角皆 潤
Tsunogai Urumu

図1 熊野灘の「泥の山」の海底地形図。(第五および第六熊野海丘;海洋科学技術センター提供・「よこすか」YK02-02航海関係者協力) 拡大図→

写真1 熊野灘の「泥の山」山頂部の海底写真。(第五熊野海丘;海洋科学技術センター提供)
 
この山は三重県尾鷲市から南東へ40kmほどの場所に立っています(図1)。山裾からの高さが200m程度 、径が1km程度の山が二つ、寄り添うように立っています。両方を合わせてだいたい藻岩山程度の山です。もし海水がなければ名古屋から日帰りで行ける程度の場所なのですが、残念ながらこの山が立っているのは深さ2000メートルの海底で簡単には行けません。山が出来るのには理由があります。富士山が出来たのは火山が噴火したからです。ヒマラヤ山脈が出来たのはプレートとプレートが衝突して地形が盛り上がったためです。ではこの山は?

 かつて水深数100メートルを超える深海底は、陸から降った泥が溜まっているだけのひたすら平らで空虚な場所だと思われていました。しかし19世紀中頃から電話の海底ケーブルが深海底に敷設され、それが度々断線事故を起こすに及んで、海底の地形が人々に関心を持たれるようになりました。最初は船から錘をつけたロープを垂らしてこれがたるむのを目印に、そして近年になってからは船から発信した音波が海底に反射してから戻ってくる時間を頼りに海底の深さを計測します。そして計測した海の深さをつなぎ合わせることで海底の地形を求めることができます。その結果海底は複雑な地形をしていて、例えば地球をほぼ一周する大火山の山脈があったり、あるいは深さ5000メートル超える大峡谷があったりすることもわかりました。海底ケーブルのおかげです。

 図1で紹介した山も音波を用いた海底調査のおかげで見つかりました。ただしそれはほんの5年前のことで、それまではこんな(海底調査のレベルから見れば)小さな山は存在することすら知られていませんでした。ではこの山はどうやって出来たのでしょう?ここでは火山活動は考えにくく、またヒマラヤ山脈のような地形とも違います。

 手っ取り早いのはどういう物質から出来ているか調べてみることです。そこで船から器具を降ろし、山体の一部を回収して分析してみました。意外なことに普通に海底にある泥でした。ただ違いがあるとすれば周囲の普通の泥よりちょっと固め、そしてちょっと古めでした。次に実際どんな山か目で観察することにしました。素潜りでは無理なので「しんかい6500」という潜水調査船を利用します。その結果山頂で面白いものを見つけました(写真1)。シロウリガイと一般に呼ばれる二枚貝の群集で、化学物質をエネルギー源とする貝(正確には化学物質をエネルギー源としている微生物を体内に共生させる貝)でした。

 次にこの貝群集の周囲で水を採取して分析してみました。すると天然ガスの主成分でもあるメタンが普通の海水より10倍以上も多く含まれていることがわかりました。どうやらこの貝の下にはメタンを含んだ水が存在していて、それが海水中に漏れだしているようです。メタンが海底下に存在していることは決して珍しいことでは無いのですが、このメタンは普通の海底に存在するものとはちょっと違うもので、生物の死骸などが熱で分解した時に出来るメタンであることが解りました。熱分解でメタンが生成するためには少なくとも50℃以上の環境である必要があるので、普通の海底(3℃程度)では生成しません。

 この山を構成する泥は海底の下の方、だいたい1kmくらいは下にかつて埋まっていたものが地層を押しのけて海底まで噴き出したものであることが解りました。でも海底下1kmに埋まっていた物質を海底まで持ち上げるのは容易なことではありません。それが一瞬で噴き出したのか、あるいは長い時間をかけたのかも解りません。さらに山頂部で見つかったメタンに富んだ水は海水より塩濃度が低い「甘い水」であることも判明しましたが、これもどこから来たのか解っていません。ただ海底の下では泥や流体が激しく動くことがあることだけは間違い無さそうです。

 近年メタンと水が海底下の低温・高圧環境で形成するメタンハイドレートというメタンガス濃縮層が、将来の燃料資源として、また過去の地球環境を激変させた犯人として、注目を集めています。泥の山と海底メタンハイドレートは自然界における成因や分布などどちらにも未解明の点が多く、現段階では相互の関係は不明です。しかしどちらも沿岸の深海底に現れる現象である上に、泥の山を構成する物質がメタンに富む堆積層深部から上がってきたという事実は、一方が他方の原因になっている、あるいは両者が兄弟のような関係にある可能性が高いことを示すものです。当初は理学的知的好奇心的に始まった泥の山の研究は、研究実行の世間的大義名分を得てがぜん盛り上がりました。

 その後の調査で同様な地形はこの海域に限らず日本中の様々な海底に存在していることがわかりました。それがこの山と同種のものかそれとも別物か興味が持たれる所なのですが、調査を開始しようとして困った問題に行き当たりました。新しい調査ターゲットのすぐそばを海底ケーブルが通っていたのです。いまや日本の近海には網の目のように海底ケーブルが(傍目にはかなり無秩序に)張り巡らされています。海底のケーブルの周囲では海底調査は出来ません。万一切ってしまったら一生給料を返上しても弁償出来ません。かつて様々な意味で海底調査を強力に後押ししてくれた「同志」海底ケーブルが今度は調査の障害になってしまいました。思わぬ伏兵の出現に作戦を練り直しているところです。

理学研究科助教授




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