『メイキング オブ ザ スレッジ ネット』

- 阿部康二氏に捧ぐ -

 宗原

(下)




(上)のあらすじ(VOL.57

 潜水調査中に、市販の金魚網を使って見知らぬ稚魚をとり損ねたことをきっかけに、着底稚魚に注目すると、面白くかつ重要な研究をやれそうなことが分かってきた。そこで倉庫に残っていた端材を使って網を作ったのだが、これが全くの駄作。どうやら、着底した稚魚を捕るための専用の網を製作しなくてはならないようだ。次の試作品やいかに。



(中)のあらすじ(VOL.58

 試作品2号を外注し、海中で使ってみた。冬季オリンピック競技のスケルトンのようなフォルムで大きな期待がかけられたのだが、操作性、機能あらゆる点で失格、全くの駄作であった。魚もお金もスルーさせる高価なザルとして役割を終え、倉庫に永眠する運命となった。浪費により新たな資金調達が必要になり、再起を図るべく科研費申請を企んだ。しめ切りが迫る中、アイデアに行き詰まり、苦し紛れに出した提出した案は、幸運にも採択された。さあ、大変。失敗は許されない状況で、一人の男とコンタクトを図った。その男とは。





第6章    コミッション(commission




 研究課題「スキューバ潜水による着底稚魚の効率的採集機材の開発」の研究分担者を引き受けていたM教授の研究室は、道南のHa市にあるHo大学水産学部の5階にあった。北洋漁業が華やかし頃、Ha市は母船式サケマス船団の基地として、遠洋漁業に関連するあらゆる産業が活況を呈していた。造船業、漁業資材メーカー、船荷や水産物を扱う商売、もちろん繁華街も賑やかな春を謳歌していた。しかし、最後の母船を見送り16年が過ぎていたその年、M教授の研究室の窓からは、造船工場の紅白の巨大なクレーンが見えても、大漁旗をなびかせた漁船の姿はなかった。ゴライアスクレーンと呼ばれる、その強大なマシーンも本来の役割であるクレーン機能は、とうの昔に失っていた。残された唯一の役割がランドマークとしての存在感であった。しかし、それも、塩水をたっぷり含んだ季節風に長い年月曝されているうちに、表面には錆びが浮き出し腐食による倒壊が懸念されて、その5年後には取り壊されてしまう運命にあった。そんなHa市の歴史や産業と結びつくHo大学水産学部にあって、とりわけM教授の研究室は関連が深く、そうした事業を生業とする企業に就業する卒業生も多かった。



 「トン、トン」。

 訪問者がドアをノックして部屋に入ると、M教授はいつもこの時間にそうしているように机を背にして窓から外を眺めていた。港を一望できるこの窓は、港を出入りする船舶のみならず、市街地のはずれにある空港へ着陸態勢に入り高度を下げていく航空機、フェリーターミナルに続く道路を走る自動車も視野に収めることができ、M教授がお気に入りの場所であった。M教授は、出張や休日で不在の日を除き毎日欠かさず、昼食後にはこの場所に立ち、30年以上もHa市の盛衰を見続けてきた。

ノックの音で誰かが訪ねてきたことに気付き、窓からの景色に未練を残しつつ、M教授は、入り口の方に顔を振りむけた。訪問者が誰であるか分かると、右手を上げて軽く挨拶を交わし、部屋の中央にあるソファの方に、その右手を差し出すと同時に、視線を動かし訪問者の関心をそちらに向けた。そこには、その5分前に来ていた別の訪問者が腰掛けていた。

 短髪、長めの揉上げとくっきりと太い眉毛から『ゴルゴ』とニックネームをつけられた、後から来た訪問者も顔見知りの男だった。ゴルゴは、M教授の研究室で卒業研究を終え、大学院進学を勧められながらも、卒業後すぐに就職し、Ha市の西隣にあるK町内に工場を持つ老舗の漁網メーカーに勤めていた。その町は、行財政基盤の強化を目的に、数年後には、さらにその西側の隣町と合併する協議が進み、近々Ho市となる予定であったが、当時は、まだK町であった。

 「クライアントよりも先に来て、待たせないと云う流儀は、さすがはプロだな」。後から来た訪問者は、冗談半分にそう言うと、挨拶する仕草で左手を挙げながら、その男に声をかけた。

「よっ、阿部くん。久しぶりだね」。

----」。

 元来もの静かな男であったが、ニックネームが気に入り、一層無口になっていた。

 近づいて、もう一度、今度は先ほどより少し大きな声をかけると、ようやく反応した。切れ長の眼を細め、相手を覗き込むようした後、懐かし人に会った時に浮かべる親しげな笑みを一瞬みせた。

 「眼が悪いのに、メガネもやめている。ゴルゴになりきっているんだ」。後から来た訪問者は、そう思った。

ゴルゴへの連絡役を果たし役割が終わったM教授は、自分の部屋であったが、いつのまにか、その場から消えていた。この大学は、どの部局も大概の午後は何がしかの会議を開く。そうした会議の一つに出席しているのだろう。

後から来た訪問者、つまり今回の依頼人は、ゴルゴとは、5年ぶりくらいの再会であった。しかし、その日は、お互いに時間に余裕がなかったためか、それとも早く仕事の話をしたかったのか、通り一遍の雑談もそこそこにすぐに用件に入った。

 「着底稚魚をとるネットを作りたい。小回りを利かせる必要があるので、船で曳くのではなく水中スクーターを使いたい。ネットは、ヒラメ調査用を基本構造として、網口の幅を半分の1メートルにする。網の走行速度は時速2?3km程度は欲しい。そうなれば、問題となるのは、スクーターが1台では、この速度は不可能なことだ。だから、2台のスクーターを載せるフレームを作る。速度と運搬のために軽量化が必要になってくるが、スクーターの重量や網の抵抗に耐えられる強度は、当然クリアーしなくてはならない。網は海底を直進するだけでは困る。進行方向を素早く変えられるステアリングと2台のスクーターを同時に制御できるスイッチが不可欠になる」。依頼人は、ここまで一気に話し、ゴルゴの反応を伺った。

---」。

 依頼人は続けた。

「フレームの走行速度と安定した駆動性を確保するためには、車輪とサスペンションをつける必要があるだろう。それに、この採集機材は、魚を捕ることだけが目的ではないから、フレームには、網口の魚の動きを撮影するためのビデオカメラを取り付けたい。映像は採集効率を求めるのに使われる。フレームを軽量化した結果、強度が保証できないというなら、短い時間でなら水中で組み立てる設計にしても良い」。用途と求める性能、スペックなど、依頼内容の一通りの説明が終わった。

「どうだ、できるか」。再度、反応を伺った。

---」。ゴルゴは依頼人に受諾したことを眼で合図した。

「あとはよろしく」。

 依頼人がいつもの決め台詞を放ち、右手を差し出すと、ゴルゴはソファから立ち上がり、一度小さく黙礼して、そのまま、M教授の部屋から去って行った。

 一人部屋に残った依頼人は、劇画のゴルゴは握手をしない、と云うことを思い出していた。





第7章    プラン(plan




 しばらく音沙汰ないまま、2か月が過ぎた。

 「難しい注文が多かったからなあ。特に、2台の水中スクーターを同時に制御出来るスイッチを作るなんて、簡単には思いつかないだろうな。網に関しては、こっちのゴルゴもプロとは言え、まだ若いからなあ。夏までに完成なんて無理かもしれない」。と依頼人が心配し始めた丁度その週の中頃に、ゴルゴから連絡が入った。

「図面が出来た。説明にそちらに伺いたい」。

依頼人が詳しい話を聞こうとする前に、電話は切れた。

あっち(劇画)のゴルゴでは、依頼人が2度目に合う時は、依頼人が死ぬことになっている。しかし、こっちのゴルゴは、打ち合わせにこれから何度も実験所に来て依頼人と会うことになる。ここだけが本編と劇画の違うところである。



 ゴルゴは社用車を降りて実験所に入るなり、図面を広げ、最初に1点を指した。次に、その指先を別の場所に持っていき、そこから指を横にスーっと動かし、2回直角に曲がったところで止まった。指先の軌跡は、クランクを描くような線だった。

 依頼人は最初に指で示された場所をみて、

 「ソリか。車輪方式では、砂の中に沈み、操作が難しくなると考えたのか。なるほど、小回りを利かせる機動性という点では、ソリネットは案外使えるかも知れない。そう言えば、ヒラメの調査網もソリネット方式だったな。これはうっかりしてた」。

 「そのとおり」。と声を出す代わりに、大きく頷くゴルゴに、依頼人はさらに尋ねた。

「実際に、動いて、魚が捕れる確率はどれくらいあるのかい」。

----」。

 ゴルゴは、今度は先ほどより小さく頷き、封筒から1枚の紙をスッと差し出した。

 それには、『見積書』と書かれていた。

 依頼人は図面をもう一度見て、もっとも懸案であったことを尋ねた。

 「水中スクーターのスイッチは、どうやってコントロールするのか」。

 ゴルゴの指は、図面の上を先ほどと同じようにクランクを描いた。指先のなぞった軌跡は、水中スクーターのスイッチが描かれている箇所からハンドルのあたりまでであった。

 ゴルゴの指先の動きを、依頼人の視線が追いかけていた。

 「ほおー、紐で動かすのか。アナログっぽいな。でも、それはそれで、水中向きかも知れない」。図面を見ているうちに、いけそうな気がしてきた。というより、やるしかなかったので、「やれる」と信じなければならないことを確認しただけだった。

「それじゃ、試作してもらおうじゃないか」。依頼人が図面と見積書を受け取り、契約を結んだ。

 正式な依頼を受けたゴルゴは自信ありげな様子で微笑を浮かべて、社用車に乗り込み会社に戻って行った。





第8章    トライアル(trial




 200489日。試作品が完成し、テストの日がやってきた。

 ゴルゴは、乗ってきた車の荷台からフレーム、2台の水中スクーター、ネットを降ろし、実験所の前庭に並べて、それらの点検を始めた。その間、依頼人も一緒にそれらを見てまわった。

水中スクーターはA社製で、レジャー用を売りにした廉価なスクーターと比べると頑丈な作りで重く、バッテリーを装着すると、1台の重量は20kgを越える。しかし、3段可変ピッチ式のプロペラが採用されていて、パワーや航続時間など、スペックのパフォーマンスは、市販の水中スクーターの中では、最も高いものだった。これは依頼人が奨めたパーツであった。

フレームは12kgと注文通りの軽量なものに仕上がっている。アルミでもよかったが、強度を上げるため耐食性の高い、規格番号がSUS304のステンレスパイプが使われていた。

網は、試作段階で十分なスピードが出ないと話にならないので、少し粗めの5ミリ目合いのモジ網が採用された。着底直後の小さな魚はスルーしそうだが、網部分は後で作りかえれば良い、と作製前の打ち合わせで合意が出来ていた。

これら主なパーツの材料選択と設計は、理想的かどうかわからないが、試作品を製作するにあたってベストを尽くしたと、依頼人もゴルゴも納得ずくであった。

 ここからが問題である。最も懸案していたのは、言うまでもなくスイッチである。スイッチが操縦者の意思を素早く水中スクーターに伝えるものでなければ、魚の採集装置として機能しないだけでなく、凶器になってしまいかねない。もちろん、凶器の刃は魚に対してではなく、操縦者に向かうのである。パワーのある2台の水中スクーターが暴走する恐れのあるような動力装置を海中で使用することは、とてもできない。水中では、何より安全第一なのだ。

そのスイッチのデモンストレーションのため、ゴルゴは、おもむろに水中スクーターを持ち上げ、フレームに載せた。

 フレームの左右には、スクーターの形状に合わせて工作した台座が溶接で留めてある。ゴルゴは、左右の台座に1台ずつスクーターを載せた。そして、ポケットから2つの特注のスイッチ-アダプターを取り出した。このスイッチアダプターは、2台のスクーターのスイッチを制御するために、ゴルゴが考え出したオリジナルのパーツだ。水中スクーターのスイッチの近くには、水中ライトなどを固定するためのステーがついている。そこにとりつけ可能なアダプターをステンレスで作り、スイッチの位置にスイッチの幅の鉄棒をあてがった。鉄棒は、てこの応用で上下に動くようになっている。そのスイッチアダプターには、グリップのついたネジがついていて、ゴルゴはそれを右手で回し、2台のスクーターのスイッチにアダプターをしっかりと固定した。






  

  



写真1.スイッチの仕組み。(左上)スクーターの台座。(右上)スクーターのスイッチに取り付けた特注のスイッチアダプターと紐。紐は滑車で方向を変えられ、(左下)ハンドルと平行に付けられている遠隔スイッチバーに接続している。ハンドルと遠隔スイッチバーを握ると、右下の写真のようにアダプターの可動部分の鉄棒が下に引っ張られ、スクーターのスイッチが押し込まれて、オンになる仕組みだ。握っていた遠隔スイッチバーを放すと、スイッチアダプターについているバネにより、スクーターのスイッチを押していた鉄棒が跳ね上がり、スクーターが停止する。



 そのアダプターには、『紐』を結びつけるクリップがついていた。その紐は、途中何箇所か滑車で方向を変えられながら、もう一方の端が、ハンドルの握り部分の下に取り付けてある可動する鉄の棒(バー)に連結している。したがって、紐と滑車を介して、スクーターのスイッチは、そのバーに連動し、バーが遠隔スイッチとなっているのである。それが左右一対組み込まれているため、スクーターの遠隔スイッチのバーも2本となる。しかし、2つのバーの間隔は狭く、ほぼ接した状態にある。操縦者がハンドルを片手で握ると同時に、2本のバーがお辞儀をするような動きをする。それが遠隔スイッチの作動状態になり、お辞儀と同時に2台のスクーターは起動する。握った手を放すと、バーはお辞儀から戻りスイッチはオフになり、停止する仕組みになっている。江戸時代のからくり人形のようである。シンプルだが、水中では確実に力が伝えられる方法でもある。

 ゴルゴは、ハンドルと遠隔スイッチのバーをグッと握った。1台は間髪入れずに、もう1台は少し時間をおいて、2台のスクーターから「ウーン」という低いモーター音と「ブーン」というプロペラが風切る音が発し出された。

 スイッチ部分は、少なくとも陸上では、設計通りに動くことが確かめられた。

 ハンドルを左右にふると、水中スクーターの向きが変わった。方向転換の操作も素早く簡単にできそうな感じだ。

 水中スクーターのモーター音により、依頼人は血中のアドレナリン濃度が上昇していくのを自覚した。ゴルゴの方を見やると、同じようにやや興奮気味の表情で額に汗を浮かばせ、小鼻が少しだけ膨らんでいた。



 はやる気分を抑えつつ、ゴルゴと依頼人は、ウエットスーツに着替え、スクーバ潜水の準備に取りかかった。いよいよ、「水中スクーターを動力としたソリネット、Novel sledge net system employing propulsion vehicle」の実践テストの開始である。



 今回のテストでは、

1.ソリネットが実際に動くか?

2.スイッチは働くか?

3.スピードは?

4.魚は捕れるか?

5.組み立てと解体がスムーズに出来るか?

の5項目がチェックされることになっていた。

 スクーバユニットを装着した依頼人とゴルゴは、フレームの両端をそれぞれ片手で持ち、順々に海中にエントリーしていった。フレームを持たない方の二人の手には、水中スクーターの取っ手が握られて、さらにゴルゴの腋にはネットが抱えられ、依頼人の手首にはハウジングに入れたビデオカメラと走行テストで使うメジャーのストラップが巻かれていた。

 約30メートル続く海藻の林を越え、水深7メートルの砂底に降りる。ビーチからのエントリーは、ものすごく大変だったのは、想定外だったが、調査本番では磯舟を使えば問題ない。

 海底に着いたゴルゴは、直ちに陸上でデモンストレーションした時とほぼ同じ手順で、ソリネットを組み立て始めた。依頼人は、時計を見ながら、それをビデオで撮していた。

 組み立てにかけられるリミットタイムと設定した5分が過ぎて、さらに2分経過した時、ゴルゴは親指と人差し指で丸を作り、それをバディである依頼人に見せた。組み立てがようやく終了した。






 



写真2. 海中でソリネットフレームにスクーターをセットするゴルゴ。愛用の黒いウエットスーツと白い軍手に身を包んでも、トレードマークの揉上げと短髪は露出したままだった。



 組み立てが終わったソリネットの上にゴルゴが乗った。操縦する姿勢のまま、ジッとしていた。しばらく経っても、ソリネットは動き出さなかった。よく見ると、ハンドルを握る右手で『結んで開く』を、数回繰り返しをしていた。お遊戯の練習のように見えるが、当然それとは違う。

 どうやら、ハンドルに取り付けてある遠隔スイッチのバーの動きが水中スクーターに上手く伝わらないようだ。ゴルゴは、紐の途中にある金属のリングをいじり始め、長さを調整した。対処のために予め用意したパーツらしく、手際が良かった。

水中で微調整できるのは、都合がよいものだ。

 再度、スイッチを握った。

 「ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴオーーー」。

 ソリネットは、左に一瞬だけ首を振った。2台のスクーターのスイッチがオンになるのが、少しずれたのだろう。これが直後に大変な災禍を招く前兆だったのだが、この時はゴルゴも依頼人も知る由はなかった。



 ともあれ、水中スクーターを動力として、ついに、ソリネットは動いたのである。

 10秒ぐらい前進して、今度は右に方向転換し、次に左まわりに半周した。期待通りにスムーズな動きで旋回できることが分かった。

 「おおおっ?。は、走った!回った!」。

 感動の瞬間だった。しかし、まだ安心はできない。それは、それなりの速度が出て、魚が捕れるかが問題だからだ。これがクリアー出来なければ、ただのおもちゃだ。「でも、おもちゃでもいいか。楽しいそうだし」。いや、税金を投入している以上、用を為すものでなければ、やはり駄目だ。

 そんなことを考えていた時、トラブルが発生した。

 ゴルゴは元の場所に戻り、そこに停止しようとして、右手で握っていた遠隔スイッチのバーを離しオフにした。その瞬間、ソリネットは右に急旋回し始め、砂を巻き上げながら海底でトルネードスピンした。そばにいた者は陸上競技の投擲サークルがある金網の中に突然連れて行かれ、ハンマー投げを見物させられているような恐怖を感じた。それがパフォーマンスでないことは、ゴルゴが慌ててスクーターのスイッチ部分に左腕を伸ばしていることですぐに分かった。腰を浮かせてソリネットにしがみついている姿は、あたかも暴れ馬にふり落とされる寸前のカウボーイに似ていた。左スクーターのスイッチアダプターの鉄棒を跳ね上げてスイッチを戻し、やっとのことで暴走するソリネットを宥めることができた。

 ソリネットは、幸い室伏選手のように4回転にまで至らず、その半分の2回転と少しで止まったが、二人ともたっぷり冷や汗をかいた。

 原因は、スイッチアダプターの不具合だった。右側のスイッチアダプターは設定通りに機能し、遠隔スイッチのバーをオフにしたと同時にスクーターが停止した。しかし、左側はスクーター本体のスイッチを制御していたスイッチアダプターの鉄棒が戻らなかったのだ。おそらくバネが弱かったのだろう。

 ブレーキの効かない乗り物ほど怖いものはない。ましてや、海中、事故は死を意味すると言っても過言ではない。

 実戦配備するためにも、厳しい態度で続きのテストに臨むことにした。



 依頼人は、海底に持ってきた50メートルのメジャーを敷き、速度測定の準備に取り掛かった。その間、ゴルゴは、スイッチ部分の応急処置をしていた。

 プロペラの羽根の角度を変えることができる可変ピッチにより、スクーターの速度が変えられる。最初に低速で試すことにして、二人は1台づつスクーターの可変ピッチをともに低速の設定に合わせた。

 ゴルゴにスタートの合図を送り、依頼人はストップウオッチのボタンを押した。ソリはゆっくりだが、進んだ。しかし、次第にソリが砂の中に沈んでいくように見えた。

 50メートル走行したソリネットは、応急処置が効いて右に90度だけ曲がってところで止まった。ストップウオッチを見ると、23秒もかかっていた。時速にすると、1,500メートル。

 時計を見てつぶやく。「遅すぎる」。



 2回目は最速で試す。可変ピッチプロペラの設定を変えて、準備が整ったところでソリネットをスタートさせた。

 ぐんぐんと走る。明らかに前回より早い。

重力と揚力がおそらく関係するのだろう、ソリの砂底への沈み込みが少ない。相変わらず、左のソリネットのスイッチの反応は遅く、ソリネットは停止する前に右に曲がった。しかし、操縦者は慣れてきたと見えて、曲がりは先ほどより小さかった。

 肝腎の速度の方は、50メートルに要した時間は80秒で、時速に換算すると、2キロちょっと。まずまず。だが、もう少し速度が欲しいところだ。

 記録更新を狙って、可変ピッチを最速に設定した状態のまま、2度3度と走行テストを繰り返した。しかし、記録更新どころか、次第に遅くなってきた。そうなると、ソリの砂底への沈み込みが深くなり、方向転換の時には、フレームを持ち上げないと、停止しそうになった。新たな問題発生である。

 「バッテリーが消耗するには早すぎる」。と思った。

 しばらく思案しているうちに気がついた。テスト走行をさらに続けようとするゴルゴを右手で制し、コッドエンドの方を指さした。網の中には、魚も何個体か入っていたが、魚よりもはるかに多い、ものすごい数のヒトデが入っていた。ヒトデの重量とヒトデが嵩張る為に海水に対する抵抗が大きくなり、ソリネットは減速してしまったのだ。ゴルゴが網の奥に手を伸ばすが、ヒトデが溜まっている部分までは手が届かない。これでは、ヒトデを取り出すことが出来ない。その間に、何個体かの魚が逃げていった。

 結局、課題だけが残り、この日のテストは、ここまでで終了せざるを得なかった。解体しエクジットすることにした。

 海中での解体は、組み立てよりもスムーズにできたが、やはり5分以上かかった。

 エントリーの時と同じように、フレーム、水中スクーターなどの機材で両手がふさがれた状態でビーチに戻った。エクジットした直後は、体が重く感じられる。それは、陸上に上がると、水中にいる時に体や機材に働いていた浮力がなくなるためで、これは、ダイバーなら誰しも感ずることだ。しかし、今回は、いつも以上に体が重く感じられた。重い機材が多いせいかもしれないが、このソリネットを機能させるために改良しなければならない、たくさんの難題が全身にのし掛かってきたことが、その本当の理由だろう。



 依頼人とゴルゴは、インスタントコーヒーで暖を取りながら、網口に取り付けていたビデオを再生し、課題の検討に入った。

 「魚は入るが、網の下から逃げている。採集効率をもっと上げたい」。

 「スピードも足りない」。

 「ソリが砂に沈む」。

「それに、ヒトデを潜水作業の途中で取り除けないと、ソリネットは遅くなるし、網に入った標本が傷む」。

 「スイッチアダプターも改良が必要だ」。

 「これらの課題を解決できないと、実用化はならない」。

 クリープと砂糖がたっぷり入ったコーヒーとは反対に、依頼人の要求は甘くはなかった。

 ゴルゴは静かにその要点をメモしていた。





第9章    ネヴァーミッションインポッシブル(never mission impossible




 104日。2か月前と同じ海底に、依頼人はゴルゴとともにいた。

 前作から、(1)幅を倍にしたソリに付け替えたこと、(2)砂の上や砂中に潜っている魚を飛び上がらせるための『おどしのチェーン』を網口につけたこと、(3)網の途中にヒトデをトラップするためのアルミ製の格子で出来たヒトデセパレーターをつけ、(4)その上部にチャックを付けて、網に入ったヒトデを摘まみ出せるようにしたこと、そして(5)スイッチアダプターの『戻りのバネ』を強化したことが主な改良点であった。そのほかにも組み立てと解体作業にかかる時間を短縮するための小さな変更も何箇所かあった。

 組み立てを終え、スクーターの遠隔スイッチのバーとハンドルを握る。するとすぐに2台のスクーターは同時に起動し、ソリネットに乗ったゴルゴが砂煙を上げて直進していった。この季節は比較的透明度が良く、この日も悠に15メートル以上先まで見通すことが出来た。依頼人は、必死に追いかけた。しかし、ゴルゴの後ろ姿は、砂煙とエアーの煙幕を残し、うす緑色の海中に溶けるようにして、またたく間に消えていった。

 しばらくすると、再び、うす緑色の海中から次第にはっきりと、今度は正面を向いたゴルゴがみるみるうちに近づいてきた。

 ゴルゴは依頼人のところまで戻ると、遠隔スイッチバーがついたハンドルを手から離すと、ソリネットはピタリと止まった。それまでスイッチバーを握っていた右手の2本の指で丸を作り、力を込めて2回揺すって見せた。スイッチとステアリングは完璧である、と云う意味であるが、とりわけ、遠隔スイッチバーのオンとオフの命令が、ともに素早く水中スクーターのスイッチに連動したことを言いたかったはずだ。スイッチアダプターのバネを強度の大きいものに交換したことが効果を上げたのだ。依頼人は、スイッチアダプターを指さし、次に指で丸を作り、ゴルゴに応えた。

 続いてゴルゴは親指と人差し指でジャンケンのチョキを作り、それをソリに押し当てて見せた。そのジェスチャーで、「ソリの幅を太くしたことで、砂に沈まなくなり、スピードが上がったんだ」、と言いたげなことがすぐに分かった。依頼人も、2か月前と比べて、ソリネットの走行スピードが格段に増したことに気づいていた。依頼人は頷き、右手の掌を下に向け、水平より少しだけ上向きの角度をつけて素早く横に動かし、「ソリネットの速度が増した」ことへの同意を手話で返した。

 「2回目の試走は、前回見つかった改良すべき点が修整されている。これは見込みがあるぞ」。

 依頼人とゴルゴは顔を見合わせ、「今度こそは」という、期待感と手応えをそれぞれ感じていた。



 50メートルのメジャーを海底に敷き、速度測定テストに入る。

 その準備が完了した。

 すると、依頼人はハンドルに手を伸ばし、ゴルゴに時計を渡した。今回のテストは、依頼人が操縦することに、あらかじめ決めてあったのだ。

水中スクーターを動力としたソリネットが、製作者であるゴルゴ以外の人間によって動かされる時が初めてやって来たのである。テストは最終局面に突入したということでもある。

 ゴルゴは、メジャーに沿って前方へ泳いでいき、依頼人がみえるギリギリの位置、約15メートルより少し向こうまで行って止まった。そして、右手を大きく振り下ろした。

 それを合図に、依頼人がハンドルとともに遠隔スイッチのバーを強く握った。

 快適に走った。ソリは一定のリズムを刻んで砂紋を滑らかに乗り越える。その度毎にソリネット全体が上下に揺れる。車輪で動く乗り物と違いサスペンションがないため、上下運動は操縦する人間にダイレクトにいくぶん衝撃的に伝わる。しかし、この時の操縦者には、この振動がほどほどに柔らかく実に心地良いものだと感じられた。

 30メートルを過ぎたあたりで、ハンドルを握ったまま、下を向くと、『おどしチェーン』にびっくりして飛び上がる様々なサイズのネズッポやカレイの姿が見えた。前方を向いている時には、気づかなかったが、砂の中に隠れている魚は随分いることがわかった。突然たたき起こされた魚たちは、後ろから追いかけてくる網に負けまいと必死に泳ぐが、すぐに決着がつき、ほとんど場合、魚の方がその競争に敗れた。敗北を喫した魚たちは、網の奥に吸い込まれ、視界から遠ざかっていく。その様子は、海中に転落する乗客を船上から撮影した、レオナルド・デカプリオ主演のパニック映画のワンシーンを見ているようだった。

「魚は、奈落の底に落ちていく気分だろうな。すまんなあ。こちらが楽しそうに見えるかも知れんが、これも我々の仕事なんだ」。

 口から吐いたエアーは、レギュレーターの横から泡となって出て行き、まっすぐ海面に向かっているはずだが、操縦者には、頬から耳の下をすり抜け、後方に置き去りにしていくように感じていた。ふと、金魚網で稚魚を取り逃がした時のことを思い出した。カジカキャッチャーとスケルトン形ザルの相次ぐ失敗も蘇えった。しかし、それは一瞬だった。次の瞬間には、思い出した時よりも、遠い昔の記憶になっていった。まるで、レギュレーターから出ていく泡が、失敗した記憶を遠い過去へと押し流してくれる、そんな不思議な感覚だった。

 メジャーの端が視界に飛び込んできた。ハンドルと遠隔スイッチのバーを握っていた右手を放し、そのまま頭上に振り上げ、後ろから追いかけてくるゴルゴにソリネットが到着したことを合図した。水中スクーターはすぐに停止し、ソリネットは左右に振れることなく静かに停止した。

 ストップウオッチモードにしたデジタル時計は、71秒と表示していた。前回より9秒も早く着いた。時速にすると、2.5キロ*。ヒラメ幼魚採集ネットを走行させる時の船の速度を上回っている。

*---さらに改良を加えて、現在では約3km/hで走行できるようになっている。)

 何度か繰り返すうちに網に入ったヒトデも結構な数になった。しかし、それらのほとんどは、ヒトデセパレーターの格子に引っ掛かっていて、チャックから網の外に容易に取り出すことが出来た。

 メーキング オブ ザ・スレッジネット。ミッション コンプリーティド。

Making of the sledge net, the mission, is completed.










写真3.ヒトデセパレーター。手前に引っ掛かったイトマキヒトデが見える。





エピローグ(epilogue




 水中スクーターを動力としたソリネットの採集テストが終了してから、わずか3か月後の20051月。ゴルゴが勤務する漁網メーカー倒産のニュースがHa市を駆け抜けた。数日して、同業の別会社が事業も社員も引き継ぐことがプレス発表された。事業の継続が決まり、関係者のみならず、故きを知るHa市民は胸をなで下ろした。しかし、ゴルゴはその漁網メーカーを辞め、Ha市を去る選択をした。



 残務整理を終えた3月、ゴルゴが実験所にやってきた。

 「マーケットが小さくなった製網業を離れ、別の仕事に移ることにする。しばらくは実家で職探しだ。ソリネットは最後の仕事になったよ」。ゴルゴは寂しそうに告げると、ポケットから小さな紙袋を取り出し、それを机の上に置いた。紙袋を逆さまにすると、中から『おどしチェーン』に使ったステンレスの鎖が出てきた。

 「2本にすると、もっと効果が上がるかも知れない」。最後に、そう言い残して、去っていった。



 それから2年後、ゴルゴこと、阿部康二氏の訃報を聞いた。道東のK市で製網メーカーに勤めていたらしい。どうして製網業に戻ったのか。網設計のプロとしての腕を請われたのだろうか。養殖資材など、網の需要が高まりつつあった。そうだったら良いのだが、本当の理由を尋ねることは、もう出来ない。確かなことは、「水中スクーターを動力としたソリネット, Novel sledge net system employing propulsion vehicle」は, 敏腕網設計技師、阿部康二氏の短すぎる生涯30余年の遺作になった、ということだ。










写真4. 金魚網、カジカキャッチャー、スケルトン形ザル、科研費採択、そしてゴルゴ(阿部康二氏)。彼がいなければ、“Novel sledge net system employing propulsion vehicle”の完成はなかっただろう。



                  

合掌



(ノンフィクションですが、記載内容には一部誇張があります。)



水中スクーターソリネットについての問い合わせは、hm(at)fsc.hokudai.ac.jp  (at)は@ にご連絡ください。




本編に登場した『水中スクーターを動力としたソリネット』による研究成果リスト



原著論文

Munehara, H., Y. Tanaka and T. Futamura: Novel sledge net system employing propulsion vehicles for sampling demersal organisms on sandy bottoms. Estuarine, Coastal and Shelf Science, 83: 371-377 (2009).

田中善規・鶴岡理・二村智之・宗原弘幸:北海道南部太平洋岸臼尻沿岸からソリネットで採集された5種の魚類.  北大水産科学研究彙報, 59: 73-80. (2009).



依頼論文

宗原弘幸:底生性小型魚類の定量採集を目的とした水中スクーターを動力としたソリネット開発. 海洋水産エンジニアリング, 9: 69-73 (2009).



学位論文(修士論文・卒業論文)

田中善規:北海道南部臼尻沿岸に出現するセトヌメリ Repomucenus ornatipinnis の生活史に関する生態学的研究. 平成19年度北海道大学大学院環境科学院修士論文.

二村智之:新型そりネットを用いた臼尻浅海砂底に出現する幼稚魚の生態学的・分類学的研究. 平成18年度北海道大学水産学部卒業論文.

田中善規:新型そりネットを用いた臼尻浅海底に出現する幼稚魚の生態学的研究. 平成17年度北海道大学水産学部卒業論文.



学会発表

宗原弘幸・田中善規・二村智之・阿部康二:水中スクーターを利用したソリネット開発. 日本水産学会年会. 2007.

田中善規・宗原弘幸:北海道南部臼尻沿岸に出現するセトヌメリの生活史特性. 日本水産学会年会. 2007.

二村智之・田中善規・宗原弘幸:北海道臼尻浅海砂底域における幼稚魚相の季節的変動.  日本水産学会年会. 2007.

田中善規・宗原弘幸:低水温耐性実験から見た北海道南部に出現するセトヌメリ個体群の脆弱さ.  日本魚類学会年会. 2007.

宗原弘幸・田中善規・二村智之:水中スクーターを動力としたソリネットと臼尻で採集された初記録5.  日本魚類学会年会. 2008.



本ソリネットによる調査結果が基になって始めた研究の成果

Awata, S., M.R. Kimura, N. Sato, K. Sakai, T. Abe and H. Munehara: Breeding season, spawning time, and description of spawning behaviour in the Japanese ornate dragonet, Callionymus ornatipinnis: a preliminary field study at the northern limit of its range. Ichthyological Research, 57: 16-23 (2010).

坂井慶多:カジカ類数種の着底期までの形態形成と基質選好性に関する生態学的研究. 平成21年度北海道大学大学院環境科学院修士論文. 

安房田智司・木村幹子・佐藤成祥・坂井慶多・阿部拓三・宗原弘幸:分布北限域におけるセトヌメリの繁殖期、産卵時刻と野外での産卵行動. 日本水産学会年会. 2009.






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