流動研究部門・広域文化系


高幣 秀知
Takahei Hidetomo

      W・ベンヤミンから『啓蒙の弁証法』へ
 「フランクフルト学派」批判理論の先行者のひとりに位置づけられるW・ベンヤミンが、ナチス・ドイツからの亡命の途上、そして1940年、スペイン国境で捕えられ服毒自殺をとげる直前まで、推敲を重ねた絶筆に「歴史の概念について」と題された一連の断想集がある。その一節に、P・クレーの絵「新しい天使」(写真1)によせた省察が遺されている。ベンヤミンの「改釈」によれば、破局の連続としての歴史、瓦礫の堆積としての歴史をまえにして、天使は驚きの眼を見張り、これまでの過去の方から吹きつけてくる強風にその翼をあおられながら、やむなく未来のほうへ飛びたとうとしている。そして、「私たちが進歩と呼ぶもの、それがこの強風なのだ」。
 そして第二次世界大戦、全体主義の時代の狂気と暴力のさなか、亡命先のアメリカにあって、M・ホルクハイマー、Th・アドルノによって書き継がれ、「フランクフルト学派」批判理論の原点に位置することになる『啓蒙の弁証法』(1947年・邦訳版、写真2)冒頭におかれた問いは、こうなる。科学・技術の進歩・発展、デモクラシーの実現、そしてヒューマニティーズ(人文学)の開花―そう理解されてきた近代啓蒙、「しかるに、あますところなく啓蒙されつくした地上はいま、勝ち誇った凶徴に輝いている。なぜに人間は、真に人間的な状態に踏み入ってゆくかわりに、〈新しい類の野蛮状態〉に陥っていくのか?」
 自然と社会そして文化の領域にあいわたるほかないこうした根源的な問題設定にたいして同書が提供していた概念装置は、実在的自然の圧倒的威力をまえにした社会的分業下での技術的強制連関、自己保存=保身が自己目的化されることによる社会・文化的眩惑連関、そしてこうした強制的な眩惑連関のもとに腐蝕する理性自身の自己反省としての限定否定といったものであった。一見したところ、こうした事態の把握と脱却への指針は、決して平明でも容易でもない。しかも他方では同時にまた、さらに新しい類の野蛮、狂気と暴力との連結が、マクロのレヴェルでもミクロのレヴェルでも、なお増殖しているかにみえる。まさにここに、『啓蒙の弁証法』に埋めこまれた概念装置を精錬しなおし、文明化された野蛮と解放への潜勢力とが逆説的に重畳する様相を究明するという課題、本研究プロジェクトの主題が成立する。


写真1
P.クレー「新しい天使」

写真2
『啓蒙の弁証法』

      展開されるべき問題連関の現在
 われわれのプロジェクトは、近代からこの現代にわたる思考の歴史のうちに「批判理論」を位置づけ解読するという基礎的作業を起点として、同時に並行して展開されるべき三つの問題次元にあいわたって設定されている。
(1)自然と社会。愚鈍であるということ、そのことがただちに危険を意味するのではない。愚鈍が狂気へと変形され、それに見合ったという意味で〈合理的〉な手段と連接されるときはじめて、組織され武装された狂気、すなわち暴力が発動する。社会的再生産の手段体系としての技術・科学が、再帰的に社会・自然に関係する生活過程の諸場面において既に、無数ともいうほかない病理的な現象が発現している。2001年ようやく発足した「科学技術社会論学会」においては、欧米のこれまでの「STS論」などを越える水準の研究が要求されているところである。このことはしかし、科学・技術の〈高度化〉への社会・経済的要請と、政治・社会的公共性の未成熟との奇妙な連結に関係する事態でもあろう。
(2)社会と文化。「グローバリゼイション」のなかでの多様な文化的潮流のうち、われわれがひとまず着目するのは、欧州におけるEU憲法制定へと迫ろうとする動向であり、それに対応して東アジア共通法への展望を開こうとしつつある「東アジア法哲学会」結成への志向である。そのための国際ワークショップが、2003年3月、この北海道大学において開催されたところである。作業は緒に就いたばかりであり、課題は山積している。「持続こそが力である」と言おう。
(3)新しい文化理論への方向付けのためには、ここに例示したような文化と社会、社会と科学・技術への総体的な顧慮が必須であると考えられる。創成科学研究機構を拠点として発信されるこうした理念にたいしては既に、ドイツ・フランクフルト大学哲学院・同社会研究所所長アクセル・ホネット教授、韓国・ソウル大学法学部韓相震教授等が研究協力体制にはいっていることを記しておきたい。

      新しい《天使》とは?
 クレー=ベンヤミンの「天使」があらためて還帰するとすれば、否、あたらしく還帰するのでなければならない、とすれば、それはどのようにしてか。私たちはその声を聴きとり、その姿を見とどけたいと願う。


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