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- 正門(札幌市北区北8条西5丁目)を入って川の流れている芝生(中央ローン)を左に見ながら道なりにしばらく行くと、北西方向に顔を向けたクラーク博士があなたを待っています。
観光客の皆さんが、よく勘違いされる立像で左手を後ろに組み右手で遠くを指しているクラーク博士は、札幌市郊外の「羊ヶ丘」にあるものです。北大キャンパス内のクラーク博士は胸から上の像です。
- 「Be ambitious」に続く言葉について
「Boys, be ambitious」は、明治10(1877)年4月16日、本学の前身である札幌農学校初代教頭 W.S.クラーク博士が帰国に際し、札幌近郊の島松(現在、北広島市島松)で見送りの学生たちに述べた言葉として、全国的に知られています。この「Boys, be ambitious」については、さまざまな研究がなされておりいくつか説がありますが、後に続く言葉として有名なものは以下の2説です。
1)「Boys, be ambitious like this old man」
「小供等よ、この老人の如く大望にあれ」
上記の言葉が最初に記されたのは、札幌農学校の学生誌である「尢ム」(けいりん)に明治27年から同28年にかけて掲載された安東幾三郎(農学校卒業生)が書いたクラーク伝「ウイリアム・エス・クラーク」の中です。
しかし、札幌農学校出身の逢坂信忢氏(元札幌独立教会牧師、「クラーク先生詳伝」の著者)は、クラーク博士が帰国の折り50歳でしたが、その年齢で「like this old man」とは言わなかったであろうと反論しています。
【他の参考文献等】
ジョン・エム・マキ「クラーク・その栄光と挫折」高久真一訳(1978)
2)「“Boys, be ambitious!” Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for knowledge, for righteousness, and for the uplift of your people. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be. This was the message of William Smith Clark.」
「青年よ大志を抱け!金のためまたは利己的栄達の為にでもなく、ましてや人よんで名誉と称する空しきもののためにでもない。知識に対して、正義に対して、かつ国民の向上のために大志を抱け。人としてまさにかくあらねばならぬ全ての事を達成せんとするために大志を抱け。これはWilliam Smith Clarkのメッセージであった」
上記の文章(「天声人語」では一部欠落)は、昭和39年3月16日の朝日新聞「天声人語」欄に掲載され広まったもので、「天声人語」ではその出典を稲富栄次郎著「明治初期教育思想の研究」(昭和19)としています。
これは、大正4(1915)年のサンフランシスコ万国博のために編集された英文の「東北帝国大学農科大学略史」(大正3.12.1)の中に初めてあらわれたものです。執筆者は当時予科の英語教師をしていたポール・ローランド氏で、「Be ambitious not…」以下はローランド氏が「Boys, be ambitious」の言葉を解釈したものと思われます。
【他の参考文献等】
北海道大学図書館報『楡蔭』No.29「“Boys,be ambitious!”について」(1972)
(本学HPにも掲載:http://www.lib.hokudai.ac.jp/modules/tinyd44/index.php?id=116)
- クラーク博士とカレーライスについて
クラーク博士とカレーライスの係わりについて、「ライスカレーの名付け親はクラーク博士」、「日本のカレーライスの発祥は札幌農学校」、「生徒は米飯を食すべからず、但しライスカレーはこの限りにあらず。と農学校の寮規則に書かれていた」というのは本当のことか、事実なら資料を見せてほしい、という問い合わせを多くいただきます。
しかし、札幌農学校当時の記録で[カレー]の記述があるものは、明治10年7月の取裁録(公文書を綴ったもの)の中の、買い上げの品として「カレイ粉 三ダース」、明治14年11月の取裁録の中の、「夕 洋食<パン バタ 肉肴之類ニテ弐品 湯 但隔日ニライスカレー外壱品>」、この2点の史料のみで、クラーク博士とカレーを結びつけるはっきりとした史料は残っていません。
ただ、当時の状況としては、開拓使顧問のホーレス・ケプロンらによるパン、肉食の奨励に対して、農学校においてもこれを採用しており、恵迪寮史(昭和8年刊行)には、「札幌農学校・札幌女学校等はパン、洋食をもって常食と定め、東京より札幌移転の時も男女学生分小麦粉七万三千斤を用意し米はライスカレーの外には用いるを禁じた位である」と記述されています。また、「ライスカレー」の名称については、北海道立文書館報『赤れんが(昭和59年1月号)』の古文書紹介の中で、「開拓使の東京出張所では、明治5年に既に御雇い外国人の食事のために、コーヒーや紅茶、〈タ(ラ)イスカレー>を用意していたとの記録がある」と記述されています。
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