2006年10月9日午前。北朝鮮が核実験に踏み切ったらしいとの一報がソウルから伝えられた。ほどなくして,支局に備え付けの中国国営新華社通信の端末モニターに「朝鮮中央通信が核実験の実施を伝えた」との文字。駆けつけた中国外務省では,対応を協議するため米国,ロシア,韓国大使館の公用車が門の中に次々と滑り込む。平穏なはずの「体育の日」の祝日は,こうして「北朝鮮核実験」一色に変わっていった。
中国の首都・北京は今や,そこから発せられるニュースに世界が注目する国際政治の表舞台そのものだ。日本や韓国を中心としたアジア,そして欧米各国のメディアが取材活動にしのぎを削る。核実験前日の8日にも,安倍晋三首相が日本の首相として5年ぶりに訪中し,こじれた日中関係の修復に向けた作業の第一歩が始まったばかりだった。
その安倍首相との会談で温家宝首相が語ったせりふに「言必信,行必果」(言必ず信あり,行必ず果あり)というくだりが出てきた。「『論語』だったっけかなぁ」なんてつぶやきつつ,学生時代に文学部棟5階の研究室で,諸橋大漢和辞典やら工具書の類と首っ引きに,細かな文字の縮刷版の漢籍を読んでいた時分を思い出した。
学部と大学院では,毎日のかび臭い漢籍との格闘の日々に,「こんなものが世間の役に立つんだろうか」と自問したことも正直,しばしばだった。修士論文の準備が本格化したころ天安門事件が発生し,衝撃的なニュース映像にハゲシク刺激された。研究者としての道を歩むには力もなく根気にも欠けると自ら「漢籍の世界」からドロップアウトした怠惰な自分ではあるけれど,めまぐるしく動く世界の片隅で古書をひもとく生活に対する焦りのようなものもあったのかもしれない。
北大を出た後,たまたま北海道新聞社に採用されたが,中国で仕事をしたいと希望し続けてきた。漢籍の中の古代中国とは違う,中国の現実を自分の目で見たいと思っていたからだ。
願いかなって実現した北京勤務。経済分野や一般国民の生活ぶりの報道はあふれかえるほどだが,共産党体制下での政治状況や政策決定過程はいまなお大半がブラックボックスだ。現象として現れる断片的な端緒を追い,過去の流れ,オープンソースで知りうる大状況とクロスチェックしながら,いわゆる“筋”を探ることが多い中国報道。そんな作業をしていると,『易経』や『論語』など『十三経』を,注釈やそのまた注釈の『注疏』と合わせて重層的に読み込んでいた学生時代と重なって感じることがある。
文系とりわけ基礎学問分野では,現世利益的な“成果”を得るのは容易ではない。が,研究対象を離れてから何十年たっても,ふっと「ツナガル」ことがある。それが,「また説(よろこ)ばしからずや」ではなかろうか。
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