水中スクーターを利用したソリネット関連論文三部作完成記念!
『メイキング オブ ザ スレッジネット』
- 故阿部康二氏に捧ぐ -
宗原
(上)
あれは何年前のことだろう。季節が秋だったことを覚えているだけで、ずっと昔のような気がする。
記憶が遠いのは、苦い思い出だからかもしれない。
第1章 ミスキャッチ
それは、カジカを捕りに実験所前の砂底を潜っていた時のことだった。5mぐらい先に、3cmくらいの見慣れない薄い桃色の小さな魚を見つけた。ヒメジの仲間の稚魚だった気がするが、取り逃がしたので、種名は今でもはっきりとはわからない。その小魚にそっと近づき、その時、手に持っていた金魚網(図1)をかぶせて、すくい取った。しかし、取り込む前に、逃げられてしまった。
市販の金魚網は水槽の魚をすくい上げるためのもので、長方形の枠についている網の袋部分は、その用途に合わせて適度に浅くなっている。そのため、その網を使って水中で魚を採集するのは、それほど簡単なことではない。魚を網で捕らえることも、それなりの熟練を要するが、その後が、本当の腕の見せ所になる。網の中に入った魚は脱出しようと必死でもがき、パニック状態で出鱈目に動き回る。暴れる魚の動きを読みながら、網の奥へと魚を追い込むことが最初の作業だ。その後、機を見て、網の奥すなわち網袋の先を絞り、その部分を枠の一辺で手早く折り込む。これらの連続して行なわなければならない作業のタイミングがどこかでずれると、死に物狂いに泳ぎまわっている魚は、ついには網の外につながる通路を探しだし、一瞬の隙を突いて脱兎のごとく泳ぎ去ってしまうのだ。魚を完全に自分のものにするには、魚の前方を常に遮るための、魚種それぞれが持つ動きの癖を読む『勘』を養い、その魚が泳ぐ以上に素早く、的確に網を操作する『力』と『技』が求められる。
網地が白い糸で出来ていることも、魚を不安に陥れ、必要以上に暴れさせる要因にもなっているが、市販の金魚網では取り逃がしが多くなる主たる要因は、網袋が浅いという構造にある。
図1. (a)市販の金魚網、(b)網袋の先のゆとりが小さく、魚を逃しやすい。

(a) (b)
言うまでもないことだが、それが金魚網の欠点だという訳ではない。水槽の魚をすくうという本来の用途においては、理想形に近い。そのことは、その用途で使うことも多いので、よくわかっている。ここで言いたいのは、あくまで、水中で使う場合の話である。
用途の違いから生ずる問題は、実は、まだある。魚を網の中に拘束しただけでは、安心できないのだ。今度は、網袋に捕らえた魚を、採集瓶のフタを開け、その中に移さなくてはならない。強引に網の中に手を突っ込んで、魚を掴もうとすると、逃走するチャンスをみすみす与えてしまうだけだ。実際に、何度も冷たい海中で煮え湯を飲まされた。そうなることを避けるためには、網の外から網地もろとも魚を掴むのが良い。その場で殺しても構わない魚なら、その段階で少し強く指ではさみ、圧死させるのも有りだ。
網ごと魚を掴んだら、フタを外した採集瓶の上部に、その手を持っていき、握りを緩める。握力から解放され緩んだ網から魚が出ていってくれれば、そこは採集瓶の中である。「しめた」、と一息つける。獲れた魚を確認し、フタを元通りしめて、ミッション完了となる。実はこの時にも落とし穴があり、フタをしめる前に逃げられるなど、散々悔しい思いを味わってきた。その経験から採集瓶も随分と改良を重ねた。未だに完成に至らないし、この話はこれからの話と無関係なので、今回はここまででやめておこう。
これほど不便でも、それまで10年間以上も、何ら手を加えることなく市販の金魚網を使っていたのは、カジカのように泳ぎが遅く、意表を突いた動きをしない魚に対しては、十分に役立っていたからだ。
「動きの速い魚、しかもたまにしか見かけることがなく、動きの勘所をつかめていない魚を相手に水中で捕まえるには、専用のネットが必要だ」、ということを十分に思い知らされた。魚が逃げ去った方向に視線を泳がせ、歯ぎしりしたい心境で、レギュレーターのマウスピースをくわえていた。
第2章 またも失敗
そこで、試作したのが、図2のネットだ。外見は虫取り網を小さくした柄付きのタモ網といったところか。しかし、それなりの工夫を施してある。滑りの良い塩化ビニール製のパイプを適当な長さで切って柄として、その先に塩ビ溶接棒で作った網枠を取り付け、サランの網を枠に縫いつけてある。網枠の塩ビ溶接棒には、窓のすきま風をふさぐ時に使う、スポンジで出来た隙間テープを強力粘着テープで貼り付けてある。サランの網の内側に取り付けられた4本の塩ビ溶接棒は、傘の骨のような役割を果たし、網がかまぼこ形のドーム状に膨ませている。さらに、柄には、塩ビのT型ソケット(チーズ)が通してあり、手許部分にはL字型ソケット(エルボー)も嵌めてある。T型ソケットは、柄よりもふた回り大きい径の規格品を使ってあるため、柄の部分に沿ってシリンジのように滑らかにスライドする。しかも、そのソケットには糸とゴムが端にそれぞれ結び付けられている。このネットが見た目よりも複雑に多数の部品から成っていることがわかってもらえるだろう。
多数の部品には、それぞれに役割が与えられている。それは、このネットの最大の特徴である枠が動き入り口が閉じられるという機能と関係する。『入口が閉まる』という点で、このネットは、硬い針金をきっちりと折り曲げ、網枠の形状が定形になっている金魚網とは、もはや全く異質な構造物であると言い張れる。
図2. (a)フィッシュキャッチャー、(b)T型ソケットを手前に引っ張ると、(c)、(d)枠が動き網口が締まる。

(a) (b)

(c) (d)
使い方は次に述べるようにして行う。
海底付近を泳ぐ魚の上から網をかぶせ、魚が入ったことを確認してから、柄の根元に備わるT型ソケットを手前に引っ張り、網側から手許側に寄せる。すると、T型ソケットと枠の一辺に結び付けられた糸が、その枠を、平行に向き合う側にある別の枠の方へ動かし、2つの枠を密着させる。密着と言っても、2本の枠は細いため、どこかに隙間が出来る。その隙間を完全にふせぐ役割が、枠に貼られたスポンジである。引き寄せたT型ソケットに結びつけられたゴムを、手許側の端にあるL字ソケットにつけた溝に引っかければ、密着した枠はその状態で固定され、サランのネットは閉じられた袋状態となる。かまぼこ形をしていたドームが、一瞬にしてバウムクーヘン型に変形するのだ。
この操作を実行する時に、慌てる必要はない。枠が海底に密着していること、あるいは網の中の魚が海底から少しでも離れていること、これらのいずれかを確認出来た時に、T型ソケットを手前に静かに滑らせ、可動する枠を閉じてしまえば、網に入った魚の脱出口はなくなる。魚を捕らえた時のことを想像すると、無意識に『必殺仕掛け人』のクライマックスで流れるメロディーを口ずさんでしまう。
♪チャララーン。
ぼきっぼき。(指の骨をならす音)♪チャンチャン
すっ〜〜と。(魚に近づく)♪チャッ
ずぶっ。(ソケットを引く)♪チャラララー
「うっ」(魚が逃げ遅れたことに気づく)♪チャリン
ドラマと違って狙われる魚には、何の罪もなく気の毒だが、
「おまえは、もう死んでいる」
「アイデアは良かった」、と今でも思う。
水槽で飼育しているカジカで試してみると、思い通りうまくいった。『フィッシュキャッチャー』、それとも『フィッシュピッカー』がいいかな、商標まで考えていた。
しかし、実際に、水中で使ってみると、はかばかしい成果は得られなかった。それは、製作中に次第に分かってきたことでもあったが、塩ビの溶接棒では枠が柔らかすぎるうえ、サランのメッシュが細かすぎて水の抵抗が大きいため、網を水中で素早く動かせないのだ。しかも、首尾良く、魚を網の中に捕らえても、それを採集瓶に取り込むのが、これまた大変に手間取った。
つまり水中では使い勝手が悪すぎるのだ。
厚いネオプレン製のグローブをはめ、タンクのエアーによって時間制限を受ける水中作業では、『使い勝手』は真っ先に求められる絶対的な要件だ。なのに、
アイデアに溺れてしまった。
第3章 稚魚の海
倉庫に残っていた端材で作った試作品を用途に適った素材で作りかえれば、フィッシュキャッチャーの使い勝手がもっと良くなる自信はあった。しかし、砂底の稚魚を気にかけて観察しているうちに、当初、想像していた以上にたくさんの稚魚が生息していることが分かってきた。もっと詳細に調べたい。好奇心がわいてきた。
また、その頃、地球規模の環境変動に関する科学的なデータの必要性がかまびすしく叫ばれてきた。常に流行にとらわれず、「田舎から世界へ、未来を見つめる」を信条とする臼尻水産実験所としても、開所以来継続してきた沿岸海況観測以外に加えて、何らかの生物モニタリングをしたかった。しかも、新しい方法で、それが画期的だったら、言うことなしだ。功名心がもたげてきた。
臼尻は、暖流と寒流がぶつかる世界でも限られたロケーションにしかない恵まれた海域を持つ。この2つの海流の優勢は、季節によって変動し、年較差もある。
黒潮が現在のような流量で日本海に流入し、津軽暖流水が臼尻にまで到達するようになったのは、わずか1万数千年前のウルム氷河期が終焉して以降だ。それ以前は、太平洋側を北上する黒潮も紀伊半島沖で東向きに進路を変え、日本列島から遠ざかっていたらしい。当時の寒流が黒潮の下に沈み込む位置も、三陸沖ではなく、もっと南下した海域からだったとも言われている。当然、臼尻の海は、寒流の魚が多かったはずだ。
しかし、1万年あまりの間、ゆっくりと暖流の影響が強くなってきたわけではない。北海道で初めて国宝に指定され『中空土偶*』で有名な遺跡群を残した縄文人が臼尻に暮らし始めた9,000年前ころは、むしろ今よりも温暖だったという。その頃の臼尻に流れ込む暖流は、今よりも強かっただろうと想像する。気候変動は急速に起こるものであり、それが周期的に繰り返されるという摂理によって、この地球は支配されているのだ。
地史的にわずかな期間の過去を現在から振り返っただけでも、臼尻は地球規模の環境変動を敏感に感じ取ることができる地域であり、海だということが分かった。温暖化が今よりも進めば、海面レベルが上がり、暖流が強まる。それも急速に。そして、その影響は、寒流とぶつかり合う海域で顕著に表れるだろう。そうなれば、南から北に流れ着く稚魚は、いっそう多くなる。
暖流に乗ってやってくる稚魚は、概ね低温耐性に欠ける。冬季に水温が低下する臼尻の海は、それらの魚種には厳しく、ほとんどは死に絶えるだろう。こうした暖流系稚魚の北方への漂流を『死滅回遊』としばしば言われる。しかし、戻ることができないのだから『回遊』は正しくない。『死滅漂流』の方が、暖流域で産まれ不本意ながら臼尻に漂着した海洋生物の有り様をより正確に表現しているだろう。
それでも、その中から、稀に冬を越たり、漂着した地で繁殖するような魚も出てくる。海洋生物の分布を生物地理学的にながめると、海流による卵・稚魚の散布がたくさんの犠牲を伴いながらも、ついには漂着した水域で運命を受け入れ、繁殖する子孫が現れることで、分布域を拡大してきた種が多数いることを理解させられる。極めて稀ではあるが、実際に起こることに違いない。そんな稚魚たちの生存闘争が、臼尻の魚類相を変動させてきたし、これからも続く歴史なのだ。
一方、季節的に親潮が優勢となる季節は、寒流系の稚魚も流れ着く。
そもそも北海道の魚類相は、日本のその他の海域と相当に異なり、寒流系の冷温帯性の魚の種類の方が、暖流系の温帯・亜熱帯性の魚種よりもはるかに多い。寒流で運ばれてきた魚たちは、いったいどうなるだろうか。臼尻の夏は表層の水温が20℃を越えることもある。冷たい海を好む魚には、暖かすぎると感じる温度だ。しかし、冷たい海水に逃げ場を失う暖流系の魚と違い、寒流系の魚たちは、少し深みに移動するだけで、好みの水温帯を見つけることが出来る。そこで成長し大きくなり、移動能力が高くなれば、産みの親たちが生息する北に戻れることが出来るかもしれない。もし、すべての寒流系の魚種がそのような生活史を送るなら、臼尻の沖合からは、親潮の源流域にあたるカナダやアラスカと同じ種類の魚がたくさん見つかることになる。臼尻でよく見かける魚類は、カジカ類、ゲンゲ類、アイナメ類の仲間である。確かに、これらの魚類は、北太平洋沿岸に広く生息している。しかし、単一種でみると、北太平洋の全域に生息している沿岸魚の数は、極めて少ない。
それでも、同属など『近縁』というカテゴリーで括れば、北太平洋に広く分布する仲間は、カジカ類やゲンゲ類、アイナメ類にもたくさんいる。おそらく、これは漂流してきた膨大な数の稚魚たちの中に、見知らぬ海域で生き残った猛者たちがいて、その子孫が、此の地に適応するために、時間をかけて、多少とも姿を変えなければならなかったという結果であろう。このような魚種が北海道に多いということは、逃れる場がなく死滅してしまう暖流系の漂着魚に対するよりは、親潮に乗ってやってきた魚類にとって、北海道は優しかったと言える。
臼尻は、暖流と寒流が流れる海域ではある。しかし、実際に、ここに出現する稚魚たちは、不本意な流浪の旅を強いられた稚魚たちだけではない。ある程度の期間、旅を続けることが出来たら、自力で泳げるようになり、落ち着くべく故郷、それが臼尻周辺であり、ここを目指してやってきた稚魚たちもいる。むしろ、流され者より、こうした稚魚の方が多いと考える方が妥当だ。博打ばかりしている親魚たちでは、やがては種(タネ)も尽きてしまう。
北海道にある水産実験所としては、自分たちの怠慢を吐露することにもなるのだが、寒流系魚類には、未だに初期生活史はおろか形態変化さえも情報のない種が多い。だから、調査をすることで、親魚の姿しか知らなかった魚種の、親とは違う姿の稚魚と会えるかも知れない。また、それぞれの種のこれまでの南限記録や北限記録を更新し、臼尻侵出のチャンスを伺う魚類の先兵を引っ捕らえることが出来るかも知れない。臼尻に出現する稚魚の種類や個体数の年間を通じた調査から、季節的な傾向だけでなく、環境変化によって変動する魚類相の前触れを察知できるだろう。そして、これまで知られていなかった魚種の生活史の一端をも明らかにすることができるに違いない。
このことを考えていた時の心境を思い出してみると、
(たくさんの稚魚が生息している。未来のために、20世紀初頭の臼尻の稚魚相を定量的に記録しておこう。高揚した使命感で心がいっぱいに塞がっていた。)と表現できる。
と思ったりもしたが、冷静になって考えてみると、やはり、フィッシュキャッチャーの試作が、海洋生物の研究をスルーして、稚魚を捕るための採集ツール開発を研究目的にシフト(すり替えようと)していたというのが、本心に近い気がする。環境モニタリングをすることに、責任と使命を感じたというのは、正直に言えば、後付けの動機だった。
目的は何であれ、稚魚研究が重要であることは十分理解できた。まずは、やってみよう。もちろん、1個体づつなんてのは、かったるい。定量的なデータをとるために、もっとたくさんの稚魚を、しかもできるだけ取り逃がしがなく採集できる方法が必要なのだ。それなら、船で稚魚ネットをグングン曳くことや、波打ち際で専用の網をソーレと曳いたり、ドッコイショと押す網もある。しかし、そのような、ありきたりのモニタリング調査は、大学で新規にやる研究ではないという、妙なプライドがあった。それに、それらの方法にはそれぞれに限界があり、それを補えて、それでいて、もっと面白いことをしたかった。
コンセプトがイメージになり、予算がつき、設計図が出来上がって、製作に取りかかるまでには、さらに何年も要することになったが、挑戦が始まったのは、ミスキャッチをきっかけに試作したフィッシュキャッチャーの失敗からだった。
(つづく)
注-*国宝に指定された「中空土偶」は、3,500年前に作られたとされる。
以降の予定
第4章 またまた失敗
第5章 失敗を糧に
第6章 科研費採択
第7章 疾走!ソリネット
(見出しは、変わるかもしれません。)