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遠友夜学校 北大附属図書館 井上 高聡 「一度も筆を持ったことのない私に、『筆はこう持つんですよ。』といって教えてくださった筆の持ち方は、今でも私の身にしみこんでいます。」家が貧しいため学校へ通わせてもらえず、1909年、9歳で遠友夜学校に入学した女子卒業生が後年回想した一節である。筆の使い方を教えたのは、当時東北帝国大学農科大学(1918年から北海道帝国大学となる)予科教授で遠友夜学校代表でもあった有島武郎である。
遠友夜学校は1894年、札幌農学校教授であった新渡戸稲造と萬里子夫人によって設立された。当初は学校に通うことのできない貧家の子どもたちのために毎夜1時間の授業を行なっていたが、やがて毎夜2時間となり、初等部尋常科・高等科、中等部などを整備していった。通常の授業ばかりでなく、リンカーンに因んだ「倫古龍(りんこるん)会」を組織して男子生徒と教師が講話や討論会などに集った。女子生徒は「菫会」で手仕事や意見発表をしたり唱歌を歌うなどの団欒を楽しんだ。そのほか、遠足や学芸会も行なわれた。 生徒は15、6歳を中心に10歳前後から20歳代半ばの者までおり、多くが昼間は職工、給仕、店員などとして働いていた。北大教員や学生などが無償で校務や教師を担当し、札幌の市民有志が学校運営に協力していた。 夜学校に携わった北大教員には、新渡戸の親友宮部金吾(植物学)や、大島金太郎(農芸化学)、新島善直(林学)、有島と同期生の半澤洵(応用菌学)などがいた。ナットウ菌の研究で有名な半澤は、新渡戸夫妻亡き後、三代目校長を務めた。高倉新一郎(農業経済学)や石塚喜明(農芸化学)は学生時代から夜学校に関わっていた。 先輩や友人の誘いから夜学校教師を引き受けて、その活動にのめり込んでいった学生も少なくなかった。学生にとってもまた、遠友夜学校は「学校」であった。 遠友夜学校は1944年にさまざまな事情で閉校した。50年間にのべ1,100人以上の卒業生が巣立っていった。
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