あの人は今 〜早川洋一博士〜
文責:早川
さる3月5日から8日まで臼尻水産実験所にお世話になった。前回の実験所訪問は2003年の春のこと。9年ぶりの訪問ということになる。俗にいう「一昔」には1年ほど足りないが、久々の実験所周辺の風景は時の移ろいを、時に静かに時に激しく感じさせてくれた。その一方で、訪問期間中は良い天候には恵まれず、太陽を見られたのも静かな海を見られたのも最終日だけで、曇天に風が吹き高い白波の日が続いた。そこにも訪問した季節の道南・臼尻の臼尻たるところを垣間見ることができたように思う。
しかし、そうした感傷に浸るのもつかの間、そのままでは帰していただけないのが実験所。「『月刊うすじり』に寄稿せよ」とのミッションが下された。この記事を当方が記すのは、そんな経緯からだった。このコラムは「あの人は今」なので現在の自分のことを書くべきことは重々承知しながらも、しかし、これが私を悩ませた。実をいうと、今回の臼尻訪問には宗原先生との研究のお話という目的のほかに、先生への新しい職場への着任のご挨拶という目的もあった。本来なら新しい職場の話をすべきなのかもしれないが、訪問当初は着任前だったからそれはできない。また、諸事情により新職場のことはあまり書くわけにはいかない(別に日の当たらない危ない職場とか、放浪作家とか、そういう訳ではない)。研究の話をするにも、研究の場から転身する筆者の話をしたところで、建設的とも思えない。いっそ、昔話をとも思ったが、実験所での研究生活がとても充実したものであることは現役の学生・院生はもちろん、出身者なら誰しも知るところだろう。かといって「秀ちゃん寿司」の「どんめんセット」をよく食べに行ったとか、その近くのコンビニに夜な夜な買い物しに行ったとか、町立病院(当時)に診察にかかって実験所に戻ったら技官の方から「どうした?」と心配の声をかけてもらえるほど町内の情報伝達が早いとか、2ヶ月に1回は「カラオケ大会」に通っていたとか、そんな話を今されここで詳しく記したところで、あまり意味のあることとも思えなかった。
そんな風に思い悩み、原稿を書いては消し書いては消し、を繰り返していたある日のこと。キーボードを打っていると、パソコン画面が徐々に遠くなり、うたた寝してしまった。ほんの数分だったかと思うが、夢を見た。夢の中では何やら大きなものや小さなものが、時に周期的に、時に不規則に揺らぎ、そして音を立てていた。ザザザー!ザー・・・。海だった。海の夢を見たのだった。海・・・。目を覚まし、はっと気がついた。今回の臼尻訪問で見たものは様々あれど、海を見たのだ。実験所で送った研究生活において、海には大恩がある。ならば、海にまつわることを書こう。「海」と聞いて、私には大変心に響いたメッセージがある。実験所の皆さんが潜るような本当の海についてではないが、ここでは、そのメッセージを取り上げさせてもらおうと思う。
それは、「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。」と題されたメッセージで、立教新座中学校・高等学校の校長をされている渡辺憲司先生が記されたものだ。このメッセージは本来2011年3月14日に卒業式で話されるはずだったが、同年同月11日に起きた東日本大震災の影響で卒業式が中止となったため、同校のウェブサイトに校長メッセージとして掲載されたものである。掲載されるやその当日だけで30万ビューページを超え、インターネット上で話題になったという。これを読んでいる方々の中には既にご存知の方も多数いると思う。
そのメッセージの内容は「時に海を見よ」である。ここでは一部を引用させていただく(やはり、ちゃんと全体を理解するには、全文を読まなくてはならないと思う。ぜひとも、http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/にアクセスしてご覧いただきたい)。メッセージは、卒業する生徒に対し、大学に進学する意義を問いかけ、そして1つの考えを以下のように表している。
「・・・大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
<中略>
誤解を恐れずに、あえて、抽象的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
<中略>
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行の電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いていてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。「今日ひとりで海を見てきたよ。」そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。」
実に衝撃的かつ示唆に富むメッセージだ。
このメッセージの公表を先生はたいそう躊躇されたという。東日本大震災の恐ろしい姿を目の当たりにした後であれば無理もないことだ。しかし、そういう時だからこそ、先生のメッセージが多くの人々の共感を呼んだのだろう。共感を呼ぶ一方、それは画一的なものではなく、立場の違いで異なる受け止め方ができる、そういったものであるように思う。そして、「大学」も「海」も人によって色々なものに置き換えられるのではないか。また、海を見る人がどのような者であるかも、受け手の立場や環境でさまざまに当てはめられるのだろう。本当の海、象徴としての海。海を見に行った人、行ったけれど見られなかった人、見に行くだけのはずの海が生活の場となった人、海を見に行くはずが山を見に行った人、海を見続けているのに気づかずにいる人、生活の場とは別に海に仕事の場を得る人、1つの海の後に新たな海を得る人・・・。
そして、先生は視点を変え、海を現実の象徴として、次のように続ける。
「海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。」
先ほどとは一転、だがこれも強烈なメッセージだ。
最初にこのメッセージを目にしたのは、確か2011年の9月頃だったかと思う。だから、今回の臼尻訪問よりもずっと前のことで、その時に受けた感銘もかなりのもので、自然と涙がこぼれた。しかし、今回の臼尻訪問で白波が立つ本物の海を見た後に改めて読んでみると、違った形で感銘を受けた。どうも自分の中での感じ方が異なっているようだ。名言・名文とはそういうものなのだろう。うたた寝で見た海の夢をきっかけにそんな自分に気づいたとき、このコラムでどうしてもこのメッセージのことを記したくなった。果たして、これをお読みの方はどのように受け止められただろうか。「あの人は今」を締めくくるに当たり、今の自分を表すならば、どうなるか・・・改めてそれを考えながら本稿の終わりとしよう。
最後に、実験所訪問を快く承諾して頂いたうえ、宿から実験所までの送り迎えをしてくださりご馳走までしてくださった宗原先生、実験所での対応をして下さったスタッフの方々、そして山崎さん以下お世話になった実験所の現役学生・院生諸氏に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
2012年4月某日
早川洋一