5. 植物園の発達 < 6. 博物館の発達 > 7. 植物園と博物館の統合〜これからの植物園〜
<博物館の発達>
1930年代に博物館長となった犬飼哲夫は、八田三郎の影響を受けてヒグマに関する調査を進めていました。その中で、八田同様にアイヌ文化に深い関心を持ち、名取武光とともに資料の収集・研究にあたります。植物園が所蔵する体系的なアイヌの熊送り関係の資料は、この時期の収集によるものです。
(犬飼哲夫の活動)
犬飼は、ヒグマだけではなく様々な動物を研究対象としていました。ナキウサギの分布や海獣その他動物の毛皮に関する研究はよく知られていますが、樺太犬の研究も早くから実施していました。このため、1932年の南極観測に際して、犬ぞり隊の犬の入手や訓練を依頼され、タロ・ジロの育ての親と呼ばれることになり、タロは植物園で余生を過ごすことになったのです。
(名取武光の活動)
名取は、各地のアイヌの古老の協力を得て、花矢やキケイウシパシュイの地域差などの研究を進めました。また、考古学分野にも関心を持ち、北海道の考古学が科学的に実施されるようになった1930年代の中心人物でした。博物館勤務時代に名取とその協力者が収集した資料も植物園に所蔵されています。
(博物館相当施設として)
戦後、博物館法が制定され、北海道大学農学部附属植物園と農学部博物館は、「博物館相当施設」として指定されます。大学の植物園・博物館でありつつも、社会教育の機関としての役割を果たし続けています。
(標本管理の整備と充実)
博物館は設置当初から少人数の職員によって運営されてきました。そのため、移動に伴う情報の混乱などが少なからずあったようです。1960年代に管理者となった阿部永によって標本管理体制が整備され、この体制が現在まで継続されています。
また、阿部が収集した小型哺乳類の標本群約9,000点が植物園に寄贈され、鳥類標本とともに植物園の動物学標本の基幹となっています。
(文化財建築)
1989年、博物館本館をはじめとする建築物が国の重要文化財に指定されました。長い歴史の中で改変された部分を復元し、明治期の博物館をイメージできる形に整備されました。また、2000年には宮部金吾記念館、バチェラー記念館が登録有形文化財に指定されました。植物園が札幌の原地形を残してきたように、博物館も”変わらないできたこと”が文化の記録、継承に役立っているといえます。

クマ送りの祭壇

タロと犬飼
花矢

名取の収集した考古資料

阿部永コレクション

博物館本館