特集 アジアに広がり花開く北大のフィールド科学

21世紀を「環境と市民の世紀に」―地域環境再生の試み―

経済学研究科 教授


吉田 文和
Yoshida Fumikazu

 クラーク像の前に立つ古河講堂は北大の誇る歴史的建築物である。この古河講堂が明治時代の足尾鉱毒事件に係わって立てられたものであることは意外と知られていない。
  日本は戦後の高度経済成長の過程で厳しい公害を体験し、そこから多くのことを学んできた。かつての公害で知られた地域は今どうなっているのか。その環境再生事業は環境汚染を浄化するのみならず、地域の社会的再生事業としても取り組まれている。
  私は、この1年間、北から青森・岩手県境の不法投棄廃棄物現場、小坂鉱山、足尾鉱山、川崎工業地帯、四日市石油化学コンビナート、神岡鉱山と富山県婦中町、熊本県水俣市を訪れ、地域環境再生事業の現地調査を行ってきた。そこで、イタイイタイ病で有名な神岡鉱山と水俣地域の環境再生事業について紹介したい。


       リサイクル鉱山として再生する神岡

 ノーベル物理学賞に輝く研究の舞台となった宇宙線地下観測所カミオカンデは、岐阜県神岡鉱山茂住坑内空間に建設されたものだ。神岡鉱山(旧三井金属鉱業、現神岡鉱業)は、イタイイタイ病の汚染発生源としても知られ、日本最大の鉛・亜鉛鉱山であったが、2001年に鉱山からの鉱石採掘を中止した。そこで、鉛製錬部門は1995年から国内の廃自動車バッテリーを原料として鉛リサイクルを行い、国内の3分の1を処理している。年間4.8万トンを処理し、3万トンの再生鉛を生産している。まず廃バッテリーを粉砕した後、使用済み電子基板などとともに溶鉱炉に投入し、粗鉛をつくり、それを電気分解して、高純度鉛を再生する。これがリサイクル製錬である。バッテリーのプラスチックも再加工し、工場用パレットの原料に使用され、希硫酸も工程内で中和処理無害化されている。鉱山からのカドミウムの排出もバックグラウンド(自然状態)に近づいてきた。その環境モニタリングも続いている。鉱山からの排水対策のみならず、汚染された下流域農地の浄化も30年以上にわたって取り組まれている。その基礎は1972年のイタイイタイ病判決に基づく公害防止協定で、鉱山側と富山側の農民と、弁護士・科学者の息の長い取り組みがある。

       「もやい直し」とリサイクルに取り組む水俣

 水俣病の悲劇から日本と世界が学んだものは、予防原則の重要性、疫学調査の意義、企業城下町の問題、被害者救済の制度問題、企業のみならず行政の環境保全への責任など、数知れない。水俣病問題が引き起こした深刻な社会問題は、地域がこの問題をめぐり分裂状態になったことである。さらに間接的被害も実に大きかった。水俣市は山間部が多く、柑橘類や農産物の出荷も盛んだが、「水俣ブランド」では出せなかった。そこで、1995年の「政治解決」と97年の「チッソ存続」抜本措置の政府決定によって、被害者の救済と地域内の和解を目指す、「もやい直し」が始まっている。  その地域環境再生の一環として、家庭ごみの減量と資源化を図るため、1993年からごみの分別収集をはじめ、2000年度からは24分別を実施している。さらに2002年12月から生ごみの分別収集が始まった。これだけの分別を行う水俣市民の努力は大変なものだ。それは、公害都市「水俣」の汚名を返上し、地域住民同士が助け合い、交流を深めるきっかけでもある。水俣市の第3次計画も下からの積み上げで作り上げられてきた、そのプロセスが大切だ。リサイクルのエコタウン団地もでき、環境技術センターが発足し、環境モニタリングや環境ホルモンの研究で世界から研究者が集うようになっている。「在宅ケア」や地域医療、「グループホーム」など、水俣病事件への対応で切り開いてきた先進的取り組みも数多い。「チッソ」も今や液晶などのハイテク品目が稼ぎ頭になり、年間4億円近くの利益を上げている。もとより、40年以上にわたる事件の傷はすぐには癒されるものではない。全国からの暖かい理解と支援が必要である。環境再生とは息の長い社会事業であり、21世紀を「環境と市民の世紀」とするための礎石となる。



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