acer ウィリアム・S・クラーク

ウィリアム・S・クラーク William S. Clark (1826-1886)

合衆国マサチューセッツ州に生まれる。
開拓使の御雇外国人として札幌農学校教頭を務める。
わずか9カ月足らずの札幌在住にも関わらず学生達に多大の影響を与えた。
札幌を去るに当たって残した「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の言葉はあまりにも有名。
農学教育に植物園が必要である事を建議したのもクラーク博士と言われる。
本植物園初代園長宮部金吾はクラーク博士の直接の教えは受けていないが、 農学校一期生を通して強い影響を受けたという。

そのクラークも実は或る植物に影響を受け、人生が変わったと言っても過言ではないエピソードがある。 ウィリストン高校時代から植物学に惹かれてはいたものの、鉱物学にも興味を持ったクラークはアマー スト大学時代に鉱物採集にのめり込み、採集した鉱石標本を売って学費を賄うまでとなった。
大学卒業後母校で科学の教師をしていたクラークは、化学で博士号をとるためにドイツのゲッチンゲン にあるゲオルギア・アウグスタ大学に留学する事になる。このドイツ留学の途中によったロンドンのキ ュー植物園で見た植物こそがオオオニバス(Victoria regia)であった。
この事はクラーク自身次のように述べている。 「20年以上も前の事になりますが、地質学研修のためヨーロッパに参りました折り、ロン ドンに数週間滞在いたしまして、その間にキュー王立植物園を訪れる機会がありました。私 はここでヴィクトリア・レギア(Victoria regia)なる睡蓮の新種で、葉といい、花といい、温帯 で育ったものとしては最大のものを目のあたりにし、非常に感動いたしました。それに圧倒 される程に魅了され、できることならアメリカにも植物園を造りたい、そしてそこにこれと 同じ素晴らしい睡蓮を咲かせたいと心に決めたのです。実は、これが一つの契機となり、私 はアメリカ西部の鉱山地帯に自分の運命を切り開くのを止め、アマースト大学で教えるよう になったのです。したがって、私と農科大学との結びつきは、ロンドンでのその瞬間私が植 物学を志すことに転じた結果に他なりません。このヴィクトリア種の花がわが国で美しくほ ころび、芳しい香を漂わす様を見たいものという私の念願は、本学のダーフィ植物館で、す でに幾度もかなえられているのです。もし、本農科大学に私が何か役立ち得たとすれば、あ るいは将来役立ち得るとすれば、それはすべてキュー王立植物園のおかげだと申せましょう。」

−1872年マサチューセッツ州庁農業局での講演から−

「クラーク  その栄光と挫折」 
 ジョン・エム・マキ=著
  高久真一=訳
  北大図書刊行会
クラーク博士
1826年(文政  9) マサチューセッツ州アッシュフィールドに生まれる(7月31日)。
1848年(嘉永  1) アマースト大学卒業。
1850年( 〃   3) ドイツ、ゲチンゲン大学へ留学。途中ロンドンにてオオオニバスと出会う。
1852年( 〃   5) 博士号を取得して帰国、アマースト大学教授となる。
1861年(文久  1) 南北戦争へ出征(8月)。
1863年( 〃   3) 軍隊を辞任(4月)。アマースト大学に復職(6月)。
1867年(慶応  3) 開学予定のマサチューセッツ農科大学教授(4月)、
                   同大学長(8月)、同大開校(10月)。
1876年(明治  9) ワシントンにて日本行契約署名(3月)、札幌到着(7月31日)、
                   札幌農学校開校式(8月)。
1877年( 〃 10) 札幌出発(4月16日)、横浜港から離日(5月24日)。
1886年( 〃 19) アマーストで心臓病のため死去(3月)。

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