ツマグロカジカ属をめぐる冒険談

文責:山崎

1年とは早いもので,もう4年も終わり。卒業するころが近付いてきた。
あっという間だったけど,大学生活4年間の中でたぶん一番充実していた1年間。卒業論文が完成するまでの道のりを少し振り返ろうと思う。

3年の11月ごろ。臼尻実験所に配属される前,

 「臼尻で潜水調査もしたいのですが,2カ月航海も行きたいんです。何とかなりませんか?」

と,ここ臼尻水産実験所の所長である宗原先生に無理なお願いをした結果,ベーリング海にも生息するということで,対象魚がツマグロカジカ属に決定し,無事,船にも乗れることに。

やりたいことが全てできるという,希望に満ちた研究生活が始まり,さっそくカジカたちの孵化シーズンに合わせて潜水開始。まず手始めに,フサカジカの浮遊仔魚がいるかどうかの確認を目的にシュノーケリング。
しかし,冬の北海道の海を完全になめてかかった私は当然のごとく洗礼を受けることになる。

・・・寒い!!

たったの20分で心が折れる。この時は4月頭で水温は確か3℃前後。
顔も手も凍りつき,口が動かずしゃべることができないため,必死にアイコンタクトで先生に上がろうと訴えかける。なのに,当の先生はというと,全く意に解した様子もなくどこかへと泳ぎ去る。

その後も同期2人を加え,何度かシュノーケリングをしてU氏の研究材料(=フサカジカの仔魚)をひたすら採集。これを用いた実験の結果についてはU氏のコラムをご覧ください。

4月も終わりごろになると比較的潜りやすい水温となり,5月中ごろにはついに自分の研究材料採集にとりかかる。砂地に生息するアイカジカとツマグロカジカの稚魚たちだ。初めはこのぴょんぴょんとび回る物体が何なのか全く分らなかった。同行していた先生がダウジングマシン的な棒(時に凶器へと変貌する)で海底をつつくと,生き物たちが一斉に飛び出してくる。事前に聞いていた話からすると,これが目当ての魚であろうと推測し,網で捕まえようと試みるが失敗。闇雲に網を動かしてもすばしっこいだけに捕まえるのが難しい。

 「逃げる方向は決まってるんだから,前の方向に網を置いて後ろから追いこむといいよ」
というアドバイスを数人の達人に頂き,再び挑戦してみるが,なんと網をよけて逃げていくではないか!
ここでサンプルが十分量に達したため,今年の実験用の採集は終了。
この技の習得は来年に持ち越すとしよう。


さらなる次の試練は計画発表。の前の臼尻での発表練習。
スライドの作成は高校の情報の授業以来やっていない。しかも,スライドに字を全て詰め込むという,今思えば非常に最悪な状態のものしか作ったことがない。
当然のごとく,結果は撃沈。
半泣き状態で酷評を聞き,午後の臼尻お花見にブルーな状態で参加。ここでの撃沈により(プラスもう1回),スライド作成能力と発表前の練習回数は人並み程度には成長。酷評をくださった皆様に感謝です。


6,7月は2カ月航海のため国(臼尻)外逃亡。
ベーリング海でツマグロカジカ属の浮遊仔魚を採集するという目標を掲げ,乗船。目的海域に到達するのは最後のLegで7月中旬ごろ。それまでは,仲間の手伝いをしつつ,心配のあまり落ち着きを失い嘆く友をたまになだめつつ,一人のんきに過ごす。

ベーリングに到着し待ちに待ったサンプリングが始まる。
しかし,事前の調査もせずにただ標的が沿岸付近にいるという漠然としたイメージしか持っていなかったのではサンプリングがうまくいくはずもない。しかも,アメリカ領海では12海里以内には入れないとのこと。12海里は実際にその距離を見てみるとものすごく遠かった。こんなに岸から離れていてはカジカの仔魚はいるはずもない。アイナメ科とタラ科の仔稚魚はいたが。
自分の研究への準備の甘さに幻滅。それにもかかわらず採集できる可能性のある海域へと航路を考えてくださった阿部三等航海士を始めおしょろ丸の船員さん全員に感謝です。本当にありがとうございました。


2カ月航海から帰ってきた私を待っていたのは怒涛の実習の数々。院試もあり,8月9月は自分の研究は全く進まなかったが,サンプル数をもう少し増やすために,臼尻沖まで野村さんに船を操縦してもらい,ツマグロカジカを釣る作戦を決行。魚はニジカジカ:ツマグロ=4:1の割合で釣れ,まずまずの結果に。この時の野村さんが釣り上げる魚&タコの大きさにびっくりした。恐るべし,野村さん。ニジカジカは刺身,フライで,タコは野村さん特製刺身でおいしく消費。
10月に入ってからやっと遺伝子解析の実験がスタート。この頃,何を思ったか,ふとしたことから系統樹と分布域から属内の進化がわかるのではないかと思い付いた。これは!と思い,先生に急いでこのことを話しに行くと,にこにこと嬉しそうな顔をして聞いてくださる。OKをもらい,ここで卒業論文の土台ができる。今思うと,あの時の先生は実は「こいつはやっと頭を使うようになったか」なんて思っていたのかもしれない。

実験を始めると色々な問題が出てくる出てくる。まず遺伝子解析において,A種と思っていたものがB種に分類されてしまう。種査定が違っていたのか,系統樹の作成法に問題があったのか。
この問題について助言をくださり,解決してくださった動物講座の山中さま,発生講座の横山さまに,この場をお借りしてお礼を申し上げます。


無事目処がつきまとめることができたこの研究は,何とか発表本番を終え,ついには先日卒業論文として書き上げることができた。世間一般の論文からしてみれば卒論なんてまだまだ未熟なものだろうが,私にとっては自分で書いた論文第一号である。これは大事に取っておくことにして,次の修論ではもっと充実した内容の論文が書けるように精進しよう。

この1年間,聴衆に自分の研究を解りやすく伝えるにはどうすればよいのか,非常に悩んだ。結局これは最後まで克服することができなかったが,発表後,何人かの先輩に面白い内容だったよというコメントを頂けたことは,少しだけでも伝えることができたのかもしれないと,とても嬉しく思った。また,発表中全く緊張しなくなったのは度胸がついた証拠かもしれない。


最後に,1年間,的確な助言と援助をしてくださった宗原先生,1人で3人もの後輩の面倒を見てくださった堀田さん,毎日の快適な実験所ライフを提供してくださった山田さんと沖でのサンプリングの際に船の操縦を引き受けてくださった技官の野村さんに深く感謝いたします。ありがとうございました。来年以降も引き続きよろしくお願いいたします。




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