北海道大学植物園

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北大植物園の歴史

3. 札幌農学校植物園の設立  <  4. 札幌農学校所属博物館の設立  >  5. 植物園の発達

<札幌農学校所属博物館の設立>
 札幌農学校に移管された札幌博物場は、札幌農学校所属博物館と名前を変え、開拓使、農商務省時代に力を入れていた産業資料の収集を減らし、農学校の教育・研究に関係する自然史資料の収集に力を入れるようになります。
 明治20年代初頭から大正初期まで博物館の職員として勤務した村田荘次郎は、内国勧業博覧会の鳥獣剥製の技師としての経歴を生かして、北海道を中心とした鳥類の標本を数多く収集していました。村田が1910年と12年に行った樺太動物調査の標本も残されています。
 1907年に館長となった八田三郎は、鳥類標本のさらなる充実に力を注ぎました。日本産鳥類目録を1878,1880,1882,1884年に執筆しただけでなく、北海道と本州の間にある津軽海峡に動物の地理学上の境界線があることを示したブラキストン(Thomas Wright Blakiston)の採集鳥類標本は、1879年に函館仮博物場に寄贈されましたが、後に複数の博物館、学校に分散し散逸の危機にありました。八田は、この標本群を博物館に集めたことが知られていますが、ニューヨークの博物館との標本交換なども積極的に実施していました。

 八田と村田は、研究材料としての標本収集だけではなく、博物館の教育面での活動にも力を入れていました。1910年に『札幌博物館案内』を刊行し、展示資料の解説を充実させていきました。なかでも、博物館が札幌農学校に移管された後には収集されることが少なくなっていたアイヌ民族資料とその文化の重要性に理解を示していたことも特徴といえます。
 八田は早くから映像による記録に関心を持ち、白老のアイヌの人々の様子を記録したフィルムが残されています。このような八田の活動は、次の世代にも受け継がれてゆくことになります。

明治末頃の博物館

 

ブラキストン

 

『札幌博物館案内』1910年

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