【対談「総長が訊く」】

おそれることはない
チャレンジする気持ちを持ち続けてほしい


ゲスト
志済 聡子
中外製薬株式会社上席執行役員/デジタルトランスフォーメーションユニット長

日本IBM株式会社で30年余り勤めた後、中外製薬株式会社に転職した志済聡子氏。「CHUGAI DIGITALDAY VISION 2030」(※)の実現に向け、DX(デジタルトランスフォーメーション)戦略を先導している。
比類なき大学を目指して改革を進める寳金清博総長が、本学OBである同氏に、その半生や中外製薬での取り組み、本学への期待などを伺った。


(※)「デジタル技術によって中外製薬のビジネスを革新し、社会を変えるヘルスケアソリューションを提供するトップイノベーターになる」という、中外製薬が掲げる2030年を見据えたビジョン



英語力を磨き、国際性を育んだ学生時代

寳金 はじめに、ご出身と北大を志望したいきさつについて教えて下さい。


志済 生まれは根室市ですが、親の仕事の関係で北海道内を転々としていました。進学に際しては、札幌南高校時代の国語の先生から、女性がしっかりとした職業に就くために法律の勉強を勧められたことが1つのきっかけとなり、北大法学部を目指すことにしました。

寳金 北大ではどのような学生時代を過ごされましたか。私はボート部に所属していましたが、学生生活の中で、学問以外の課外活動に打ち込んだという経験は、豊かな人間性を育み、また、人間関係を広げるうえで有意義であったと実感しています。

志済 国際交流に携わる仕事をしていた父の影響を受け、英語を学ぶことが重要だと考え、ESS(English Speaking Society)のサークルに入りました。遠征やコンテスト、討論の準備は大変でしたが、上下関係が密接で、先輩から教えられた経験が今に生きています。英語系のサークルなので意外に思うかもしれませんが、何かイベントが終わると必ず「都ぞ弥生」を歌っていました。
 いまだにESSの先輩にお会いすることもあります。プロの会議通訳者である日野峰子さんは、当時からディベート大会でも輝いており素晴らしい先輩でした。近年もご一緒することがあり、すごくご縁を感じますね。

寳金 学生時代に外国へ行く経験も貴重です。私もコレラの勉強をしようと思い、インドネシアに行きました。

志済 私は大学3年生の時に、ライオンズクラブ主催のスピーチコンテストに出場し北海道代表に選出され、夏休みにカナダのエドモントン(アルバータ州)に行きました。初めての海外経験でしたので、楽しくて寝る間も惜しかったですね。ジャスパー国立公園の雄大な自然には圧倒されました。


様々な課題に向き合い、乗り越え、その先へ


寳金 卒業後はIBMに入社されましたね。

志済 私が社会人になったのは、男女雇用機会均等法が制定された時期でした。ところが、表向きは男女の差はないといいながらも、男性中心の名残りはありました。法学部の学生が就職する商社、銀行、保険会社などの業種では、女性への期待が薄いように感じましたので、業種を問わず女性が男性と同じように働ける会社に絞って面接を受けました。当時のIBMは世界最大のコンピューター会社であり、男女は全く平等という印象でした。入社後もまさにそのとおりで、自分の選択は間違っていなかったと思っています。
 現在、私と同世代のキャリアの女性は、様々な業界で総合職第1号として頑張っている人が多いのですが、当時は今よりもまだまだ厳しい時代でしたね。

寳金 女性が会社で働きやすい環境を切り開いていくためにどのような努力をされていたのでしょうか。

志済 日本の他社と比べて圧倒的に働きやすく非常にありがたいことでした。昇進も実力次第で男性と差はありませんでした。ただ、営業部門では女性の活躍が広がらず、私を含めて数人しかいない状況でしたので、後輩の女性をうまく営業職としてオリエンテーションしていくのが私のもう1つの役割でした。
 また、世界規模で事業展開するIBMの中では、日本IBMの女性の活躍はまだまだでした。そこで、社内に社長直属の「ジャパン・ウィメンズ・カウンシル」というグループが設立され、様々な部門から30名くらいの女性が集まり、働く環境の改善を提言する活動をしていました。私がリーダーを務めた時期もあります。
 提言だけではなく、問題意識を持った女性同士のネットワークを築くことも重要でした。第1期のリーダーを務め、現在も実業家として活躍している内永ゆか子さんがIBM在職時に他社を巻き込んでNPO法人ジャパン・ウィメンズ・イノベイティブ・ネットワーク(J-Win)を立ち上げたことにより、交流の輪が広がっていきました。

寳金 出産された時に1年間休職していますが、仕事をし続けている男性と比べて遅れをとっていると感じたりはしませんでしたか。


志済 あまり気になりませんでした。結果として、復職後は官公庁部門に配転になりましたが。当時、官公庁需要に占めるIBMのシェアがすごく少ない状況でした。そうした中で、今までのキャリアをリセットしてもう1回やり直そうと考えました。活動の自由度が高く、自分で仕事を見つけて対応すればするほど忙しくなっていきましたね。
 実は、出産直後の社員に対して上司が配慮して補助的な仕事ばかり回すと、それが通常業務になってしまい本来業務に戻れなくなってしまうケースがあるのです。そのような女性社員がいる場合には、私から本来業務に戻っておいでと、背中を押すこともあります。

寳金 1年間のブランクを埋めることは結構大変に感じる人が多いと思いますが、すっと入っていけるところがすばらしい。適応能力が高いのですね。
 続いて、アメリカでの勤務経験について聞かせて下さい。

志済 今まで自分が築いてきたキャリアや自信がゼロに戻った感じになりました。ディレクターとして赴任しているので、プロジェクトを立ち上げると最初は人が集まってくるのですが、外資系企業の社員は参加しても自分にメリットがないと思ったらすぐに引いていくのですね。そういう大変さを45歳で思い知りました。
 最初は英語でのコミュニケーションに苦労しました。どんなに苦しくてもわかるまで聞く、理解をしようという努力を自分で意識的にやらないと、どんどん時間と会話が向こうに行ってしまうのですよね(笑)。アメリカの社員は、自分でキャリアをつくろうと思ってギラギラしている人ばかりなので、待ってくれないしおもんぱかってもくれない。だから自分から主張して飛び込んでいかなければなりません。胃に穴があくほど本当にすさまじかったです。
 それでも私が帰国する頃には、メンバーがあれこれと聞いてくれたりして、自分がつくってきたプロジェクトがやっと形になってきました。粘り強くコミュニケーションをとることの重要性など、本当に勉強になりました。


同窓生のつながりから訪れた転機を活かし、新天地で躍動

寳金 2019年に現在の中外製薬の執行役員に転職されましたね。

志済 55歳過ぎから転職を考え、新しい業種に挑戦したいという思いで、日本企業をターゲットに探していました。そのような中、当時、中外製薬の社長を務めていた小坂達朗さんから、ITやDX(デジタルトランスフォーメーション)を全社的に進めるための役員としてのオファーをいただきました。もともと小坂さんとは、東京同窓会を通じたお知り合いでした。


寳金 北大生としてのつながりは大きいですね。同じ場所で勉強するなど、バックグラウンドの共通性があることは、非常に大きな意義をもちます。
 現在はどのようなお仕事をされているのですか。

志済 顧客の立場になってIT戦略、DX戦略を実践しています。何のためにデジタル化をするのか、どういうところを目指すのかというビジョンを作り、実践するための組織を構築しています。一から自分でデザインしてつくることや、社員が賛同し具体化するプロジェクトを立ち上げてくれるような仕掛けづくりがとても面白いです。

寳金 組織活動をデジタル化する改革は官民を問わず大変です。大学でも教育、研究、事務的な業務のデジタル化を進めることによって、研究力、教育力、社会貢献力がそれぞれ向上する状態を実現させる必要があります。一方で、そのような改革をスタートさせる段階では、抵抗や現状維持の声があがる傾向も強いですね。

志済 中外製薬も当初は同業他社と比べて遅れていました。一方で、千人もの研究者が創薬の自社開発に携わっているので、デジタルやAI(人工知能)を活用することの価値はありました。画像の読み込み、論文の検索、抗体配列の機械学習など、ニーズがあり、そこに上手く技術を適用できたと思います。
 研究面のDXが一番重要なのですが、それ以外にもバリューチェーンDXという商品開発、製造、工場、顧客インターフェースの分野もあります。近年のコロナ禍では顧客である医師との面談ができない中、デジタル技術を通じて効率的なコミュニケーションが可能になりました。
 デジタル化の改革には、アーリーアダプター(初期段階で適応できる人)とレイトマジョリティ(遅れてついてくる多数者)が必ず存在します。アーリーアダプターがプロジェクトを立ち上げて予算を獲得し、成功事例をつくるなどうまくいき始めると、多数派も何とかしなければならないと追随する流れができてきます。いまだにデジタル化に消極的な意見もありますが、できない人を説得したり過度に注意を払ったりしない方が良いと思います。

寳金 志済さんのように、同窓会は社会で活躍して地位を築いた人達がもう一度つながりをもつ好機でもあります。活躍する女性卒業生のロールモデルとして期待しています。

志済 私の場合、同窓会を通じて新渡戸カレッジのフェローをさせていただいた経験が大きいですね。勉強にもなり、ありがたいです。

寳金 最後に、学生、北大へのメッセージをお願いします。

志済 企業ではデジタルをはじめ新しい分野の人材が枯渇していますので、大学に一番期待することは人材育成です。良い学生さんをどんどん輩出する大学になってほしいです。新渡戸カレッジの学生はアクティブで、企業から見ても北大の魅力につながっています。私の学生時代と比べて、今では学部の垣根を越えた学びの場や、英語を学べる機会が多数あり、先生方も教育熱心なので、学生さんには新しいことにチャレンジしてほしいですね。

寳金 本日はありがとうございました。

       
       
北海道大学総長
寳金 清博
HOUKIN Kiyohiro

1954年、北海道出身。北
海道大学医学部卒業。医
学博士(北海道大学)。
1979年北海道大学医学部
附属病院などに勤務。米
国カリフォルニア大学デ
ービス校客員研究員など
を経て、2000年北海道大
学大学院医学研究科助教
授、2001年札幌医科大学
医学部教授、2010年北海
道大学大学院医学研究科
教授に就任。2013年北海
道大学病院長・北海道大
学副理事、2017年北海道
大学病院長・北海道大学
副学長を歴任し、2020年
10月から現職。
中外製薬株式会社 上席執行役員 / デジタルトランスフォーメーションユニット長
志済 聡子
SHISAI Satoko

1963年、北海道出身。北海道大学法学部卒業。1986年に日本IBM株式会社入社。公共サービス事業部第二営業部長などを経て、2008年に米国本社IBM Corp出向。帰国後は執行役員を務め、2019年に中外製薬株式会社執行役員に転職。2022年4月から現職。


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