KALで帰るBAIKALの旅

文責:宗原

7月に2年振りにバイカル調査に参加した。メンバーは、木下隊長(高知大)、後藤晃(函教大)・酒井治巳(水産大学校)両隊員、それに現地コーディネーターとしてシデレワさん(ロシア科学アカデミー動物学研究室)。いつもは、これらのメンバーに若手12名加わるのだが、短期間で毎回出たとこ勝負のバイカル調査では、学生や院生の研究テーマになりづらいのか、今回は高知大学からの兵隊要員の徴募がなかった。こんなチーム編成を考えると、すでにシニアであるが最年少の私が、お年寄りたちの面倒を最後までみ取り帰国すべき立場になるのだが、お先に帰国した。お年寄りの方たちには、申し訳なかったが、臨海実験所の夏は忙しいので、ご理解を賜った。そんなわけで、今回はわずか4日間しか潜水できず、成果報告ともいかないので、ここはロシアからの帰国に初めて利用した大韓航空(KAL)での旅を報告しよう。

 
 バイカル調査団、シニアクラブ御一行。

日本からバイカル湖に行くには、ウラジオストク航空を使って、新潟からウラジオストクまたはハバロフスクを経由してバイカル湖の玄関口イルクーツクに向かうのが定番である。しかし10数年前に初めてバイカル湖に行った時は、新潟からイルクーツクまでの直行便があり、函館空港から新潟空港へも航空路線がつながっていたので、昼頃に函館を発って、その日のうちにバイカル湖についた。その時は、地図を見て分かっていたことではあったが、ロシアと日本はあまりにも近く、それまで戦後40年余り日本人が立ち寄ることが出来なかったということが嘘のようで、現実がすぐに実感できないほどだった。その後、新潟−イルクーツクの直行便も函館−新潟の定期便もなくなり、まず羽田に行き、東京に出て上越新幹線に乗り継がなくてはならず、さらにロシア国内の乗り継ぎ便のダイヤによっては、経由地のウラジオストクやハバロフスクで12泊必要になった。函館からバイカルへはひどく日数のかかる憂鬱な旅になってしまっていた。今回も、行きは成田からであったが、ウラジオストク航空を使ったので、函館からは丸2日かかってイルクーツクに辿りついた。

それが、昨年から大韓航空(KAL)が仁川とイルクーツクを結び、仁川から千歳への直行便を使って、その日のうちに目的地に到着することができるようになったのだ。それだけでも十分に大韓航空を使う恩恵はあるのだが、実際に乗ってみると良いことはそれだけではなかった。

夜中の1時、スーツケース2つとリュックを背負い、イルクーツク空港の大韓航空チャックインカウンターの前に立つ。e-チケットを見せる。いつもなら、この後スーツケースがカウンター横の秤で計量され、規定の重量を越えた分だけオーバーチャージを請求されることになる。ダイバーは飛行機に乗る時、このわずかな時間にいつもドキドキさせられる。タンクやウエイトこそ持っていかないが、それ以外のレギュレーター、ドライスーツ、BCなど携行する潜水機材だけで25kg以上にもなるからだ。それにカメラなどの調査機材や衣類が加わる。行きは一人で30kgもオーバーしてしまった。8月のカムチャッカ調査では4名分の往復のオーバーチャージで35万円もウラジオストク航空に支払った。重量と燃油コストの相関がオーバーチャージを徴収する理由というなら、「あっちの大きなおばちゃんやおっさんも秤に載せろよ」と思うが、体についた肉や脂肪はフリーらしい。

今回もe-チケットを見せている間、手持ちの外貨で足りるか気が気でなかった。

それが、なんと大韓航空では計量がなかったのだ。当然、オーバーチャージも請求されない。しかも、渡された荷物の引換券は、CTS(千歳)となっている。経由地の仁川で一旦返されることなく、イルクーツクから千歳空港まで荷物を運んでくれるのだ。「いいぞお、大韓航空」。

しかし、飛行機の旅は機内の乗り心地が最重要問題である。ここは喜びもほどほどに、待合室に向うことにする。

 
 
バイカル湖では、バイカルカジカよりも先に侵入し数多くの固有種を進化させたのは端脚類
(ヨコエビ類)である。湖のいたるところに様々な種が生息している。石をひっくり返すとその下には必ずいるのがこのヨコエビ(左上)。湖底にすくっと立っているヨコエビは、背中に棘を持っている。被食されない自信があるのだろうか(右上)。海綿の表面にもよく見るとうじゃうじゃとヨコエビがいる(左下)。

待合室で周りを見回すと、携帯電話をかけたりパソコンに向かっている人が多い。乗客の多くはコリアンビジネスマンで、旅行中の学生風の若者も目につく。シベリアには、韓国のビジネスチャンスが広がってきたのかもしれない。待つこと30分あまり、搭乗案内のアナウンスが流れ、搭乗口へと向かった。大韓航空は、15年ぐらい前にアラスカに行った時以来だ。ふと、あの時機内で嗅いだキムチの臭いを思い出してしまった。今ではあの辛味や匂いにも多少は慣れ、たまには口にすることもあるが、当時キムチはめったに目にすることもなく、匂いは異臭に感じていたのだ。その時の記憶がよみがえり、タラップを登る時には、先ほど高揚した期待感が急速に萎んでいった。KALを選んだことを後悔するかもしれない。「機内ではひたすら寝てよう。」そんな諦念をもって機内へのゲートをくぐった。

しかし、機内で待っていたのは、少し小さめでボディーラインがくっきりしたボディーコン制服に身を包み、スラっと長い脚でにっこり微笑むキャビンアテンダント(CA)ではないか。水川あさみに似ている。向こうの列は香里奈にそっくりだ。「若さがはじけている。笑顔も可愛い。」まさにそんな感じだ。愛想も行儀も良く、教育が行き届いている。某国のJLAN○も見習わないと,乗客をめぐる国際競争には勝てないのではないか。

若さと美が充満している機内には、もちろんキムチ臭など全くない。気持のよいフライトであったことは言うまでもないことだ。機内サービスが気になって夜中のフライトなのにあまり寝ることが出来なかったことをKALのせいにしてはならない。

出発した日の夕方には帰宅することができた。久しぶりにロシアが近くの隣国であることを思い出した。カムチャッカの帰りにウラジオストクで成田空港行きを待って2泊したが、その間毎日2便ウラジオストク−仁川が出ていた。この時も仁川経由の便を調べておけば、もっと早く帰国できただろう。開港してわずか10年でアジアと極東地域のハブ空港として台頭してきた仁川空港、誠に恐るべしである。ペレストロイカ直後は、日本からの交通の便が思いの外良く、日本はロシアの隣国として経済活動の無二のパートナーになり得る可能性はあった。しかし、この10数年の間、特にこの数年で、韓国が日本に替わってその位置を占めるようになってきているのかもしれない。

今回のバイカルへの旅は、韓国のロシア極東・シベリアおける経済活動の一端を知り、日本国民としては杞憂が増える旅になってしまった。しかし、考えてみると、日本は韓国とも隣国である。韓国ともっと親密になる必要がある。だから、KALの機内でCAに執こく話しかけている中年の日本人を見ることがあっても、眉をひそめてはいけない。それは国際交流のためなのだから。「テー・ハ・ミング、カムサミダー」。

 
仁川空港は雨だった。その後ソウル市内は50人以上の死者・不明者が出る未曽有の豪雨に襲われる。間一髪脱出。




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