流動研究部門・生命系


伊藤 悦朗
Ito Etsuro

      「記憶」その根源はどこに?
 私たちは日常的に「記憶」することを繰り返しています。そして今や誰もが、その貯蔵場所が「脳」であることを知っています。しかし、記憶はどのようにして作られるのでしょうか? 誰もが一度は不思議に思い、現在も多くの研究者たちが魅せられているこのテーマを、私たちは生物学の枠組みを超えて、物理学的な思考も交えながら追いかけています。

      時代は軟体動物
 動物は外界からの「刺激」という質問に対して、「行動」という形でその答えを表現しています。これら「刺激から行動」につながる道が脳の中にあり、その道は神経細胞間をあみだくじのように走っています。ある道が強く太く「変化」することで、特定の「刺激→行動」という決まった道が、文字通り通りやすくなるのです。この変化が「記憶」という現象の一端であると考えられています。
 しかし、「記憶」についての詳細なメカニズムは、多くの部分が未解明です。ヒトの脳に至っては百億個以上の神経細胞があるため、無数のあみだのどの部分で変化が起こっているのかすら見つけられない状態です。この問題を見事にクリアできる実験動物がいます。それはカタツムリなどの軟体動物です。
 軟体動物はとても簡単な神経系をもち、その神経細胞はほ乳類などと比べてはるかに大きいため、特定の行動に関わる特定の神経細胞を容易に見つけることができます。私たちもヨーロッパモノアラガイ(図1)という淡水にすむ軟体動物に学習を施して(図2)、これまで行動レベルから遺伝子レベルまでを研究してきました。そして今、神経細胞内でおこる遺伝子レベルの変化から、逆にこの生物学的階層性を上にさかのぼる研究を(すなわち遺伝子から行動へ)進めることで、「記憶」がどこから生まれてくるのか、その疑問に対して答えようとしているわけです。
図1 ヨーロッパモノアラガイ。殻の長さは2センチくらい。

      電子・原子・分子の世界から
 さらに、私たちは電子・原子・分子の動きを計算機を用いて解析することで、遺伝子レベルでの変化を引き起こすメカニズムも詳細に探っています(図3)。あらゆる生命現象は、すべてこれら「物質」の性質の上に成り立っています。これからの生物学、特に脳という複雑なシステムを理解する研究分野では、このような他の学問領域を組み合わせた新しい研究戦略が必須だと考えています。私たちの研究成果は、「記憶」を作るメカニズムを知る目標に、確実に到達しつつあります。


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