札幌市北区北24条西8丁目、商店と住宅が並ぶ通りに、古びた門柱2本が残っている。表札には「札幌飛行場」と書かれている。 札幌飛行場は1933年8月、北海タイムス社(現北海道新聞社)などが郵便輸送を行なうために設置した。34年8月には北海タイムス社が札幌・旭川間の定期郵便航空を、37年には日本航空輸送株式会社が札幌・東京間の定期便を就航させた。やがて、国策会社への統合、札幌飛行訓練所開所が行なわれ、戦争激化と共に民間航空事業が停止され、軍用飛行場への改組・改修が進められた。札幌飛行場は、農学部附属農場敷地と隣接しており、戦中戦後の北大と少なからぬ関わりを持った。 1936年10月、北海道において陸軍臨時大演習と行幸が行なわれ、大本営・行在所は北大農学部に設置された。6日の観兵式、8日の親閲式はともに札幌飛行場で行なわれ、北大の学生生徒が参加した。10月20日付け『北海道帝国大学新聞』は観兵式の様子を、「大演習の最後を飾る大観兵式は6日札幌飛行場に於いて天皇陛下(昭和天皇―引用者注)臨御のもとに挙行された、この日良く晴れ渡り式場を取巻く十数万の拝観者は皇軍の威気堂々たる様に感激し本学学生生徒の殆ど全員も午前3時より早くも拝観のために式場に入り、非常に良き場所をあてられたため御閲兵中の御馬上の陛下を拝観し感激のうちに解散」と大仰に伝えている。 また、1941年10月に開所した札幌飛行訓練所では北大生有志も訓練を受けているほか、札幌飛行場改修のさいには北大学生生徒も勤労動員された。終戦後は、進駐軍が飛行機を焼却処分し、札幌飛行場は閉鎖された。その跡地に食糧確保のため北大生が耕作を行なっている。 現在、2本の門柱の脇に飛行操縦士をかたどった風雪の碑がある。羊ヶ丘展望台のクラーク像で有名な彫刻家坂担道の作品である。 北海道大学125年史編集室編集員
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