・・・・【 政 策 】・・・・ 災害をいかに予知し防ぐか,
災害からいかに復興するか,人類は知恵をしぼってきた。

人類とはそうして災害から生き延びてきた生物にほかならない。
いま大学が,災害と闘う人知の到達点を発信する。

ありえないことを
どう予想するか
リスク対応に現れる
日本官僚制の特質
山口 二郎
Yamaguchi Jiro


行政を担当するのは役人集団,
専門用語で言えば官僚制である。
この官僚組織は,洋の東西を問わず,
予想外の出来事に対して弱いものである。
官僚組織は明文化されたルールに基づいて
行動するところに最大の特徴がある。

 一定の作業手順に従って物を作る組織のことを考えれば,官僚制の行動の特徴が理解できるであろう。こうした組織は平常時には強みを発揮する。平常時にはマニュアルどおりに物事が運ぶからである。逆に言えば,マニュアルが通用しない状況即ち危機や非常事態を官僚組織は苦手としているのである。

 以上は一般的な話だが,日本の官僚制は特にその傾向が強い。たとえば1995年1月の阪神大震災に対する初動の対応には様々な不備があった。スイスから瓦礫の下にいる人間を探すために警察犬が派遣されたが,厚生省(当時)の出先機関が,検疫が必要という理由で犬の入国をすぐに認めなかったという話まで飛び出して,日本の役所の硬直性が世界の笑いものになった。狭い意味の自然災害に限らず,突発的な事故や異常事態を目の当たりにすると,日本の官僚は思考停止状態に陥る。今年5月に起こった,中国瀋陽の日本領事館において亡命を希望して領事館内に入った北朝鮮人家族を中国の警察が敷地内に侵入して連行した事件にしても,平時の作業要領にない事態が起こったときの官僚の判断力,行動力のなさを物語っている。

 他方で,日本の行政は災害のリスクに対してきわめて敏感でもある。最近防災のための公共事業の妥当性,必要性について論争が絶えない。愛知県,三重県の県境にある長良川河口堰,長崎県の諫早湾干拓,熊本県の川辺川ダムそして徳島県の吉野川可動堰など,その必要性について大きな批判を集めている大規模公共事業は水害を防ぐと称して建設された,あるいはされようとしているものである。これらの事業を立案した建設省(現在の国土交通省)や農林水産省の官僚は,数百年に一回という超大規模な洪水を防ぐためにこれらの施設を建設すると主張する。建設に反対する市民がそうした非現実的な前提で施設を作るべきではないというと,国民の安全を守ることが行政の使命だと官僚は言う。国民の安全のためにまじめに仕事をしている官僚にけんかを売りたいわけではない。しかし,諫早湾干拓の事例など,干拓が有明海の生態系破壊という別の災害をもたらしていることはほぼ明らかであり,防災を大義名分にすればどんな巨大公共事業も可能という今までの行政のあり方に疑問を呈したいのである。

 日本の官僚制が持つリスクに対する一見相反する特徴をどのように理解すればよいのだろうか。その根底にあるのは,自己正当化へのこだわりと現実からの逃避だと思う。前者のほうから考えてみよう。異常事態に対して敏速,柔軟な判断ができないのは,行政の現場に判断の主体がいないからであり,より上位の監督者に対してお伺いを立てるからである。また,上位者からの指示が得られない状況では,ルールを形式的に守ることで事態に対処しようとする。件の警察犬の場合についてみると,本省のしかるべき地位の人からあらかじめ「検疫を省略してでも犬の早急な入国を優先させよ」という指示があったとすれば,なんら問題は起きなかったであろう。しかし,この場合出先の検疫所の係官は,そうした事前の指示なしにいきなり自らが決断しなければならない事態に迫られた。その時,係官の判断は,何よりも検疫なしで動物を入国させたという形式的違法行為の責任を回避することに向かったようである。そのために,生き埋めの人を少しでも早く救うという目的は,残念ながら二の次とされる結果となった。他方で,役所が災害のリスクに過敏になるのは,おうおうにして何かが起こったときに後で行政の怠慢という非難を受けるのではないかと恐れるからである。

 現実からの回避という性質は,政策を作る仕組みに関わっている。日本では,仲間内の閉じたコミュニティで政策を作る傾向が強い。ダムでも干拓でも,関連する専門家と官僚が政策を決め,外部の目は届きにくい。そこでは,どうせ作るなら金に糸目をつけず,最高,最大の施設を作ろうという意欲が発揮される。もう少し安上がりで,環境に対する影響も小さい手段はないのかといった観点の議論は存在しない。その結果,政策立案者にとって都合のよい現実だけで世界が構成され,都合の悪い現実は排除される。諫早湾の干潟を干し上げれば海の生態系を破壊するということは,漁師の直感で分かるのだが,そうした現実は政策決定過程には反映されない。

 私の結論は簡単である。過去の災害事例を歴史として残し,関係者がその歴史を尊重することが大前提となる。そして,現場の職員がいざという時には法令知識に縛られる行政官としてではなく,生存本能と常識を持った市民として行動することが必要である。また,現実的な災害対策のためには,行政外部の非専門家の参加が必要である。こうした改革は迂遠に見えるが,日本の行政を危機に強いものにするためには不可欠である。

法学研究科教授



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