普段の生活で「相談とは何か?」を真面目に考えることはありません。何を相談したいのかが解っているからです。つまり相談する目的が単純かつ明確であれば、相談する相手を自分で適当に選ぶことができます。物事が単純であれば悩むことはありません。悩み事が無ければ相談は無用です。でも人生はいつの世も悩みがつきものです。何故なら、ヒトの定義は「霊長類=悩みを持つ動物」だからです。霊長類も含めて哺乳動物は社会生活を営みます。爬虫類のように本能の趣くままに個体で生き抜く生命力はないのです。
ヒトの悩みで最も多いのは、社会生活における人間関係です。典型的なのは恋愛問題です。昔から「恋の病」といわれ、他人が客観的にどうこう言っても解決しません。何しろ人類の半分は異性であるのに、当人はたった一人の異性しか目に入らないのですから、どうしようもありません。いわゆるアバタもエクボ、気のヤマイ、錯覚の類にすぎないのです。失恋は人生にとって最も辛いものの一つです。失恋経験こそ人間として大きく成長すると他人は言いますが、当人にとっては何の慰みにもなりません。純粋な心を必要とする芸術は失恋から生まれるといわれる所以です。
幸いにも恋愛が成就した暁には悩みなんかないはずですが、今度は結婚という社会的儀式が頭を悩まします。それでも結婚という共通の目的が明確ですから、二人でこの儀式をなんとか乗り越えます。さて、実際に二人で生活を始めた途端に、お互いに恋愛中が錯覚であったということに始めて気づきます。だから幸せな結婚生活からは芸術家は生まれず、凡人を生むのです。平凡の偉大さに気づかなければなりません。
私たちは成長する過程で、教育を受けるなかで、そして働いて収入を得る日々において、なんらかの社会的組織に所属し、かかわって生きていかなければなりません。国家はこれらの組織によって成り立ち、私たちはそのいずれかに所属しながら生きざるを得ない以上、ヒトは人間関係で悩み続けるものなのです。悩み、考えることが人生なのです。悩み、考えることを安心してできる場所と人材を確保していることが、その組織の品格なのです。話をもとに戻します。相談とは何かを真面目に考えているのが学生相談室です。学生相談室のスタッフを大別すると、「相談=カウンセリング」を専門職とする臨床心理士と、「相談=なんでも相談」と捉えて相談役に徹している教員がいます。拙速な説明を許してもらえれば、「カウンセリング」はクライアントの心の悩みに徹底的に付き合うことを目的とし、一方、「なんでも相談」はクライアントの人間関係トラブルの早期解決を目的としています。立場は異なりますが、学生諸君が安心して相談できる相手であることに変りありません。学生相談室で話したことは、本人の了解がなければ絶対に外部に漏れず、個人情報管理の観点からは大学病院の患者個人情報管理よりも厳しく、安全です。学生相談室は「個人の尊厳」、「個性の尊重」、「自由と自律」、「自己責任」の四原則、つまり北海道大学の建学精神を今も引き継いでいる場所であり、組織です。
「いま、キミにできること」それは学生相談室の存在を知ることであり、悩んでいる友人に対し学生相談室の存在を伝えることです。キミの存在はキミ一人のものじゃないことを忘れないでほしいと願い、最後に柳澤桂子さんの言葉を引用します。
「最初の生命は今から四十億年前に生まれたと考えられています。無数の生物が絶滅したのに、その一方で生き延びた生命がある。奇跡に奇跡を重ねて。私の命は四十億年の歴史を内包している。そう考えると、とても命を私物化することは出来ないでしょう?」(北海道新聞、2007年1月9日、「命」より) |