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<札幌農学校植物園の設立>
1884(明治17)年6月、宮部金吾は植物園の設立に向けて、北海道の植物を採集する旅に出発します。そのルートは日高地方から北見地方におよんでいますが、帰路根室に立ち寄った際に居合わせた船に乗り、千島(色丹島、択捉島、得撫島)の植物も採集しています。
この採集旅行は、宮部にとって非常に重要な経験であるとともに、植物園にとっても大きな契機となっています。
○北大植物園の出版物やウェブサイトに利用されているクロビイタヤの図は、その学名(Acer miyabei)が、宮部に献名されたものであることにちなんでいます。クロビイタヤはロシアの研究者マキシモヴィッチによって新種として記載されましたが、その材料となった標本は、宮部がこの旅行の途中、日高静内で採集したものです。宮部の名前をもつ植物は多数存在していますが、最初に献名された植物であり、それを記念して植物園のマークとして利用しています。
○植物園内南ローンのグイマツは、北海道には自生せず、樺太(サハリン)・千島に自生する樹木です。この木は、宮部が持ち帰ったものと考えられています。
○宮部はこの旅行ののちハーバード大学に留学し、博士論文「千島植物誌」によってドクトル・オブ・サイエンスの称号を得ています。帰国後農学校教授、植物園主任(園長)に任じられ、退官まで植物園の発達に尽力した宮部の存在なしに現在の植物園はありえません。
<植物園設置計画の変更>
宮部の採集旅行中である1884年7月に、植物園の設立計画にとって大きな変更がもたらされました。開拓使の廃止後に農商務省北海道事業管理局の管理下にあった札幌博物場とその付属地が札幌農学校に移管されることになり、植物園の用地として位置づけられました。現在の植物園の場所となるこの土地は、宮部の伝記によれば「天然の風景に富み、ここに温室を造り、花壇を作る等の地形にあらざる」ため、「能う限り天然の風致を保存し、各種の樹木を造庭法に適ふ様植栽」する方針が定められました。園路の設計にあたっては、敷地内を学生に自由に歩かせ、そのルートを参考にしたともいわれていますが、現在も当時の地形のまま多くの樹木を残している北大植物園の姿は、明治初期の札幌の様子を偲ばせる存在となっています。

宮部の採集行程
(『宮部金吾』より)

クロビイタヤ

宮部の喜寿祝の花瓶
表にクロビイタヤが描かれている

グイマツ

農学校時代の温室
(附属図書館所蔵)

農学校時代の植物園の様子
(附属図書館所蔵)