文系部局

○演習 法学研究科准教授  吉田 広志

エクセレントティーチャーに選ばれ、このようなものを書かせて頂くこととなりましたが恐縮至極です。大学教員は高等学校以下の教員とは異なり、「教育方法に関する教育」を受けておりませんから、研究の傍ら、自らの大学時代を思い返しながら教育手法を模索していくという、たいへん困難な環境にあります。教育方法の改善に真剣に取り組んでいらっしゃる先生方に、拙文が参考になれば幸いです。

1.私は法学部教員としては異色のキャリアの持ち主です。出身は工学部ですし、民間企業に7年間勤務しておりました。したがって、文系と理系の教育手法の相違というものを実感できる立場におります。その私から見るに、法学部の演習は、理系に比定すれば卒業研究ということになるでしょう。

理系の卒業研究は、多くの場合必修、かつ、朝から晩まで土日もなく研究室に篭り実験を行います。実際に私はそうでした。そこでは、中世の徒弟制度にも似た関係が指導教員と学生の間にはぐくまれ、学生同士は弟子同士という連帯感を持ちます。卒業研究で何をやったか。理系の学生がその問いに答えることは容易です。しかし、法学部の演習(ゼミ)は週に1回、せいぜい2時間半。ゼミは必修とはいえ、これで社会に出たときに、「自分は学生時代に何をやったか」という問いに対して、「ゼミ」と答える学生が何人いるでしょうか。

私は、自分のゼミを選択した学生が、上記のような問いを受けたときに、「知的財産法のゼミです。」と答えられる授業を目指して、これまでやってきました。したがって、多くの学生に支持されたことは、この上ない喜びです。

2.学生に、このような感想を持ってもらうためには具体的にどうすればよいか。それは、「ゼミに参加している実感」を持ってもらうことだと考えました。具体的には、学生がゼミに対して、「直接参加している」「ゼミの実施に“分担された責任”を持つ」「具体的な目標を持って参加する」という意識を持てる形態を考えました。さらに、法学的知識の習得だけではなく、私自身の社会経験を基にして実社会で活用できる能力の向上を目指しました。

その結果、私は学生同士のディベートをゼミのプログラムとして実施することにしました。具体的なディベートの実施方法については立教大学の上野達弘准教授にご指導をいただき、私自身が上野ゼミに複数回参加させていただいた他、その様子をビデオに収めて学生への説明に利用しました(ディベートは平成18年度から導入し、平成19年度は2年目になります)。

3.その上で、通年の授業のうち、前期は知的財産法に関する裁判例の報告を学生一人ひとりに課し、実際の裁判例を通して、知的財産法の初歩を学習させました。これは、法学部のゼミの形態としてはきわめてオーソドックスです。

報告にあたっては、事前に報告原稿を基にして私と学生が一対一で討論をし、検討が不十分な点を指摘し修正させます。ここでは、原稿が不十分である場合はゼミの実施が不可能になるということを学生に理解させ、責任感を持たせるように指導しました。

ゼミの本番では、その報告を基にして全員に議論を促しますが、報告が一通り終わった後、討論に入る前には、学生一人ひとりに判決について賛成なのか反対なのか、立場を明確にさせました。一つの事件を結論に導くにはいろいろな考えがあると思いますが、法学教育で大事なことは、自らの最終的な立場を決断し、それを支える理論を他人に説得的に説明できるようになることだと考えます。このような手法は法学部の演習でよく見られると思いますが、私の授業では、「後期でディベートをするために」という目的を明確に掲げているという点が特徴です。

4.後期は実際にディベートを始めるため、学生を3人一組の8チームに分けました。チーム分けにあたっては、あらかじめ1チームに4年生が1人、3年生が2人となるように調整をしました。このようにすると、4年生にとってはリーダーシップを発揮するための訓練の場となります。他方で、教員はある程度3年生の指導を4年生に任せることができ、負担は軽減されます。

次に、ディベートをトーナメント方式として優勝を争わせ、単に討論するだけではなく、優勝を目標とさせることで学生のモチベーションを向上させました。ゼミ内で8チームでトーナメントを行えば1チーム3戦することになりますが、必ず最下位=3連敗のチームが決まります。北大生は概して真面目で、かつ負けず嫌いですので、多少の差はあってもどのチームも勝利のために必要な準備をしてきます。

ディベートの題材は、前期同様、実際の事件としました。学生は原告ないし被告の側に立ち、自らを正当化するための理論を構築します。原告/被告どちらの側に立つかはクジで決定しますので、学生は選ぶことができません。したがって、自らが賛成する立場と異なる立場から正当化根拠を考えなければならないことがあります。実社会では自らの立場を選べない状況のほうがむしろ多いですし、多方面から事案を判断するという目を養うことにもつながります。

ディベートの具体的な進行は私のHPを参照していただきたいのですが、ディベートは、まず相手方の主張を理解するところから始まります。自らの主張とは異なる相手方の主張を、それも限られた時間で理解することは、理解力のスピードを養う訓練になります。そしてさらに、相手方の主張と自らの主張の相違点を炙り出し、自らの主張が正当化できる理論を限られた時間で考え、かつそれを言葉で伝えるために口頭での表現能力を養う訓練ともなります。

ディベート方式で常に問題になるのはジャッジをどうするか、です。教員である私のジャッジで勝敗を決定する方式も可能ですが、私のゼミでは、当該対戦チーム以外の学生全員にジャッジをさせる方式を選びました。ジャッジの基準は、ディベーターの主張する理論の正当性ではなく、より説得的な議論を行ったディベーターに投票することとし、これ以外にはあえて基準を決めていません。ディベーターの説得力を重視したのは、実社会では、「無理が通れば道理は引っ込む」ことはいくらでもあるからです。いくら理論として正しくても、それが外部に伝わらなければ無意味だと考えます。

その結果、ディベーターは、(私に比べれば)知識的に未熟なジャッジに対して事案や自らの主張をわかりやすく説明することが求められます。これは学生のプレゼンテーション能力の向上につながります。他方ジャッジする学生は、どちらの意見が説得的か見極めるというジャッジング能力を磨くことができます。  その上で、勝敗を決します。勝敗を決するということは、当たり前ですが一方は勝ちますが一方は負けます。すなわち、どれだけ努力したとしても負けることがあるということです。北大に来る学生は、「人生勝ちっぱなし」の者も少なくありません。しかし、実社会に出れば、どれだけ努力しても負けることはあります。なぜなら、相手も同じくらい努力しているからです。「負けた」ということを実感させることで、それを次なる努力の糧にさせます。

また、これは勝敗重視とは相反することですが、学生には常に、「よいディベート」をするように指導しています。「よいディベート」とは、双方の議論が噛み合ったディベート、ジャッジにわかりやすいディベート、ということです。双方の議論をかみ合わせるには、双方が、相手方の主張を素早く理解することから始まり、自他の主張の相違点を理解することが肝心です。しかしそれだけでは不十分で、「引くべきところは引く」「押すべきところを押す」という取捨選択が必要です。

その上で、これらのことを限られた時間で判断することを求めています。北大の学生は優秀ですから、時間をかければこのようなことも可能なのですが、実社会では相手は待ってくれません。そのために、「理解スピード」の向上の訓練をすることになります。

このような目的が秘められているディベートですが、実は教員の負担はそれほどでもありません。実際にディベートが始まってしまえば、教員はそれを監督するだけで、アドバイスや議論の方向性を修正するなどということは一切しません。ディベーターからの質問は事前に受け付けており、その際には十分な説明を施しますが、学生はディベートでは実際に自分の口でそれを説明しなければなりません。教員から説明されたことを理解することと、自分の口から説明することは大違いです。それだけ深い理解を求められますが、勝利のために学生は努力します。

5.以上のようなディベートゼミを実施するには、いくつかの条件が必要でしょう。私がもっとも大事な条件だと考えるのは、「ゼミ生同士に、十分な信頼関係があること」、すなわち、ゼミ生同士の仲がいいことが、必須の条件だと考えます。

なぜならディベートとは、ある意味、相手方の全否定を双方が繰り広げるわけです。多少感情的になる場面もしばしばです。しかし、このディベートはあくまで訓練ですので、それが終われば、また学生同士という元の関係に戻ることになります。その時に、ディベート中の感情とごちゃごちゃになり見境いが付かなくなってしまえば、ゼミという団体の崩壊につながります。真剣なディベートは、“仲良し”でなければ行い得ないと考えます。

そのために私のゼミでは、正規のゼミの時間以外の時間も、できるだけ学生同士、あるいは教員たる私と学生が相互交流できる機会を持つことを重視しています。いわゆるゼミコンパを催すゼミは少なくありませんが、私のゼミでは、毎週がゼミコンパです。もちろん参加は任意ですし、毎週参加するほど学生さんの財布に余裕はありませんが、それでも毎週10人近い規模で楽しんでいます。それだけではなく、土曜日にはジンパもやりますし、流しソーメンも食べます。夏休みのゼミ合宿は3泊4日(平成20年度)で、ラフティングもやりました。ディベートが始まれば、各チームの結束を固めるため、それぞれいろいろ遊んでいるようです。

しかし、これらの行為は、すべて円滑なディベート実施に役に立っています。単に学生と遊んでいることを正当化するかのようでもありますし、どちらが主でどちらが従かは不明ですが、意味のないことではないのです。

6.以上、私の授業がみなさんの参考になれば幸いです。


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