北海道大学歴史ノート トロピカルを日本の食卓に

 

 

 

 芳賀鍬五郎(はが くわごろう)(一八七三~一九三二年)は山形県出身、一八九二年札幌農学校に入学した。在学中、『文武会雑誌』など校友会誌編集の中心を担った。南鷹次郎教授に師事し、一九〇三年に卒業論文「瓜哇薯ノ各位置ニ於ケル生産力トノ関係」(瓜哇薯(じゃがたらいも)=ジャガイモ)を提出して卒業した。その後、ロンドンのキュー王立植物園(Royal Botanic Gardens, Kew)などで研修を受け、農業技術者の道を歩んだ。
 キュー王立植物園は世界最大の植物標本を所蔵し、現在は世界遺産に指定されている。当時、世界各地に植民地を有したイギリスにおいて、キュー王立植物園は植民地への外来植物移植の中継基地の役割を果たした。例えば、インド・アッサム地方産のダージリン紅茶は中国原産の茶を、東南アジア産の天然ゴムはアマゾン原産のパラゴムノキを、キュー王立植物園が媒介して移植・生産したものである。ところで、このキュー王立植物園は札幌農学校と深い縁がある。後に札幌農学校植物学教師兼教頭に招聘される若き日の地質学者W・S・クラークが、ヨーロッパ留学の際にここで葉の大きさが一メートルを超えるオオオニバスに魅了され、植物学を志すこととなった。キュー王立植物園のオオオニバスが、クラークを札幌農学校へと導いたのである。中央ローンのクラーク胸像の台座には、オオオニバスの葉がデザインされている。

芳賀鍬五郎

 さて、最先端の農業技術を習得した芳賀鍬五郎は、一九〇七年に日本の植民地であった台湾に赴任し、総督府技師となった。新設の農事試験場園芸部主任を務め、主に果樹栽培に尽力して、熱帯産果樹に関する調査報告書や著書を刊行した。
 一九一五年に発表した論文「台湾の園芸事業」で、台湾産果実について次にように記している。

元来熱帯果実には実に美味なる珍果多きも、概して保存力小なるが為め、遠距離の市場に輸送することは頗(すこぶ)る困難である。然(しか)れども製造法と輸送法を改善する時は内地市場に搬出することは不可能ではあるまい。鳳梨、芎蕉と相共に荔枝、様仔、木瓜及(および)マンゴスチーンの如きを内地市場に送り、内地在住の邦人にも熱帯果実の珍味を愛玩(あいがん)せしめたならば如何に幸福であらう。

 「鳳梨」はパイナップル、「芎蕉」はバナナ、「荔枝」はライチ、「様仔」はマンゴー、「木瓜」はパパイヤ、そしてマンゴスチン。いずれも現在、日本で人気の果物である。百年も前に、そんな日本の食卓を思い描いていたパイオニアがいた。札幌農学校が生んだ農業技術者芳賀鍬五郎の慧眼(けいがん)である。


 
 

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