研究調査報告 29
作: 佐藤○祥にベイツ擬態した宗原
『イカブーム夜明け前で –選ばれざる者たち、届かなかった愛の行方-』
みなさ〜ん。イカタコイカタコしてますか。佐藤ですよ。佐藤が帰ってきましたよ。
世間では、イカブームが吹きまくってるけど、俺だってイカだよ。違う、イカの研究者だよ。
生きたダイオウイカの撮影、子守りするササキテカギイカ、空飛ぶイカ。正月明け、2カ月足らずの間、イカに関するインパクトのある新発見の報道が続いたよね。新聞、テレビ、ネットの紹介記事のほか、新聞のコラムや、テレビではバラエティから報道番組まで、ここんところイカの話題が取り上げられない日がないって感じ。全国各地、津々浦々まで、地域を問わず老若男女。日本ではそれだけイカの人気が高いという証左だ。エヘン。ブームの裏方さんに目を向けると、マスコミこぞって右に倣えで取材に奔走する記者さんたちに、番組ディレクター、大変だね。でも、正直言って、いささか滑稽。森口某氏に振り回された、あの頃とダブって見える。日本の科学メディアには、付和雷同体質が浸透しきっているのではないかと、心配になるってもんだ。けどよ、ご安心いただきたい。今回のブームに関係した中心人物は、みな北大水産学部の卒業生で、研究内容にも嘘偽りないことは、俺もよく承知してらあ。
そんでもよ。これだけのイカブームにありながら、ブームの震源地で研究したにもかかわらず、埋もれているイカのトピックがまだあるんだよ。そこんところ、皆さんはご承知置きかなあ。知らねえってんだろ。だから教えてやるよ。親切にね。
今回紹介する研究は『ヒメイカの精子取り除き行動』だ。論文の印刷は、今月末か来月になると思うけど、昨年11月に『Marine Biology』の電子ジャーナル版にオンラインされた。最近は、この段階でプレス発表する慣わしになり、ササキテカギイカや空飛ぶイカもオンライン当日の報道だったね。
注目してもらいたいのは、『Marine Biology』は、空飛ぶイカが掲載される雑誌でもあるってこったあ。
ということはね。今回紹介する論文が、空飛ぶイカよりも先にプレス発表解禁になってたってことだよ。わかるかい。イカブームの先鞭に、先駆けて、すでに、この論文が出来上がっていたってことだよ。
「なのに、なぜ、埋もれてしまったのか」ってかい。そこだよ。そこに日本における科学に対する浅薄で深淵な問題があるんだ。
「なに、俺の研究が地味だっただけじゃねえのか」って。んな訳ねえだろ。論文のタイトルを聞いて、ゾクゾクってこないかい。『精子取り除き行動』だぜ。
「ファミリー向けの話題じゃない」ってかい。ヒトとイカを一緒にすんなっての。それだけじゃねえよ。ヒメイカには、世界最小のイカというキャッチーなコピーも付くんだ。内容だって、仮説検証型の研究で、コンセプトとロジックには揺るぎがなく、現代の自然科学研究の先端を行くスタイルと言って良い。
ちょっと大げさだったかな。てへっ。
まあ、要するに、電子ジャーナルを日々チェックするはずもなく(メジャーな科学総合誌は読んでいるかもしれないけど)、情報提供を受けたり他社の報道がない限り、ペンを持たない(今はキーボードだと思うけど)日本の科学メディアの目には留まらなかったってわけだ。話題にしたら、売上や視聴率ともにアップ間違い無し(そう思うのは、著者のほか一部のマニアだけかもしんないけど)のスクープのチャンスだったのに、誠に残念至極だよ。本当に残念な国だよ。
まずは、「精子の抜き取り行動」のどこが面白いかって云うところから説明するよ。研究の背景ってやつだ。
ダーウィン先生が提唱した自然淘汰には、性淘汰の概念も含んでいるってのは知ってるよね。分かり易く云うと、雄は雌をめぐって競争して、勝ったやつが雌と交配する。雌も勝った雄や派手な雄が好きになる。だから、競争に有利な雄の形質やそんな雄を選択する雌の好みが自然淘汰の過程で選択されるという理屈だ。雄鹿のおっきな角やクジャクの雄が綺麗な色の羽を持っている理由なんかが説明できるってもんだ。
そんな中で、「性淘汰は、交配相手を獲得するだけで終わらない」、と言いだした先生が1970年頃現れたんだ。ゲオフ・パーカー先生だ。雌は複数の雄の個体と交配するのが、あたりまえ体操な動物の世界では、交配した後、受精するまで、精子同士の競争があるはず、って所に目をつけたんだ。シャープだねえ。これで、へんてこりんな形の性器や受精に直接関係しない異型精子が進化した理由なんかが説明できるんだ。
例えばだよ。イトトンボの仲間では、交尾をすると、雌の貯精嚢に入っている、その前に交尾した雄の精子を掻き出しちゃうトゲが雄の生殖突起についてたりするんだ。前の雄の精子を殺すため、雌の貯精嚢に毒を注入するショウジョウバエだっているんだ。足が10本あるイカだって凄いよ。コウイカの仲間の雄は、足を使って、前の雄の精夾を抜き取っちゃうんだからね。これらの形質が進化したのは、精子の競争があったからだってわけだ。
ここまででも生物の多様性、進化、自然淘汰のパワーのすごさを感じちゃうよ。本当。でも、ここまでは雄中心の視点なんだわ。俺なんかさ、異性をいたわる思いやりに、すごく憧れちゃうから、つい雌の立場で考えてみたくなっちゃうんだ。
出会いが少なそうだから一応精子もらっとこうとか、いい相手だと思って交配したけどよく考えてみるとたいした雄でなかったわとか、図体だけ大きい雄に抵抗できなくて泣く泣くとか。こんなこときっとあると思うんだよね。なんせ、大概の動物はさ、複数の雄と交配するのがあたりまえ体操なんだからね。そんな時、良い雄の精子だけ選別できたらなあって、雌は思うじゃない。ろくでもない雄の子なんか、絶対に残したくないわってね。だから、そんな方向に淘汰圧がかかるのは、当然なんだぜ。
「偉そうに言うな」ってかい。先々を考えるってことは、凄いことなんだよ。でも、この考えも初めて考えたのは、俺ってわけじゃないんだ。残念だけどね。先行くよ。
ともかく『雌の精子選別』って行動が進化しても不思議ではないってことなんだよ。
でも、これを実証するのが、かなり難しいんだ。なぜかって。第一に、雌が選択の指標とする形質は何かっていうのを見つけ出すのが難しんだ。それに選別している行為自体がこっそり行われる性質のもんだからね。だって、雌があからさまに選別して、それが雄にバレたら、雌はその雄にまた迫られるじゃない。大抵の雄って、異性に対して嫉妬深いもん。だから、最初から内緒の行為なの。観察する側も見抜くのが大変だってわけ。そんでこれをCryptic Female Choice(CFC)っ呼ぶのさ。Crypticは、「秘密の」って意味。和訳が人によってまちまちなんだけど、『雌の密かな父性選択』って椿宜高先生の訳がシックでいいかな。
この研究は奥深いけど、けっこう難しいってところは、だいたいわかってくれたよね。難しいってことが障壁で、一時ブームだったけど、今はちょっと斜陽だよ。正直ね。だけど、良い材料があれば、再び日が昇るってのが、この10年くらいの流れだったんだ。
そんな時にだよ。そこに現れたのがね。ヒメイカなんだぜ。知床から沖縄まで、日本全国各地、津々浦々のアマモっていう海草が生えている場所にいるんだ。
ある日、俺は、水槽で飼っているヒメイカをじっと観察していたのさ。生物学は観察が基本だからね。いつもは、交接行動を見終わったら、ハイおしまいっとしてたんだけど、その日は、交接した後の雌に注目してたんだ。するとね、その雌がたった今雄からもらった精夾をむしり取って抜いたんだ。「おっ」と思わず声を出しちゃったね。次に、精夾を貯精嚢に入れるのかな。「入れろ」と期待したんだ。入れたらさ、この行動は、CFCだぜ、ってことになるかも知れないからね。
だけど、次の瞬間。その雌は「ぺっ」て吐いたんだよ。さらに「あっち行け」って、ご丁寧に何回も漏斗から水を出して、遠くに吹き飛ばしたんだ。
ガッカリしただろってかい。ビックリしたのは確かだけど、その反対だよ。いいかい。精子を取り去る行動は、コウイカの仲間もしてたけど、あっちは雄だよ。ヒメイカは雌なんだよ。ここがミソなんだよ。
つまりね。雄による精子競争のイカの一例が単に増えただけの二番煎じのお茶か、それとも『雌の密かな父性選択』というダーウィン先生でさえ、気づかなかった一番搾りの蔵出しの発見になるかっていう、雲泥の違いが、そこにはあるんだよ。
ヒメイカが「ぺっ」てやって「あっち行け」してるのを見て、俺は「はっ」と思ったよ。あれは、デジャビュに近い感覚だったね。
俺はね、以前、訪問販売のパン屋の店員にコクったことがあるんだ。どこか大人びたところがあって素敵な女性だったね。お付き合いしたいと心底から思ったんだ。毎週たくさんパンを買ってたよ。それで、ある日、一念発起して、プレゼントも用意して、食事に誘ったのさ。
間髪入れずに、一言。「ごめんなさい」。終わりだよ。
だから、俺は「ぺっ」を見て、ひらめいたさ。『ヒメイカの精子抜き取り行動は、嫌いな雄の精子をポイする行動じゃないかってね』。
すぐに始めたよ。精子抜き取り行動はCFCだっていう仮説の検証実験を、辛い思い出を胸にね。
それがこの論文だよ。
行き場を失い、届かなかった愛の結晶ってことになるのかな。悔しいけど。
結果は、抜き取り行動がCFCかどうかっていうのは、第三者である観察者としては、やはり判断し難いけど、この行動をしている間に、雌の体に付着している精夾から出た精子が貯精嚢に入ることを確かめたんだ。つまり、精夾の抜き取り作業をもたもたしていると、精夾の先から精子が泳ぎ出て、貯精嚢に入っちまうってことだ。これだってすごい発見なんだよ。いつどうやって精子が貯精嚢に入るのかって、云うことがイカでは分かってなかったからね。
こんなふうにして実験した結果から、雌の精子抜き取り行動は、雌が受精に関与する精子をコントロールしているってことで、CFCと関係あることが間接的には示せたと思っているよ。
『雌の密かな父性選択』を証明した、と言うところまでいうと、『Marine Biology』に流れ着くまでのレフェリーに散々たたかれたんで、言い過ぎだってのはわかるけどさ。いい線まで来ていると思っているよ。てへっ。
すべてが終わって分かったことなんだけど。ヒメイカの雌にとって、「あっち行け」の意味は、その精夾を渡した雄が嫌いだっていう感情の表現ではなく、精子が貯精嚢に入らぬように精夾を遠ざけるという適応的な意味を持つ行動なんだってことさ、多分。
それともう一つ分かってもらいたいのはよ。俺が惚れちまったパン屋の店員さんは、子持の人妻だってことなんだ。だから、彼女が俺に「ごめんなさい」って言ったのは、俺が嫌いだったんではなく、俺に惚れるのが恐くて、俺を遠ざけようとしたんだってことさ、多分。
だから、ヒメイカの精夾と俺の愛は、行き場を失ったことは同じ運命だったけど、意味はまるっきり違うってことなんだよ。これさえ分かってくれりゃあ、なんもいうことねえよ。
というわけで、「プレスよりもウエブを優先する」という「月刊うすじり」の鉄則があるんで、この場を研究成果の紹介とするからね。ぶら下がりに来たってダメだよ。安倍首相だって、しゃべらないって言ってるし、俺も失言多いからさ。
それと、イカを研究しているポスドクの生活に興味がある方は、僕のブログも見てね。ちょっと自虐的だけど、。クリックしてちょ。☞ http://noricolab.tou3.com/
う〜ん、でも良い子には毒が強すぎるかも、そこん所だけ気をつけてね。
Sperm transfer or spermatangia removal: postcopulatory behaviour of picking up spermatangium by female Japanese pygmy squid
(邦訳---精子の受け取りそれとも取り除き: 交尾後のヒメイカ雌の精夾ついばみ行動)
Noriyoshi SATO, Takashi KASAGAI & Hiroyuki MUNEHARA
Marine Biology 160: 153-161 (2013)
online: 3 November 2012
DOI
10.1007/s00227-012-2112-5
【要旨】
ヒメイカの雌は、交接後に付着した精夾を口球でついばむ行動がしばしば観察される。この行動が精夾を受け取る行動なのか、それとも精夾を取り除く行動なのかを明らかにするため、交接履歴を明確に調べた雌、すなわち交接経験がない雌(処女雌)と交接経験がある雌とでついばみ行動を詳細に観察し、さらに交接後についばみ行動をした雌としなかった雌とで貯精嚢内への精子の貯留状態を比較した。いずれの実験でも、雌は交接後5分以内に口球を延ばす行動が観察された。しかしながら、貯精嚢内にすでに貯留されている精子の量とついばみ行動には関係がなかった。スローで再生したビデオ観察から、ついばみ行動した後、雌は精夾を吹き飛ばす、あるいは食べるなどして精夾を取り除くことが確認された。これらの結果は、ついばみ行動が精子の受け取りではなく精子の取り除きのための行動であることを示唆した。さらに、口球を伸長させる頻度は、処女雌よりも交接経験雌で高いという結果も得られた。こうした観察は、処女雌の時には精子を蓄え、交接経験を重ねた雌はより選択的になるという、配偶者選択に関連する連鎖的な適応行動として説明される。ヒメイカの雌は、ついばみ行動を通して『メスの密かな父性選択』を実行しているのかも知れない。

図1. 交接後に雌が取る行動パターン。雌の胃中および貯精嚢に精夾(精子)があるかを確認するための組織観察用に、行動観察終了後に雌は固定した。
表1. 交接後のメスの口球伸長行動。処女雌と交接経験雌の比較(シーズン1は、2008年12月〜翌1月、シーズン2は、2009年4月)。
この表を見て分かるように、処女雌よりも交接雌で、頻度が高い。

図2. ヒメイカ雌の精夾取り除き行動。a)口球を伸長させているところ b)口球を伸長させているが、精夾は口球が届かないところに打ち込まれている。
表2. 精夾取り除きに成功した回数。処女雌と交接経験雌の比較(シーズン1は、2008年12月〜翌1月、シーズン2は、2009年4月)。
精夾の取り除きには、処女雌も交接経験雌も50%くらいの成功率しかない。


図3. 口球伸長時間の頻度分布。10分程度やめるケースが多いが、その都度のばらつきは大きい。精夾が体に付着した状態でやめるケースもあった。

図4. 口球を使って引きはがした精夾を漏斗からの水で吹き飛ばすところ。

図5. 口球を伸長させることを確認した雌の胃の組織標本。胃中に3つの精夾(矢印で示す)が観察された。
図6. 交接後の貯精嚢内の精子量の比較。交接後時間をおいて固定した雌ほど、精子を貯留していた。つまり、ついばみ行動とは関係なく、精子の貯留が進む、「おそらくは、精子は、精夾が打ち込まれた場所から、自力で雌イカの体表を伝って、貯精嚢に入っていく」と考えられる。