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エリック・クラプトンにインタビューした時感激した、
ああ、音楽が好きでよかったな、と。
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森田さんは、そのまま先生になろうとは考えなかったんでしょうか?
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先生にはたしかになりたかったんですけど、すぐにという気持ちはあまり強くなかったんです。だいいち、もう就職難で、教員になるのも大変な時代でしたしね。
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大変だったよねー。
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だって男子学生のところには、こんなにたくさん(就職関係の)資料が送られてきて、面接を受けに行くための飛行機代から、ホテル代まで出るというのに。私たち女性は、アルバイトで貯めた貯金を崩して就職活動でしたからね。
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私は就職というと、4年生のころには一応教員になるかな、と思っていたので、それに絞って教員採用試験を受けていました。でも、1年目は採用がなくて、卒業した4月には何もなかったんですよ。その後、たまたま産休される先生の代用ということで勤めることができたんです。それも、4月に就職の決まっていない何人かの女性、他の大学も含めて何人かの友達で集まって、これからどうしよう、って話をしてたときにやっと勤めが決まったんです。
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私はNHKは受験していないんです。先生になる前にできれば出版社に勤めたいと漠然と思っていて、それで札幌から電話をあちこち掛けたのですが、悲惨でしたね。電話をつないでくれないという状態。もう受付の大代表の所で、「女性は短大卒まで」とか、「親元から通えるんですか?」と言われて、その先につないでくれない。1月2月の段階で就職活動はあきらめて、次の年度に再トライしようかと思っていたんです。そのときにNHKの札幌放送局が、FMラジオの番組制作スタッフを募集していて、好きな音楽を流せるアルバイトっていいなぁ、と。面接会場に行ったら実はDJ採用試験だった。緊張して、手は震えるし、声は暗いしで。だめだと思っていたら、夜NHKから電話が掛かってきたんですね。断りの電話だったんですけど、でも、音楽番組ではなくてニュースのリポーターをやりませんか、というお話でした。それまであまりテレビを見ていなくて、怖いもの知らずで、中身もわからずに飛びついて、それが仕事になっちゃったんです。
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それからテレビの仕事一本ですか。
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そうでもないです。やってみたら、テレビの仕事は面白かったですけど、1年契約のリポーターとして、1年目が夕方6時からの石狩・空知(そらち)・後志(しりべし)管内のリポーター、2年目から少し番組が増えて、3年目はさらに仕事が増えて、そこでむらむらと、先生になりたいという気持ちがですね…。するとNHKから、正式に職員にならないかと、声を掛けてもらって。迷ったんですよね。せっかく教職と決心をして、私としては珍しく本腰を入れて勉強してるところだったものですから、すごく迷ったんですけど、当時のNHKの上司が、先生ならまだ先でもできる、まあ道産子なんだから、パイオニア精神でやるだけやってみたら、と。それで、だめもとで行こうと決めて。
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それから東京に勤務されたんですね。
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札幌放送局で、アナウンサーになったんですけれども、それから1年経ったところで、突然、東京転勤でした。2年の出張のつもりで気楽に行ったらと、上司に言われて。それがもう足掛け15年ですね。でも、今も体内時計はたぶん北海道でして、どうも東京の季節感が、ピンとこないことがある。ニュース読みながらも、桜の季節は3月じゃないって、つい思っちゃうんです。
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私も、もう根っからの北海道人だと思います。北海道以外で暮らした事は無いですね。北海道出たくないです。他の所では暮らしたくない(笑)。
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私も、東京の自然にも仕事にも慣れるのが大変でしたね。こちらでは、ずっと羊の毛刈り、豆の収穫といったニュースを読んでいたのが、最初から夜の7時のニュースの担当になって、レーガン大統領は、竹下総理大臣はと、変わった。そういう仕事上の変化にまずとまどいましたけど。でもやはりですね、自分のテレビにおける存在感みたいなもののほうが大変だった。東京の民放の華やかな女性アナウンサーが、話題になり始めた時代だっ たんですね。それで、私も同じ線のところで比較をされて、その中で、自分も頑張らなきゃいけないと。ちょっと力入っていたんですが、その結果が、某週刊誌で、女性キャスター採点表、4月からの新人・新登板採点表というのが出まして。仕事の中身とか、インタビューとかの実質的な項目では、私は高い得点をもらったのですが、センスのところだけ、いきなりドーンと低くて。有名な女優さんのスタイリストさんがついてくれてたのに。最初はメークさんも二人がかりで、髪や顔を担当してくれたのに。それでも、センスが悪いと言われては…。やっぱりガクッときちゃいましたね。もう辞めようか、と。いえ冗談じゃなく。このまま片道切符で帰っても許してくれるんじゃないかと思ったんです。そんなときに母が、じゃがいもの花を貼ったハガキを送ってきたんです。「あなたはじゃがいもよ」って。それが可愛いんです、じゃがいもの花。もともとは道産子が2年出張のつもりで、できるだけの挑戦をしてみようと思っていたはずなのに、世間の目や批評を気にして落ち込んでいる自分は何だろう、と。それで、自分はじゃがいもの花を咲かせればいいって開き直ることで、仕事も生活も楽しくなってきたんです。
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北海道への愛着とは別に、出身校北大というのはどうでしょう? |
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大学の研究者も、まあ出身大学の色分けみたいなものはありますね。北大出身者は北大の教官には少ない方です。ただ、東京ですと、いろいろな情報に振り回されたかもしれませんが、北大だといい意味、マイペースで勉強できたのが、自分にとってはプラスだったと思いますね。
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高校の先生していた時は、うーん、特に北大出身者だからどうこうという意識はあまりなかったし、教員の世界では出身大学でどうこうということはないんじゃないかと思うんです。やっぱりどこの大学を出たかというのは問題ではなく、どんな大学生活を送っていたかということの方が、子供たちに何かを語るときには大きな意味を持ちますから、北大ということをあまり意識したことはないですね。生徒にとっては北大に対するあこがれの様なものがあるのは確かなのかもしれませんけど。
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