鉄は、地球表面での存在量が約5%で、5番目に豊富な元素です。しかし、最近の研究結果から、外洋表面水は地球上に存在する水の中で最も鉄の濃度が低い水であることが明らかになってきました。
さて、鉄は、我々人間にとって必須金属で、一人あたりおよそ5gの鉄を含んでいて、ほとんどが血液中のヘモグロビンというタンパク質と結合しています。同じように、光合成によって有機物を生産し、海洋生態系の基盤を成す、直径1ミリメートルにも満たない小さな植物プランクトンにも鉄は必要です。
ところで、この十年間、海洋学分野で最も活発に議論されてきた話題のひとつに、「窒素、リンなどの栄養塩が豊富であるにもかかわらず植物プランクトンが少ない海域があるのはなぜだろう」というものがありました。南極海、赤道湧昇域、北部北太平洋(北太平洋亜寒帯域)が、この注目の海域です(図1)。昨今、地球温暖化が社会問題化していますが、実は海の働きが重要な鍵を握っているのです。というのも、石油、石炭などの化石燃料の燃焼による大気中の二酸化炭素の増加が、温暖化の原因だと考えられており、その二酸化炭素の一部を海中の植物プランクトンが光合成で吸収しているからです。最近の見積りでは、人類活動に起因して年間70億トンもの二酸化炭素が放出され、海洋はその約30%を吸収していると言われています。ところが南極の氷の分析から氷河期には大気中の二酸化炭素濃度が低かったことがわかっており、このため気温も低かったと考えられるのですが、当時は植物プランクトンの光合成量が今より多く海洋はより多くの二酸化炭素を吸収していたのだと推測されているのです。
さて、同じような氷の分析研究から、植物プランクトンの光合成量の変化は、陸域から供給される鉄の量に依存していたことが明らかになりました(図2)。つまり、先ほどの海域で、プランクトンが増えられない原因は、鉄であるとの仮説が出されたのです。そこで、実際の海洋に鉄を散布して、海洋生態系がどう変化するか、また二酸化炭素吸収効果がどう変わるかを確かめる実験が、2001年から日本の海洋学者を中心に北太平洋で行われました。実験では、25mプールに耳掻き一杯ほどの極微量の鉄を10km四方の海面に添加して、生物の応答を二〜四週間にわたり観測しました。その結果、南極海や赤道域での実験結果を凌ぐ植物プランクトンの増加と二酸化炭素吸収の促進効果が確かめられました(図3)。二酸化炭素濃度は、実に産業革命以前の値以下にまで減少したのです。
この私たちの研究は、海洋生態系において鉄はどのような役割を担っているのかといった疑問に答えるとともに、将来、大気中の二酸化炭素を減少させる方策として海洋に鉄を散布することを検討する際、その効果と海洋生態系に与える影響について正確な情報を提供する事も目的としています。海洋研究は、自然を相手にしていることから多くの困難を伴います。地球上で最も低い表層水中の鉄濃度が最近になってようやく測定できるようになったのも、船を始め周りが鉄だらけの環境で細心の注意と工夫を行った結果です。2001年の鉄散布実験を行った際に乗船していた15名の研究者の内、北大出身者が実に10名もいました。これはこの分野では北大が先駆的であることを象徴しています。海は宇宙と並んでラストフロンティアと呼ばれ、これからの環境問題や食糧問題などを考える上で極めて重要な研究分野であることから、21世紀に大きな発展が望まれています。 |
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図2
南極ボストーク氷床コア中の二酸化炭素(CO2)と鉄濃度変化。氷河期には、鉄濃度が高く、二酸化炭素が低い。逆に間氷期には鉄濃度が低く、二酸化炭素が高い。(原画を一部改変)
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図3
4回の鉄濃度調節実験のクロロフィル濃度(植物プランクトン量)の変化の比較。SEEDSが、2001年の北太平洋の結果
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| 水産科学研究科 助教授 |
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