![]() |
同 窓 生 は 語 る |
![]() |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
| この仕事についてもう20数年になりますが、最近、「裁判が長すぎる」という批判と司法改革論議を受けて、とみに審理迅速化への要請が強くなっています。 3人程度の証人を主尋問・即日反対尋問で1日で証拠調べを終えるというパターンで、これが連日入ることもめずらしくありません。審理を効率化するために陳述書の提出が求められるので、その作業も入ります。事件処理の回転が早まる分だけよくなるという人もいますが、とくに労働事件や差別・暴力などの人権侵害事件では、弁護士の労働密度は高まるばかりです。 また、「事実なのだからそれをそのまま表現すればよく、それほどの努力を必要とするのはおかしい」「真実であればもっと早い段階から提出できるはず」といった意見もありますが、当事者が経験した事実や被害を言語化して可視化する作業が、とても困難で時間がかかることを否定できるのは、暴力にも差別にも曝された経験のない高等教育を受けたエリートならではのことでしょう。 教育の機会が等しく与えられて同じ言語能力を身に付けていても、差別や暴力を容認してきた社会のなかでは「説得可能な言語」の力は、被害者と加害者とで圧倒的に加害者に有利です。 そして、つくづく実感させられることは、自己の正当性や問題の所在を究明するためには思考しなければなりませんが、そのためにも言語の力を持たなければならないということです。「差別などしていない」「愛し合う男女の間で暴力などあるわけはない」という事実の否定に挑むエネルギーを持ち続けることも大変なことです。 膨大な情報=証拠を握っているのにその企業の立証責任や証拠提出責任も認められていないことが、差別を訴える側を過酷にします。情報と言語の実質的な力の格差があるところでは、審理の迅速化は必ずしも人権と民主主義(それは裁判の究極の目的であるはずですが)に資するわけではないのです。この力の格差を埋める役割を果たすのが弁護士の仕事なのでしょうが、そのためにも一定期間本当の学問をしたいと思う今日このごろです。 |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
| 私たち北大探検部では昨年の冬、3年半ぶりの海外遠征を行いました。北方諸民族が過去に交易路として利用していた湖を徒歩にて横断。間宮海峡とアムール川を結ぶこの交易路が、冬にも使われていた可能性を示すことができました。 荷物をそりに乗せ、足にはスキーを履き、タイガの中や氷の上を歩いて移動。氷点下マイナス30℃の中でキャンプをしたり、湖岸に点在する村々でお世話になったり…。挙げればきりがありませんが、普通の旅行では得ることのできない大変貴重な経験ができたと思います。 構想段階から含めると約1年。もちろんいろんな苦労もありました。苦労が大きかった分、実現したときの喜びも大きかったとも言えなくはありませんが、今にして思うとその苦労にこそ価値があったように思います。 人間、エネルギーの総量と与えられた時間は決まっています。よく「勉強しない大学生」という言葉を耳にしますが、確かにそれは誉められたものではないでしょう。ただ、もっと誉められないことはその時間とエネルギーを無駄に浪費することだと思います。勉強もしないどころか、遊ぶことにすら一生懸命になれない。
私たちの探検部はかなり自由度の高い集まりです。別に非公認だからというわけではありませんが、誰からも強制されず、自分の意志のもとに行動することが原則です。それだけに楽をしようと思えばいくらでもできるのですが、反面、だからこそ全力で楽しむ能力が問われる場所でもあります。 非公認とはいえ探検部という名前を背負っている以上、人の用意したものに乗っかるような真似はしたくない。誰もがやるような、ありきたりな楽しみじゃ満足したくない。そんな中から生まれたのが、今回のロシア遠征だったのだと思います。 「楽をする」と「楽しむ」。 字は同じですが、全く逆の意味も含んでいるのではないでしょうか。
|
||||||||||||||