巨大卵塊を生むスルメイカ
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図1 スルメイカの卵塊(産卵時間後、直径80cm、中に約20万個の卵が入っている)。
左上図:ふ化直後の幼生(全長1.1mm) |
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寿命一年のスルメイカ(別名マイカ)は日本列島に沿って回遊し、夏から秋に北日本周辺の海で成長し、秋から冬に対馬海峡や東シナ海で産卵して死亡するという生活史を毎年繰り返しています。初夏から晩秋にかけて、北海道の夜の海と空を照らす漁火(いさりび)は、このイカを釣る漁船の灯りです。過去五十年間の漁獲量は十万トンから七十万トンと大きな変化をしていますが、寒冷な年が続くと資源は減少し、温暖な年が続くと増加することが私たちの研究から明らかになっています。おそらく、親から子への世代交代である産卵からふ化までの再生産過程が、海洋環境の温暖・寒冷によって成功または失敗している可能性があります。スルメイカは直径80cmほどの透明な卵塊(内部に直径1ミリ弱の卵が約20万個存在)を生みます(図1)。まるで水中に漂う巨大なシャボン玉のようです。透明なゼリー膜に覆われた卵塊は極めて弱く、壊れると内部の卵はバクテリアや食害性動物プランクトンに捕食されて全滅します。ここでは気候変化に応じて資源としてのスルメイカが増減する、そのプロセスとメカニズムを紹介します。
資源は寒冷期に減る
スルメイカは一年中どこかで産卵していますが、資源を支えているのは秋・冬生まれ群です。大不漁年が続いた1980年代には冬生まれ群が極端に減り、秋生まれ群のみとなりました。逆に、1990年以降の豊漁期には秋・冬生まれ群がともに増えています。北海道周辺でのスルメイカの漁獲からみると、不漁年では初夏から九月くらいまでは漁があったものの、十月以降はさっぱり獲れないという現象をおこすことになります。この現象は、冬生まれ群の再生産の失敗が原因と考えられます。冬生まれ群の産卵場は東シナ海の大陸棚斜面に沿った長崎県五島列島から鹿児島南東の薩南海域と呼ばれる場所です。80年代は日本周辺の海洋環境は寒冷期、90年代は温暖期に相当していました。私たちは、長年の水槽での産卵・人工授精実験と水中ロボットカメラによる天然卵塊探査から、「スルメイカの産卵海域は、水深が100m〜500mの陸棚から斜面上の表層暖水内であり、水深50m水温が15〜23℃の範囲にある」という再生産仮説をたてました(図2a)。この再生産仮説に基づいて、秋・冬生まれ群の産卵海域の季節・経年的変化を調べました。その結果、80年代の寒冷期には冬生まれ群の産卵場は東シナ海の南の方に偏り、狭い海域となっており、逆に、90年代以降の温暖期には、冬の産卵場は対馬海峡まで拡大して秋の産卵場と重なっていました。つまり、寒冷期には秋から冬の産卵場が北から南にどんどん移動して範囲も狭くなり、温暖期には対馬海峡を挟んで秋-冬の間も重なって広がっていることになります。
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図2a スルメイカの産卵と卵塊が中層の水温躍層に滞留する再生産仮説。卵発生適水温は23℃、産卵直後の雌は必ず海底に座り、産卵時に表層に上がって産卵すると仮定(飼育観察から)。冬の季節風が弱いと水温躍層が発達し、卵塊は壊れないため、たくさんのスルメイカ幼生が生き残る。
図2b 冬期季節風が強く海面気温が低い場合の再生産仮説。水温躍層が深くなって、一部の卵塊は海底まで沈み壊れてしまう。 |
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風が吹けばスルメイカが減る?
それでは、なぜ80年代の寒冷期に冬生まれのスルメイカが激減してしまったのでしょうか。産卵に適した水温の海水は東シナ海と日本海でも海の表面を覆っています。この表層の暖かい海水と底の方の冷たい海水の間には水温躍層と呼ばれる境界面があります(図2参照)。もし、スルメイカの卵塊が中層の水温躍層付近にとどまることができれば大量ふ化に成功し、逆に海底まで躍層がなく卵塊が海底に沈んでしまうと壊れてふ化に失敗するというメカニズムが成り立っているとすると、冬季季節風の強さや海表面からの冷却などによって深さが変化する季節的水温躍層の経年変化の解明が重要となります。研究グループの一人、山本潤助手(北方生物圏FSC)は、産卵海域の季節的水温躍層の発達状況とふ化直後のスルメイカの幼生分布を調べ、中層に水温躍層がなく卵発生に適した水温の海水が海底まで達している場合には、ふ化幼生が出現しないことを明らかにしました。つまり、海底まで躍層がない場合には、卵塊は海底まで沈んで壊れてしまい、発生途中の卵からの幼生のふ化が失敗する可能性が高くなります(図2b)。図3は、東シナ海の産卵場(陸棚斜面)における海上風の強さと海面気温、および冬生まれ群の漁獲量との関係を示しています。冬生まれ群の漁獲が著しく低下した80年代半ばまでは、季節風は強く気温も低く、その後80年代後半からは、風は弱くなり気温も上昇しています。冬生まれ群の漁獲量は、風が弱く、気温が上がり始めるのを追いかけるように急激に増えています。この図から、冬生まれ群の産卵場に強風・低温が続くと資源が減少し、弱風・高温が続くと資源が増加するという関係がうかがえます。冬季の温暖・寒冷という気象変化は、産卵場における水温躍層の深さの季節・年変化をもたらし、スルメイカの再生産過程を通した資源変動を誘導している可能性が強く示唆されます。
つまり、海の上、表面、中のダイナミックな関係がスルメイカの数に現れているというわけなのです。
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図3 2月の東シナ海中央部における海上風の速度(北西季節風)と海面気温、およびスルメイカ冬生まれ群の漁獲量の推移(年移動平均)。80年代半ばまでは、風は強く気温も低い。その後90年始めまで風が弱まり、気温が上昇し、これを追うように冬生まれ群のスルメイカ漁獲量が増加している 拡大図→ |
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