流動研究部門・未踏系
信濃 卓郎
Shinano Takurou
土は土壌に非ず
「土壌」という言葉の意味をご存じでしょうか? 「壌」という文字が持つ意味は「カモシダス」ということであり、土壌とは「植物をかもしだす土」という意味を持ちます。つまり、「土壌」とは、ただの「土」とは異なり、そこには植物が育っている必要があるのです。しかしながら、私たちはこの土壌をきちんと認識し、大切にしてきたのでしょうか? 近代農業は確かに大幅な作物の増収をもたらし、「緑の革命」に代表されるように著しく文明に貢献してきました。その一方で現在、農業は、場合によっては負の産業としてとらえられるようになりました。それは不必要に投入された肥料や有機物、農薬等による農地のみならず周辺環境の汚染、食物自体の汚染の問題が顕在化して来たためです。
植物はその生産性は別としても、様々な環境要因に対して、自ら(あるいは微生物との共同作業によって)適応してきました。しかしながら、近代科学の進展によって、植物の要求するものを人間が与えることが可能となり、さらに、人間が与えたものにうまく適応するような植物(作物)を選抜してきました。そのような単純な関係のなかで、よりヘテロで、より複雑な問題にはあまり目が向けられてきませんでした。その代表格が「土壌」であり、「土壌と植物」の関係こそが今後の農業を考える上できわめて重要になると考えられます。しかしながら、本来の土壌が持っている力を我々科学者は正確に把握しているとはとても言えません。確かに土壌の物理性、化学性に関しては多くの優れた研究がなされていますが、土壌は物理性、化学性だけで語ることはできません。土壌には極めて多数、多種類の微生物が棲息しており、この微生物による生物性を抜きにして土壌の機能を明らかにすることは不可能です。
根と土壌の接点─根圏─に棲む微生物の役割
一方、植物から土を見た時に、そこには「根圏」という領域が根の回りに存在します(
図1
)。この根圏領域は根の周りわずか100ミクロンほどの領域をさしますが、そこは土壌と微生物と植物の根の三者が密接に連関しあっている場所となっています。植物は根から有機酸、酵素、多糖類など様々な化合物を分泌していますが、直接的に土壌に働きかける機能の他にも、微生物の生育を促進、あるいは特定の微生物を誘引することによって微生物の力を借りて間接的に土壌に働きかける現象が明らかになってきました。このこと自体は別に目新しいことではなく、例えば根粒菌といったすでに農業資材としても広く利用されている菌や、菌根菌のように近年になりその効能が認められて来たものもあります。しかし、土壌の微生物はそのほとんどが未知の微生物です。根圏をターゲットとして植物に有用に機能する微生物を探していると、時々興味深い微生物を見つけることができます。例えば、根粒菌でも無いのに空気中の窒素ガスを固定する能力を持つもの(図2)、土壌中に存在していて通常はその溶解度が極めて低いためにほとんど植物によって利用されることの無い難溶性のリン化合物を活発に分解できる菌(図3)、ダイオキシンや農薬に含まれる成分を分解する能力を持つ菌などが存在していることが明らかになりつつあります。
図2 シベリア永久凍土での窒素循環の研究から約20kgN/haの窒素がどこかからやって来ていることが指摘されていた(A)。ここのカラマツの根圏から採取した菌は窒素を含まない培地中でも活発に増殖してコロニー(矢印)を形成した(B)。
図3 難溶性無機リン培地で植物を栽培すると右側3つのカラムの例のようにほとんど育たない。この時、特定の微生物を同時に加えると左側2つの例のように生育が改善される。
根圏微生物の積極利用を目指して
このような領域の研究は実際の農業場面においてどのような貢献をもたらすのでしょうか。例えば、これまでの農業の大きな課題に土壌改良という課題があります。土壌が酸性ではうまく育たない作物が多いので、大量の炭酸カルシウムなどを投入して土壌の酸性を矯正し、植物の養分吸収を手助けするという手法です。でも、考えてみて下さい。もし、植物の根圏で微生物の手助けによって植物の養分吸収が改善されるようになれば、土壌全体の酸性矯正を行う必要はなくなります。また、施肥に伴う環境汚染、食の安全性の問題に関しては、植物がその生長に必要以上の養分を投入せざるを得ないという現在の施肥方法に問題があります。様々な環境要因などによって植物が要求する養分量が刻一刻と変化する以上、あらかじめ十分量の養分を投入せざるを得ないのですが、これに対抗するために根圏に棲息している窒素固定細菌や難溶性リン化合物分解菌の生育を、植物が自ら分泌する化学物質によって調節する技術の開発を目指しています。植物がその時々に必要とする養分を根圏微生物の力を借りて獲得する。そんな夢のような技術が実現すれば施肥量を大幅に削減することが可能になり、環境にも人にも優しいような農業に生まれ変わります。
今、北海道では次世代ポストゲノム研究の一環として北海道大学農学研究科、北海道大学創成科学研究機構、独立行政法人農業技術研究機構北海道農業研究センター(旧北海道農業試験場)、財団法人北海道科学技術総合振興センターが中心となって根圏制御ネットワークがすでに立ち上がっており、今後北海道を中心とした新たな産業となる機運が高まっています。
今後、これらの研究を実際の農業場面において使用可能なまでにレベルアップするには、さらに良い微生物を見つけだし、微生物の培養方法を検討し、微生物の生育、着生を促進するような植物側の機構を明らかにするというような様々な課題が残されております。さらに実用化のためには土壌微生物診断技術の開発など、多くのステップが必要とされており、これからも多くの分野のかたがたの協力をあおぎながら、研究を進めて行こうと考えています。
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