北海道大学には総合博物館などに貴重な自然科学標本が多数保管され、研究者に利用されているほか、一部が展示もされている。中でも宮部金吾の植物標本、松村松年の昆虫標本は有名である。 宮部金吾(1860〜1951)は札幌農学校二期生として入学、卒業後さらに帝国大学(現在の東京大学)、ハーバード大学で研鑽を積んだ。その後、札幌農学校の植物学教室主任の教授となって、藻類を中心に研究を行ない、また北海道・サハリン・クリル諸島といった北方地域などで植物標本を採集して『千島植物誌』などを著した。さらに一貫して北大植物園の設置・整備に深く関わり、長く植物園長を務めた。 松村松年(1872〜1960)は農学校13期生として入学し、卒業の後、昆虫学教室の助教授・教授となり、26歳のときに日本産昆虫の学名を明らかにするなどした『日本昆虫学』を執筆して日本の昆虫学発展の先鞭をつけた。その後も門下生と共に昆虫の分類に邁進して多くの図説・図鑑を執筆し、また日本を中心に東・北アジア各地から昆虫標本を採集し、現在数十万点と言われる松村コレクションを残した。
宮部が温厚篤実な性格の持ち主であったのに対して松村は頑固一徹な一面を持っていたというように性格は正反対な二人であったが、それぞれ植物学、昆虫学の分野で世界的権威として活躍した。フィールドワークを大切にして標本採集を行ない、大部な図鑑類を著したことでも共通している。また、二人が研究に従事した建物もそれぞれ北海道大学に保存されている。さらに、宮部の住居跡地は宮部記念緑地(中央区北6西13)として、旧松村邸は熊澤邸(北区北8西5、現在は「至福茶館 呑喰龍」が使用)として見ることができる。 札幌はまもなく百花繚乱の季節を迎える。札幌キャンパス内に、宮部が命名したチシマザクラが咲き、その花の周りを松村によって図鑑に収録された昆虫たちが飛び回ることだろう。 北海道大学125年史編集室編集員 |
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