![]() 霾る黄河の政治学 |
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| だれもがご存じの小説『西遊記』には,孫悟空とあまたの妖怪どもとのたたかいのさまが,えんえんと書かれております。そんな妖怪どもの一匹,に住む魔王もなかなかに手ごわく,師匠の三蔵法師をさらったあげく,孫悟空の加勢にかけつけた諸神の得物をもことごとく巻きあげるしまつ。火攻めにもへっちゃら。ならば水攻めはいかがとて,孫悟空は黄河の水伯にたのみにいきました。 すると水伯,おもむろに袖のなかから白玉の小鉢をとりだし,それに半分だけ水を入れ,魔王の洞に注いだのですが,あらら,洞外にあふれだし,野も山も大洪水。じつは,その小鉢半分の水とは,黄河ぜんたいの水の半分の量だったのです。 |
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| このはなしの顛末はさて措き,この一見たあいもない,荒唐無稽なエピソードのなかにも,中国人の神話的な地理観の奥のふかさや,現実のきびしさが秘められております。神話的な地理観について語る余裕はありません。ただひとつ,中国の古地図に見える黄河の源流には,いつもひょうたんが描かれているということだけは指摘しておきましょう。ひょうたんも水伯の小鉢も,宇宙的な容器であること申すまでもありません。 | |||||||||||
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| そしてさて,黄河の現実のきびしさでありますが,ここでは孫悟空をもふくむ天界の秩序維持のためにたくらまれた黄河半分の洪水が,の魔王というローカルな政治力に負けたということになりましょう。 災害とは,基本的にローカルなものです。ローカルといっても,黄河だの長江だのがひきおこす洪水の被害地ときたら,時あって日本をまるごと蔽いつくしてしまうほどでしょう。なにしろ,長江は世界でも第三の,そして黄河は第七の大河なのですから。それでも,あのひろい中国では,たとえば華南の人びとが黄河の大洪水をまったく知らぬまますごしている,といったこともおきるのです。 とはいえ,天下を統べる天子が,「ローカルな」災害を「知らなかった」ではすまされません。古代の殷王朝(前一六〇〇年ごろ〜前一〇二七年)にさきだつ伝説的な夏王朝の始祖が,治水の功により天子の位を禅譲された禹であるとされるのは,その意味でまことに象徴的です。政治の「治」とは,「水を治める儀礼をいう字」(白川静『字統』)だったのです。いいかえれば,ローカルな災害を国ぜんたいの問題としてかんがえ,治めるという理念をもった政治の登場,ということになりましょうか。 理念はそうですが,現実には,ローカルな災害は,治めるより秘しかくされることも多いようです。あたらしいところでは,一九七六年,二十数万人もの死者を出した唐山地震は,当時はまったく発表されませんでした。その年の秋の毛沢東の死とあわせかんがえると,凶兆は知らしめずというのも,政治の一側面だということがよくわかるはずです。 ところで,黄河は洪水をひきおこすだけではありません。みずから水を干あがらせる「断流」現象をもひきおこします。記録では紀元前五世紀ごろからしばしば見られ,十四世紀明以降はかなり頻繁におこっていますが,二十世紀後半からは深刻です。どうやらここ二,三年は恒常的になっているようです。でも,それについての中国政府の発表は,あまり正確ではありません。極端な水不足ひいては電力不足が,やがて都市化のすすんだ地域の人びとを襲うであろうことは目に見えているのですが。 黄河の異常は,しかし,日本にも飛来した黄砂からも推測できました。黄土地帯の黄土が黄河に流れこんで堆積し,洪水をひきおこす。やがて「断流」すると,なにもかも舞いあがり,「黄霧」となり,「つちふる」つまり土が降る「霾」となって海を越えるのです。 地上のローカルな現象としての災害は,こうして天にいったんのぼってから,よりひろい地上に回帰いたします。こうなっては,水を治めるだけではない,天をも見わたす政治が待たれるはずです。 |
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| いったんは孫悟空はじめ天界の諸神に勝ったに見えたくだんの魔王のローカルな政治力も,最後は天界の秩序ないし権威というやつに屈したのでした。でも,この予定調和的な収束のしかたは,現実の災害政治学にはあてはまらないようですね。 | |||||||||||
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