓部の68oの大動脈瘤に対し人工心肺使用脳分離体外循環下にオープンステントを施行。現在まで13例に施行し、術後経過良好で全員退院されている(北大病院循環器外科)。

V.エレクトロニクスおよびITの高度活用
 先端医療は、高度なエレクトロニクスや情報技術を用いた計測工学や制御工学、さらに情報科学など、工学・理学の進歩に大きく依拠しています。
 北大では放射線治療に関して世界に先駆けた開発と臨床研究が行われています。癌治療で用いられる医療用電子加速器では、高エネルギーX線を±0.5ミリの精度で一カ所に集中的に照射できます。しかし、いままでいくら加速器側の精度を向上させても、癌の位置は体内の呼吸、心臓、腸の動き等により変動するため、大きめの照射範囲を設定せねばならず、正常組織が余分に被爆し、結果として癌細胞に十分な放射線量を与えられませんでした。この問題を解決すべく、北大病院放射線科は国内企業と共同で「動体追跡放射線治療装置」(図5)を開発し、その技術は日本と米国で特許が認められました。この治療では、ゆっくりとした腸の動きに左右される前立腺癌・子宮癌などはもちろん、呼吸や心拍動で毎秒数pの速さで動く肺癌や肝臓癌でも±1.5oの照射が可能になりました。結果として、肺癌・肝癌では、従来の放射線治療に比べて照射体積は3割程度に減らせることがわかりました。同治療は高度先進医療として厚生省に認められ、3年前から100例以上の患者さんに利用され、副作用と再発率の低下が認められています。
図5
(上)動体追跡放射線治療装置
(下)人体模型で1.5pビームにて肺癌を照射した際に照射される範囲の従来放射線治療法と動体追跡照射法との比較。


図6
 国際誌の表紙を飾る北大病院の動体追跡照射装置
 放射線治療の精度を根本的に変える世界初の治療法として、米国ハーヴァード大学やオランダ国立癌センターなどから共同研究の依頼があり、世界中から同装置の見学者・研修者が訪れています(図6)。コンピューター・グラフィクスの医療への応用はこれからの難病治療に大きな貢献を果すことになるでしょう。また、後述しますが、口腔外科領域におけるシミュレーション技術の応用などにも見られるように、計測・制御等のエレクトロニクス技術そしてITは幅広い形で先端医療技術開発に貢献しています。これらは北海道大学で進められている先端医療研究開発のごく一部でありますが、先述した四つのテーマにつき、専門家に追加詳説してもらいました。これらも含め、本特集で紹介したフロンティアの開発には、その多くが、医学、歯学、薬学等の医学に直接関連する基盤研究部門はもとより、工学、理学、獣医学や電子科学研究所など、総合大学の中でも最も幅広い研究基盤を保有する北大の総合力が活かされています。今後もそれが大きな力を発揮するものと期待されますし、発揮させるべく努力を重ねてまいります。

研究者紹介

加藤 紘之
かとう ひろゆき
医学部附属病院長
専門は腫瘍外科学