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法と詩 菅原道真の「声」
法と詩 菅原道真の「声」
大宰府と北野天満宮といえばご存知のように、学問の神様といわれる菅原道真を祀っていますが、
受験のシーズンには合格祈願が全国から寄せられます。いまでもこうして信仰を集める道真公は、
政治家であると同時に卓越した漢詩人でもありました。法律・政治と詩、一体どんな関係があるのでしょうか。
菅原道真を中心に日本の政治思想史を研究している桑原先生が、法と詩の深い関係を明快に語ります。
ご専門の菅原道真とはどんな人物でしょうか。

桑原 朝子
Kuwahara Asako
北大大学院法学研究科助教授。私立雙葉高出身。1997年東京大学法学部卒。専門は日本法制史。研究テーマは「古代日本における文学と『法』の関係について」。

桑原
道真は、高貴な家の出身ではなく、才能だけで出世した人です。天皇を補佐して国政を掌(つかさど)る右大臣にまで上り詰めたのですが、周囲の官人達からは、それだけ妬(ねた)まれました。そのため、藤原氏らの陰謀によって九州の大宰府に左遷され、今から1100年前に一生を終えることになります。彼は学者として有名ですが、政治家でもあり、また日本史上最高と称えられるほどの漢詩人でした。中でも「叙意一百韻(じょいいっぴゃくいん)」という詩は、道真が自らの波瀾の生涯を回顧して詠(うた)い上げたもので、彼の「詩的遺言」と言われています。これを読んだことが、私にとって詩と法の関係を研究テーマとする直接のきっかけになりました。
法学部で「詩」とは珍しくはありませんか?
桑原
そうですね。ただ、最初から「詩」を研究しようと思っていたわけではありません。私の専攻は日本法制史ですので、大学を卒業した直後は、奈良時代から平安前期の法制史料を読んでいました。この時代を選んだのは、日本で初めて、中国を真似て「法典」が作られた時代だからです。
それまで法律は日本になかったのでしょうか。
桑原
「法律」という言葉をどれだけ広く捉えるかにもよりますが、法典の形をしたものはありません。それで、こういう書かれた「法」に初めて出会い、これを実際に運用するように命じられた官人達が、それをどう受けとめたのか、つまり彼らの「法意識」を知りたいと思ったのです。
その「法意識」はどうやって調べるのでしょうか?
桑原
当時の史料を精読し探ってゆくのですが、かなり大変な作業です。毎日史料を読み続け1年ほど経って漸(ようや)く、平安前期、とりわけ9世紀中葉に、法令を提案する人の階層や、法令の文章の書き方が変わり、それが官人の法意識の重要な変化と関わっているようだと分かってきました。例えば、9世紀の初めには、天皇や中央の上級官人が、難しい漢語を沢山使って書いています。
文章が難しいわけですか。
桑原
はい。この時代、特に官人の場合は、漢文を書く力が出世に関係するので、自分の能力を天皇に認めてもらおうと必死に難しい文を書くわけです。ところが、9世紀も中頃になると、地方の官人が、自分達の仕事の実情に合うように法を変えたいと申し出て、それが認められるケースが増えてきます。そうすると面白いことに、法令の文章も分かりやすくなります。しかし、官人の法に対する関心が高まり、法文が整ってくるという、こうした変化は、九世紀末には曲がり角に来てしまいます。そして、いわゆる摂関期(10世紀後半〜11世紀後半)になると、官人が法に関心をなくし、法の文章をよく検討しなくなるという、むしろ逆の方向性がはっきりと現れてくるわけです。但し、そのような変化がなぜ起きるのか、またそれにどういう意味があるのかということは、法制史料を眺めているだけではよく分かりませんでした。
菅原道真との出会い
桑原
菅原道真の「叙意一百韻」にめぐりあったのは、それまでの研究方法に行き詰まりを感じるようになったその頃のことです。この詩は、彼が右大臣にまで上り詰めながら、突然身に覚えのない謀反の疑いをかけられ、都から追放される場面から始まります。この時、彼は50代も半ばを過ぎており、もはや左遷地九州での死を覚悟して詠んだと思います。
凄まじい覚悟ですね。
桑原
確かに、絶望的な状況下で渾身の力を振り絞って詠んだだけあって、凄絶なまでの迫力があります。中でも、国政を任されるようになった矢先に左遷されてしまったという無念の思いには、圧倒されました。同時に、無念の思いがこれほど強いのは、彼がどうしても実現させたい何か大きな理想を持っていたからではないか、と直感したのです。
法と詩の関係は深い
桑原
その理想とは何なのだろうか?それは、ほぼ同時代に表れる法の変化とどのような関係にあるのだろうか?こうした疑問の答えを求めて、以後、道真や他の官人達の詩を読み続けました。その結果、まず、法令の文体に変化が起きた九世紀中葉に、官人達の漢詩にも劇的な変化が起きていることが明らかになりました。この頃に、中国の作品の模倣から脱し、官人として世を生き抜くことの難しさといった自分自身の心情を詠い上げる詩が現れるようになります。この詩の変化と先ほど述べた法の変化との双方に最も深く関わっていたのが、道真のように学問によって官職を得た文人貴族でした。ですから、私は、9世紀中葉の法の変化は、詩によって培われた、自らの視点で物事を見るという彼らの態度や鋭い言語感覚に支えられていたのではないかと思うのです。そして、道真の理想とは、詩と法とに通じた文人貴族を中核とする貴族制をうち立てることだったのではないか、とも。その逆が、家柄が高いだけの貴族が高位高官を占めるという摂関期の体制です。このような体制は、道真が失脚させられ、その理想の実現の道が断たれることによって、初めて成立したのだと思います。
難しくなりましたが、もっと知りたくなりました。
桑原
それは嬉しいですね。以上のようないきさつを経て、私の研究テーマは、平安前期の法と漢詩の変化に表れた文人貴族の意識構造と、それに支えられた菅原道真の貴族制構想を手掛りに、文学と法、文学と政治との関係を考える、というものになりました。難題はまだ山積みですけれども、都から遥か彼方の大宰府の地にあって、たった1人で最期まで言葉による闘いをやめようとしなかった道真の詩を読むと、私の困難など小さなものに思えてきます。
何か1つ道真の詩を教えてください。
桑原
桑原 では、一篇の詩の一部ということになりますが、「叙意一百韻」の終わりの2句をお教えしましょう。「意(こころ)を千言の裏(うら)に叙(の)ぶるとも/何(いづ)れの人か一(ひと)たび憐れむべけむ」(私の思いのたけをこの千言の詩のうちに述べ尽くしたとしても/いったい誰がこれを読んで1度くらい憐れんでくれるだろうか)。」
先生に、彼の「声」が聴こえると素敵ですね。


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