ゲルの不思議
伊藤 先生は生体高分子学分野でご活躍ですが、ご専門についてお話しいただけますか。
長田 私は生体高分子設計学講座に所属してそこでずっと高分子の研究をしてきました。生体高分子とは、糖やたんぱく質など自然界の高分子のことで、そういった高分子や合成高分子を使ったゲルの研究をしています。
 物質にはふつう、固体・液体・気体という基本的な3態がありますが、ゲルはその3態のどれにも入りません。しかし、骨や歯を除けば、われわれ生物の基本物質はすべてゲルでできているのです。興味深いでしょう。
 いまライフサイエンスの時代といわれ、生物組織の研究が重要とされるのに、ゲルのサイエンスはたいへんむずかしいのです。私たち生物の身体の基本物質はおろか、コンニャクや寒天すらその物性をはっきりと説明することができない。まだ物質観の概念の入口にいる状況なのです。
 ゲルの研究が総合的に進めば、物象や構造などの面でライフサイエンスが格段に進歩します。そうした観点から、私たちは人工筋肉や摩擦現象などを研究しているわけです。
伊藤 私たちの体がゲルでできていることを初めて認識しました。
長田 ゲルは身近によくあるものですが、生物の主要な構成要素として考えたときに、とても不思議で重要なテーマとなります。
 たとえば、脳のなかには太さが5〜6ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)の毛細血管が無数に走っていて、そのなかをやはり5〜6ミクロンの赤血球そして白血球、血小板などが数珠つなぎで流れています。たんぱく質も溶けていますから粘性も高い。なのにそんな細いところを、どうして血液がスイスイと流れるのか。血管が少しでも詰まれば、脳は脳溢血などを引き起こしますから、この研究は大変重要です。
 しかしこの問題は、鉄やガラスのパイプに水を流して実験し、流体力学の観点から解明しようとしても無理なのです。流れのメカニズムが基本的に違うからです。ゲル状態にある血管の内側は内皮細胞が覆っており、ゲルの研究をしなければ問題は解けないのです。
 コンニャクを押すとへこみますが、動きません。それ以上へこまなくなったところでさらに押すと、急にスッと動き出します。このようにゲルには粘性と弾性の両方の性質があり、これが問題をむずかしくしているのです。
 固体は変形がないし、液体もニュートンの原理で簡単に説明できます。しかし、ゲルは厄介だからと研究をやり残しているのは、サイエンティストの怠慢でしょう。ぜひ、若い人に研究に加わってほしいですね。

      モスクワ大学へ留学
伊藤 先生は1967年からモスクワ大学の大学院でご研究されましたね。ソ連がまだ健在だったこの時代、社会主義国への留学は日本では珍しいことだったのではありませんか。
長田  早稲田大学に大学院まで在籍しましたが、この大学は永年、姉妹校としてモスクワ大学との交換交流がありました。その頃早稲田紛争という学生運動が起き、私たちは卒業式も大学院の入学式もできない混乱状況になりました。大学がそのようにゴタゴタするなか、高分子国際会議が東京と京都で開かれたのです。
 私も参加したのですが、そのとき彗星のように現れたのが弱冠32歳のモスクワ大学教授カバノフさんでした。当時でもノーベル賞にふさわしいほどの方で、素晴らしい講演で一躍世界の寵児になった人です。講演を聴いて、天才というのはこういうものだと思いました。学問はこうやって勉強するものか、研究とはこうやるものかと、目からウロコが落ちる思いでした。それで他の先生方と一緒にモスクワ大学に行き、カバノフ研究室に入ったのです。三つの出来事のどれ一つが欠けても、いまの私はなかったと思います。

      二十一世紀のサイエンス──ナノテクノロジー
伊藤  先生は5月から北大の副学長に就任されました。具体的に副学長にはどんなお仕事があるのですか。
長田  研究、国際交流、施設という三分野の担当で、それぞれが大変です。次から次へ、入れ替わり立ち代り、事務の方々との打ち合わせに追われます。最近はなかなか研究の時間がとれません。せめて楽しくやろうと思ってますが。学術創成研究プロジェクトやCOEの推進も抱えています。
伊藤  COEとは文部科学省の21世紀プログラムのことですね。全国の国公立、私立大学から464件のプログラムが申請され、北大からもいくつか申請して四つのプログラムが採択になりました。そのなかの一つ「バイオとナノを融合する新生命科学拠点」は、先生がリーダーでいらっしゃいますね。このプログラムを、社会との関連で今後どう発展させていこうとお考えですか。
長田  わが国ではいま、21世紀に入り科学技術創造立国をめざすため、ライフサイエンス、IT、環境、ナノテクノロジーの四つを集中的に促進する「科学技術基本法」が制定されました。ライフサイエンスは予算の半分以上の四千数百億円を投入する重要分野です。
 これまでの大学では各個人がそれぞれの研究室にこもって研究していましたが、このプログラムの特徴として、それを変えたいと考えています。理学研究科・生物科学専攻、薬学研究科、電子科学研究所、遺伝子病制御研究所の四つで構成し、融合研究をすすめたいのです。
 理学研究科は人間を含めた生き物の仕組みを研究していますが、それがわかると薬、遺伝子、病気の治療へと研究を進めることができる。基礎があって出口があるという形になっています。逆の場合もあるのですがこの形は、21世紀の福祉や医療のためにたいへん重要です。
 加えて二十一世紀のサイエンスでは、新しい見方、手法での解析を必要とします。それがナノテクノロジーです。10のマイナス9乗メートル、つまり10億分の1メートルの世界で物事や物質を見ようというものです。これには、光やエレクトロニクスを使って物質を解析したり、装置をつくるのに長けている電子研の知識が重要になります。このナノテクを縦糸にそれぞれの研究を横糸に織り込めば、世界に例のない研究構造ができ、当然、これまでにない成果が期待できるのです。
 社会との関連でいえば、私たちはその成果を積極的に社会に還元したいと考えています。私たちの研究が福祉や医療に直接役立つのです。
 このほか出版や、市民講座や新聞連載などを通して研究成果を外にアピールすることも考えています。もちろん講演会も行います。

      創成科学研究機構とは
伊藤  今号の特集である大学の創成科学研究機構は耳慣れない組織ですが、いつ発足して、どんな組織なのですか。
長田  ねらいはCOEプログラムと同様、研究室単位での研究では情報、戦略、研究の幅が限られるので、積極的に他部門と協力して大学の研究分野を広げ、伸ばそうというものです。
 そのためには全学的な組織にする必要があります。意のある方々に何年もご尽力いただき、平成14年の昨年、ようやく設立することができました。今後この機構で研究が展開されると、これまでにない形の研究成果が外にも見える形で生まれてくると思います。
伊藤 北大以外にも、全国の大学でこれに似た研究組織はあるのでしょうか。
長田 私の知るかぎり、このように全学的、横断的な組織はありません。たいへんユニークな試みだと思います。問題は、この機構を皆さんの理解を得てどのように動かし、どのように育てるかがポイントです。
伊藤  拠点となる建物はあるのですか。
<拡大図>
長田  機構の一部門であるポストゲノムの建物はできていて、7月に落成式です。研究活動はもう始まっています。その他の部門は今年の秋、北大の北キャンパスに完成します。
伊藤  北キャンパスというと農場のところですね。
長田  ええ、低温科学研究所や獣医学研究科の近くです。

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