「 緑 と 言 葉 」

澄んだ青空の初夏を迎えると,札幌の街も北大のキャンパスも
美しい姿で我々の目を癒してくれるようになる。
地図やガイドブックとカメラを手にした旅行者にクラーク像の前で
ポプラ並木の場所を尋ねられるということも多くなる。
「大学じゃなくてまるで公園のようだ」
と誰もが一度は感じるキャンパスに我々は暮らしている。

大学ではなくて公園のように見える最大の要因は
もちろん広々とした空間と豊かな緑(そして学生の「ジンパ」?)であろう。
しかし,もう1つ大学らしくないところがある。
いわゆるタテカンやビラの少なさだ。
独特の字体が熱情を込めて国家や独占資本主義や帝国主義を糾弾する
今や大学にしか見られないタテカンはおろか,
サークルや各種の活動を宣伝するタテカン,ビラなどもほとんど見あたらない。
わずかにあるそれら(妙に素人くさい字体が御愛嬌だ)に
立ち止まる人間もほとんどいない。
例えば日本のカルチェ・ラタンとも称される
東京駿河台あたりの幾つかの大学のキャンパスを見慣れた眼には,
北大は大学ではないなにかにさえ見えてしまうかもしれない。
 




雪深い時季の長さゆえか,
あるいは美しいキャンパスを汚したくないという学生の「自主規制」か。
キャンパスが広すぎて目立たないだけか。
最近の北大生に目立つ妙に明るいあきらめ気分の混ざった現状肯定や,
大学側の過剰な規制ゆえであるとすれば問題だ。
旅行者には実に快適な空間だが,学生や教官にとってはどうだろうか。
「環境」は自然だけではない。
時に向こう見ずでナイーブなものであれ,
何かを他者に語りかけようとする「言葉」もまた空間を大学らしくする。
思わず建物から敷地へと溢れ出てしまう,
それほど豊富な言葉と熱意を今の北大生・教官は持っているだろうか。
公共的言語に充ち満ちたキャンパスに我々は住んでいるのだろうか。



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