がんばれ北大!

写真
「バリ島の自宅にて」
幼少から高じた昆虫採集を
思う存分やりたかったとしか思えない

出 谷 裕 見
(インドネシア バリ島 在住)

【プロフィール】
1955年 大阪生まれ(幼少より昆虫採集に興ず)
1974年 北海道大学理類入学(虫研に入会する)
1978年 北海道大学理学部生物学科動物学専攻卒業

 大阪から札幌に来て,あこがれていた北国の虫たちに巡り会えてからは学業そっちのけ,毎日ネットを片手に虫採り三昧の日々を過ごしたものです。教養2年の学部移行で理学部生物学科動物学専攻を選択したのも虫や動物が好きだという他愛ない理由でした。そんな学生が難しい講義をまともに受けるわけがなく,唯一生き物を扱う実習には出席していたら落第もせず無事卒業できたのです。当時の動物学専攻は沢山のオーバードクターを抱え定員過剰気味,できの悪い学生はすみやかに卒業させる方針だったのかと推測します。その後環境科学研究科の大学院に進学できたものの本来学問に執心する気概なく,北国の虫にぼちぼち飽きてきたぼくは大学を抜け出しネットを携えフラフラと南方へやってきたのです。蝶を採ってはコレクターに送り資金を仰いで,まずは東南アジアをひと巡り,それからインド経由でネパールへ。そこでカトマンズ発ロンドン行きのバスを見つけ,アフガンから中東そしてアフリカ,南米と世界一周ムシ採り旅行を描いたのですが,そのバスが停車したまま一向に発車する気配がない。なんとアフガン戦争が勃発して動けないというのです。今を去る25年前のことです。しかたがないのでインドに戻り未知の島アンダマンへ。珍品の蝶を沢山採って一稼ぎしたらバスも出るかと思いきや,アンダマンの警察に捕まりスパイ容疑で監獄に。その後弁護士を介しナイ知恵を絞って「蝶採りは高尚な趣味でありインド人には理解できないのか」と訴えたら,警察署長の所持する書籍の中に蝶収集は貴族の趣味であると書かれたイギリス統治時代の本が見つかり無罪放免に。這這の体でカルカッタに戻り,一旦タイに行き,そこからシンガポールそしてインドネシアへ。今から思えば飛行機を使えばいいのに,そのバスへのこだわりか,待てどもアフガン戦争は終わらず,それならインドネシアの島という島に行ってやろうと思い立ったのがとどのつまりでした。行けども行けども島は無数にあって,いつしかこちらの官憲にも指名手配となり,国外追放か許可を取得するかと迫られて,昆虫輸出の現地法人を当地バリ島に立ち上げたのが15年前です。昆虫を収集し飼育し販売するという,要は趣味の延長であり,一般の人からすれば気ままで風変わりな人生を歩んでいます。
  ぼくが在籍した動物系統分類学教室は少人数でアットホームな雰囲気,とりわけオーバードクターの方たちにはお世話になり,いまでも心に残る言葉があります。「生き物の研究は机上でできる訳がない,フィールドに出て実際の生物と対座し10年ほども記録し集めたデータでなにか一言言えたら研究者としては幸せ者である」と。ぼくは当然若かったから10年も我慢するなんてとんでもないと感じましたが,この歳になって研究者と道は違えどもその言葉を実感すること多々ありです。例えば熱帯の生物は100年とかの単位で記録を残さないとわからないかもしれません。そして先輩の言葉で重要なのは記録するという点です。いくらジャングルを徘徊してもデータを残していないのでは話しになりません。また「お前のように虫を好きなやつは植物専攻に進め」とも言われました。好きなことは自ら勉強すればいい,植物あっての昆虫だから基礎としての植物学こそ学ぶべきものだ,という発想です。確かにムシは採ったものの,熱帯なんて訳の分からない植物だらけ。今そのムシを飼育するのにすこしでも植物学の知識があればと悔やんでいます。
  まあとても北大出ですと胸を張って言える人生ではありませんが,北大生ならすこし羽目をはずして生きるくらいの気概があってもいいかと思い筆をとりました。




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